「紅の蓋」のふたり。



俺の目指せ花護計画は碩舎一年目にして頓挫し、よし駄目元で花精ならどうだ、とあれこれやったところ、惨憺たる結果になったのは既にどこかで暴露したことと思う。
あのときは老師の友人、凌霄花(のうぜんかずら)の二人に非常な迷惑を掛けてしまった。まずは気持ちの入り方が大事、とばかりに花精の衣まで貸してくれたのに、はかばかしい成果は得られなかった上、きれいな絹衣を泥だらけにしちまった。温和な凌霄花は大したことじゃない、と笑って赦してくれたけれども。あるいは俺の消沈ぶりがあまりに酷かった所為もあるかもわからん。
申し訳ないことに、付き合ってくれた友人の空戒まで、つられたみたいに落ち込んじまった。
あのあたりから「もういっそ俺のつがいになっちゃえば」発言が出てくるようになった気がする。だから花精じゃねえんだっつうの。正しく(この表現はいささか卑屈か?)花精であったなら、百花王の許しがなくても迷わずお前の手をとってるよ。
ま、俺が仮に眩草(くらら)の花精だったとしても死んだ親父を上回るひ弱さを誇ったろうから、果たしてまともに友人とつがえたか、どうか。
なにせ空戒は碩舎の途中で剣鉈を拝領した優秀な花護だ。俺から半人半花という出自を差し引いたとしても、だいぶんに出来が違う。

今にしてみりゃ、親友の冗談に乗っかっていた方がどれだけましだったろうか。
後悔はしない。してたまるか。それだけはしないと決めているからな。
だか、もしも、と敢えて言う。
もしも空戒のやさしい慰めに縋って藩家の末席にでも雇い入れて貰っていたなら、こんな展開はなかったんだろう。ただそういう頼り方が出来る性格じゃないということくらい、自分自身よく分かっているし、花精じゃないのに「ふり」なんて出来るわけない。と、思っていた。
そして、万が一にも花精と吹聴するのなら、せめて心許せる友人の隣ですべきだったのだ。


「くそ、…こんの…」

ひとり、歯噛みをしながら何をしているのかと言うと、火の力を操る修練だ。
ゆるされた行動範囲のひとつ、庭に面した露台に立ち、前へ向かって手を伸べて、その指先に点る熱量を思い浮かべる。集中しろ。熱く、光る、理のちからだ。俺の中に確かにある花精の血がそれを形にしてくれる。
ふう、とあたたかな感触が指に乗る。薄く目蓋を開くと両の手に一つずつ小さな火球が現れていた。細く息を吐く。ここまではいい。あとは力をぶれさせないこと。
長く存在を保ち、自由な形に変化させることができれば。
以前、梔子の花精、清冽(せいれつ)さんが操っていた光球を思い浮かべる。力のある花であれば実際に熱を加えることもできるし、幻の火で物体を燃やすこともできる、らしい。俺はまったきの花精じゃないから、到底、行き着かない話だろうが。
もっと初歩の初歩でいい。せめて火炎の蛇くらい作れるようになりたい。戦いに出るとか、そういうのじゃなくて、これだけは出来る、という手応えを増やしていきたいんだ。

死のはざかいの手前で、ある化者(ばけもの)に問われた。
この先、何者として生きるのかと。俺の選び取った答えが、今の立ち位置だとしたら、少しでも近い形に成りたいと思う。
そんな殊勝な決意をかんなくずみたいに削りにくるのがこいつ。例のクソだ。

「気合いで成れれば、苦労せずとも済むのにな」
「…黙れようるさいよ邪魔するなら来るんじゃねえよ」

人が気合いだけで生きてるみたいに言うなよ。根性論の権化みたいに聞こえるわ!
息継ぎなしの悪態に、暇人と書いて燕寿(えんじゅ)と読む、くだんの男は小さく頸をかしげてみせた。くっそ、変に可愛らしい仕草とかしても無駄だからな。美形の安売りなんざするなよ。凡人の立つ瀬が沈没するじゃねえか。

「邪魔なんて、心外だ」と、やつはほざく。「迦眩が俺の花精となるべく懸命に修練をしていると聞いて、見守りに来ただけ」

俺の花精、のところにやたらに力が入ってて、なんつうの、もう絶望。

「巨大なお世話。ほんとうに邪魔する気がないなら俺に構うなし」
「それはまずもって、無理な話だ」
「なんで」
「つがいはすべからく構うものだろ」
「寝言は寝てから言え。その寝床が棺桶なら俺としては言うことなしだ」
「つれないな」

台詞に反してそう堪えた様子もなく、ぬばたまの、と評される己の黒髪を適当に撫でやると花護は露台の手すりに背を預けた。涼やかな目元がいっそう明らかになって、見るからに余裕で、うん、むかつく。
やつが先ほどから見せている分かりやすい逗留の姿勢にうんざりだ。均整のとれた体躯が纏う朱色の長衣が、嫌悪にさらなる拍車をかける。部屋着ということは外出の予定がなく、邸でだらつく気満々、ってわけだ。畜生、仕事しやがれ。さっさと朱夏宮に行って、官位でも花精でも貰ってこい。働かざる者食うべからずって金言を知らんのか。

