present :)8
:) 私は決して、3.11を忘れません。あの時、一体何が起きたのか、あの時、どれだけ多くの涙が流されたか。私は、この東日本大震災を、防災・減災の教訓として活かしていくだけでなく、風化させないよう、記憶の中に刻み込み、後世へ伝えていくべきだと思うのです。
:) 僕たちが生きている、それだけでありがたい。つらくても生きていく、生きている。
:) 時々でいいから思い出して下さい。3.11を…。忘れないで下さい。沢山の愛が在ったことを…。
復興にはまだまだ時間がかかるけど、元の形にはもう戻らないけど、私は生きて行きます。被災地と一緒に進みます。
:) あの日のことを忘れたわけではありません。皆が笑って過ごせる日々を祈ります。どんな言葉でも伝えきれないけど、世界中の愛を感じてください。
:) 生きている
生きて行く
:) 頑張れなんて言わないので、ただただ生き続けて下さい
:) あの時から何時間何日何ヶ月経とうとも、あの時感じた絶望と寒さと孤独と悲しみと喪失感は忘れない。忘れられない。あの時私が日和山から見たあの光景はまさに「地獄」だった。「地獄」しか浮かばない。それ以外にあの光景を言い表す言葉を、私は知らない。復興どころか未だに撤去されてない町の中にあるたくさんのガレキの山や漁船や廃車を見る度に誰にぶつけたらいいのか分からないどす黒くて激しい感情に心が押し潰されそうになる。この心を今ここで捨てられたらどれだけ楽になれるだろう。頑張ることなんて出来ない。今生きているだけで精一杯頑張ってる。でも、逃げない。いつか、必ず、この心で、立ち上がってみせる。
:) 過ぎた過去にいつまでもこだわることは、いつまでもそこで自分を可哀想だと思うことは、きっとすごくすごく簡単で、きっとすごくすごく楽だ。
今回被災しなかった方々に怒りをぶつけてるひともいる。そうやって自分の人生いつまでも人のせいにして押し付けて生きられたならきっとすごく楽だ。あんなに小さな子どもが我慢してる。泣き言も言わずに大人の手伝いしてる。あんなのみたら、私は何時までもここにいる訳にはいかない。頑張る。あたしは、負けたりなんかしない。つらい、あたしは頑張ってる、だなんて悲劇のヒロインになったりしない。体験もしてないのにこっちの気持ち分かれ、だなんてむちゃくちゃ言ったりしない。子供たちの笑顔を取り戻す。泣きごとなんて言わない。前だけをむいていく。こんなときだからこそ、ポジティブに。あたしは、勝ってみせる。
:) 若林区で被災した者です。東北のために、たくさんのメッセージを有難う御座います。元の生活に戻る為に頑張りました。でも、体に限界がきてしまいました。明日、入院します。頑張れ、の言葉はごめんなさい、今は聞くのが辛いです。頑張っても、頑張っても頑張っても元には戻ってくれないし、戻って来て欲しい人には会えない。せっかく、メッセージを頂いてるのにごめんなさい。本当にごめんなさい。でも、私も私の周りの人も「頑張れ」が重たく感じます。ごめんなさい。
:) みんながあの時を忘れ、笑っていようと、あの時を忘れ、今を謳歌していようと、あの時を忘れ、故郷すら頭の中に忘れようとも。
私は、私だけはあの時の光景と絶望と雪の冷たさは忘れない。
故郷を、大谷海岸から押し寄せたあの津波を、何年経とうが思い出す。それが過去にしがみついているだけと笑われたとしても、絶対に。
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