起きて開口一番に彼女が呟いたのは、暑い、という言葉だった。
「家の中に入ってもいいんだよ?」
「いや……縁側でも中でも暑いことに変わりはないよ」
「……そう」
今年の冬はもうとっくに終わっている。春ももう終盤に近づいて来ていて、博麗神社にはもう風鈴が飾られていたくらいだ。
それでも冬の忘れ物と称される彼女が帰らないのは、おれとギリギリまで一緒に居たいという理由があるかららしい。可愛い理由だな、なんて抱き締めてやりたいくらいだけど、いまレティを抱き締めたらきっと溶けてしまうだろう。
春は春眠、夏は惰眠、秋はまどろみ、と寝てばかりな彼女にとって、暑くて寝られないというのは苦痛だろう。
おれもレティと一緒に居たいけれど、彼女の身を案じて帰らせたいという気持ちもある。だから今日は心を鬼にして言うのだ。帰れと。次の冬にまた会おうと。
「分かっているんだよ」
「え?」
レティがおれの心を読んだかのように呟く。声に張りが無いのは、やはり暑いからだろう。若干疲れも見える。
「このまま此処にいたら、元気のない私は誰かに鬱憤を晴らされてしまう」
「おれはそいつに鬱憤を晴らすぞ」
冗談混じりにそう言えば、レティは「ありがとう」と笑った。彼女の頭がおれの肩に乗る。こういうことされると、ますます帰したくなくなるのに、彼女は狙ってやっているのだろうか。
「でも、別れってのは辛いものだよ」
「知ってる。けど、一生の別れじゃないだろう?」
「私には永遠の別れに思えるのさ」
「妖怪にとっちゃあ、一年なんて人生の欠片にも満たないだろ」
「人も妖怪も、過ごす時間は同じだよ」
いくら説得しようと頑張ってみても、上手いこと返されてしまう。困ったもんだ。これじゃあ彼女が溶けてしまう。
「レティ、」
「うん、うん。分かっているよ」
「……」
「また、次の冬に会いましょう」
おれが言うまでもなく、彼女は頭を上げて、縁側から外へ飛び出した。レティは振り向こうとせず、よれよれと空を飛び始める。情けない背中に、「おれはずっと待ってるぜ」と叫んでやった。
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彼女が飛んでいった先に、小さな陽炎が見えた気がした。