「よく言う。それで実際に花精を連れて来られたら、一番困るのはお前だろうに」
「…」

微妙なところである。そうだよ、そのとき俺ってどういう扱いになんの?
こちらの出方によっては、燕寿は妹の将来に泥を引っかけかねないし、実際、そのネタで俺を脅しているわけで。さもなきゃこんな邸に留まる理由なんて、ない。今更、花精としての可能性に賭けることだって。
燕寿だって、ほんとうは同じだ。半端者のできそこないにこだわらずとも、朱夏宮で行われる「娶せの儀」に参じればいい。俺にとっては大した外道だが、花精たちにはまたとないつがい、なんだろう。こいつは。しかも選ばれた花護だけが持つ、天与の相までありやがる。
花精をふたり娶る花護も居るけれど、燕寿が持っているのは違う「相」だ。「戴天」の相。この男が選ぶことのできる最強の花精は、誰あろう夏の百花王だ。

「…下男、とか…?」

花精じゃない俺が目下の持てる能力を使ってできることは、まず、そのあたりか?ちょっとの間考えて…、いや、ほぼ反射的に吐いて出た答えは、下っ端根性丸出しで情けない。
王を僭称しているとも疑われかねない、その赤い衣の男は、だが、俺の愚かな回答を聞くなり、鮮やかに微笑んだ。おそろしいほどににじみ出た喜悦に、どこか試すような気色を残しながら。

「それって、どうあっても俺の隣を離れないということだよな」
「……はぁあああ?!ったりめえだろ、人の妹を盾にとって今更何ほざいてんの!しかも嬉しそうにするなよこのクソ!」
「妹を盾と見るかどうかは俺の決定じゃなくてお前の選択だ」
「卑怯もん!」

拡大解釈もいいとこだろ。ふざけんじゃねえ。

「もっともお前が下男なんて大人しやかな立場に甘んじることができれば、の話だな。俺は多少の疑念を感じる」
「俺の未来を仮定すんな!類推すんな!!」

わなわなと震え始めた俺を頭からつま先までひとしきり眺めた後、燕寿は突然に「それ、」と言った。

「さっきから無駄にでかくしてるみたいだけれど、その後どうするんだ」
「は?てめえの知ったこっちゃねえよ!ほっとけよ!俺のやることなすことに口出すなっつの!」
「まあ、それは別にいいんだが」と言い、「…いや、よくないな。迦眩、ほら、前見ろ」
「ああん?」

不良花護に思うさまガン垂れた後で、改めて前方を見る。そう、手を伸ばした先にある―――、

「!!」

鼻先、頬、腕。視界に入れた途端に感じる熱。大人二人分くらいは容易に飲み込めるほどの火の玉が、掌すぐ上に輝いている。俺の短い人生史上、一番まともに発揮された理のちから。

「あっ、…く、あ、」

赤々と光るそれに目が、意識が釘付けになる。
露台の周囲に植えられた木々が、ざわめく緑の聲が反響する。彼らは危ぶんでいる。統制されていない、ただ無軌道に暴走する力を。
そして、耳元で仕方なさそうに漏らされた溜息も確かに、聞こえた。

「仕方のないやつ」

成功したのか失敗したのか分かりゃしない、とそいつは言った。
外形はきれいな癖に、ひらを返せば胼胝だらけの手が俺の頬を捕らえる。無理に横を向かされ、上から覗き込まれ、腹立たしいほどの美形が近付く。薄出来のあわせが開いて「抜くぞ」としゃべった。抜くぞ、迦眩、と。

もう、硬直して動けなくなっている俺の口脣を、男のそれが食らう。
いつもはもっと好き放題するくせに、口吻は火球の具合を伺いながらゆっくりと行われた。常にない、やつの用心深さが却っておそろしかった。

「ふう、…ん、はっ…、ぁあぅ」

くちゃくちゃと、少しずつ肉を咀嚼しているような音がたつ。燕寿と触れているところから、自分のうつわがぼやけ、中身がながれだしていくような感覚が拡がる。混乱の中、同化する、という表現がふいに思い浮かんで首を振った。
そんな馬鹿な。
ぬるい舌が入り込み、手前勝手に中を蹂躙する。近さの所為でお綺麗な顔の全容はあやふやだったが、…たぶん距離だけが理由じゃなかった。
膝が、腰が、妙な力の抜け方をしていく。――――俺の、なけなしの理力が「吸われて」いく。

名状しがたい気持ちよさと怖気で泣きたくなった。実際、涙も出かかっていたかもしれない。ついでとばかりに目端も舐められたから。よすがにするものが欲しいが、生憎(わかりきっていることだが)燕寿しかいない。支えを探してさまよわせた手は、相手の袖にひっかかる。喉だけで、花護が哄笑う。

なあ、迦眩。これだけでも充分、花精の証明になるんじゃねえの。

「ぁ…ざっけん…じゃね…」

そんなクソの発言を聞き納めにして、俺は昏倒してしまったのであった。理力の欠乏。正気をなくしたお前を庇いながら火球を消すには一番てっとり早い手段だったんだ、としれっと言われて殴りかかったのは無論のことだ。
折角こさえた火炎をぶつけてやればよかったと思い当たったときには、しばらくの寝台生活が確定していた。ただでさえ遅滞しまくっている勉強が、牛歩並になるのは間違いなく、置物みたいに無表情に座る清冽さんがひたすらおそろしい。現実逃避にもう一度意識が遠のきかけた。

…俺の馬鹿。



>>>END





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