「鉢屋先輩、少し、いいですか?」
「ああ、庄ちゃん。どうしたの?」

緑色の制服を纏った、鉢屋先輩の姿を見かけて他の先輩方と同じように呼び止めた。

「まずは、ご卒業おめでとうございます」

そういって頭を下げると、それは大体予測していたのか破顔して「ありがとう」と言って下げたままの僕の頭を撫でてくれた。
鉢屋先輩の僕よりずっと大きくて、暖かい手。
一年生の時、初めて会った時から変わらない手。
ずっと、好きな人の手。
そこまで考えて、一気に顔が沸騰したかのように熱くなった。
熱くなったのと同時に、急に恥ずかしくなって、うつむいたまま一歩後ろに下がった。

「庄ちゃん?」

顔が、熱い。
きっと今、自分の顔は真っ赤になってる。
変に思われてないだろうか。
ああ、でも変に思われてなくても、このままうつむいたままなにも喋らなかったら変に思われてしまう。
それに……、もしかしなくても、これが鉢屋先輩と話せる最後の機会なのに。
そう、思ったら、勝手に口が開いていた。

「あ、あの……、鉢屋先輩、」
「うん?」

うつむいたままだから確かなことはわからない。だけど、微笑んでいるような声音だ。
そこまで思ってから、自分が何を言おうとしたのかがわからなくなった。
今、僕は何を言おうとした?
ずっと好きだったって事を言おうとした?
鉢屋先輩には、不破先輩がいるのに?

そう思い当たったら、冷水を浴びせられたような感じがして、一気に混乱していた思考が冴えていった。
同時に顔の熱も引いていったと自覚出来たから、うつむいたままだった顔を上げてまっすぐに鉢屋先輩の目を見て、言う。

「鉢屋先輩は、不破先輩と同じ城に就くんですか?」

予想外の質問だったのか、鉢屋先輩は一瞬目を見瞠ったあと、口元だけは微笑んで「どうして?」と聞いた。

「僕には、鉢屋先輩と不破先輩が離れるなんて想像出来ないから、です」

そう、鉢屋先輩と不破先輩が一緒にいないなんて、考えられない。
自分が鉢屋先輩の事を好きだと言う自覚は、ある。
だけど、それ以上に鉢屋先輩と不破先輩は一心同体と言う言葉がぬるいほどお互いの事を想いあっていると、僕は感じていた。
二人の間にはいるような隙間なんてない、と。
僕が不破先輩に叶うわけない、と。
そう思う度、こっそりと誰にも見つからないような物陰で涙を流していた。
一回だけ尾浜先輩に見つかって、尾浜先輩が『誰にも言わないから、』とだけ言ってあとはなにも言わずにただ背中を優しく叩いて抱き締めてくれた時に、抱えていた全ての想いを吐き出した事があった。

誰かに気持ちを吐き出したのは、後にも先にも、あの時だけだ。
自分でも、もう一人で抱えるには無理なくらい大きくなっていた、想い。
それを尾浜先輩は静かに聞いてくれた。
そして、最後にひとつだけ質問をしてから、その答えを聞かないまま頭を軽く撫でて、尾浜先輩は去っていった。

『ねぇ、庄ちゃん。君は、何を望む?』
『ぼ、僕は……、──────────────────────』
『……そっか、それが庄ちゃんの望みなんだね』

去っていく直前に見えた尾浜先輩の表情は、形容しがたい表情だった。
例えるなら、憐憫。同情。憧憬。悲痛。支援。
自分ではもう出来ない事をしている、という表情だった。


「庄ちゃん、さ、」
「……はい」

しばらく悩んでいた様子の鉢屋先輩が静かに、言い出した。

「私に、言ってないことがあるだろう?」
「え……?」

驚いた。嘘だろう?とかそういう違うことを聞かれると思っていた。

「庄ちゃんは私の得意な事を忘れてないよね?」
「はい」
「じゃあ、それに付属してついてくるものは何かわかってる?」
「…………っ、まさか鉢屋、先輩」
「わかった?その顔を見る限り、庄ちゃんが導きだした答えは私が言いたかったこととほとんど間違ってないはずだ」

顔から血の気が引いていくようだった。
鉢屋先輩の得意な事、それは学園中の誰もが言い当てられるくらい鉢屋先輩が日常的にしてきた事。
僕自身もなんどか、鉢屋先輩に変装された。
そして、それ──変装をするためは必要不可欠な事といえば、変装の対象の観察。

──観察、されてた。

いつから?とか疑問がたくさん浮かぶ。
でもなにより、さっきの鉢屋先輩の言い方から察するなら、知られてた。きっと、ずっと前から。

どうしたらいいかわからず混乱していると、鉢屋先輩が一歩、僕の方に進んだ。

「え、」

それ以上、声をあげることが出来なかった。
鉢屋先輩が一歩僕の方に進んだと、視界で捉えても頭が回らなくて一瞬、動けなかった。
その一瞬で鉢屋先輩は、僕の顎を掴んで顔を上に向けさせて、自分も僕に合わせるように屈んで、一気に顔を近付けると、僕の唇に自分の唇をあてがった。

最初は驚いて、目を見瞠った。
柔らかい、と感じたけれど、頭が状況を理解していくにつれて、目の縁に涙が溜まっていった。

違う、そういう事じゃない。
僕は、こういう事を望んだんじゃない。

ゆっくりと、鉢屋先輩の顔が離れていく。
時間にしたらほんの数秒。
だけど、僕にとって唇が触れあっていた時間がひどく長く感じられた。

「庄ちゃん?どうして、」
「違うん、です」

鉢屋先輩の言葉を途中で遮って言う。
脳内で尾浜先輩の質問がよみがえる。


『ねぇ、庄ちゃん。君は、何を望む?』


「僕は……、ただ、鉢屋先輩に幸せになって貰いたいだけなんです」
「っ、…………」

我慢していた涙が堰を切ったように溢れ出す。
涙と共に抱えていた想いも、溢れ出した。

「僕は、鉢屋先輩のなにかになりたかった訳じゃないです。ただ、先輩が幸せでいてくれればいい、と思ってます。その為に僕の想いが邪魔なら、言うつもりもなかった、です。不破先輩の事も、」

それ以上は言葉にならなかった。
言いたいことはありすぎて、胸がつかえて、何が言いたいのかがわからなくなった。
それと、涙としゃくりが止まらなくて、話すことも難しくなっていた。

「……ごめんね、庄ちゃん。こんなひどいやつで。今君がこうして泣いていても私は君を慰める事が出来ない」

涙のせいで何も見えなかったけど、声で、鉢屋先輩が本当にそう思っているのがわかって、ふるふると首を左右に降った。

「…………、それじゃあ私はもう行くね。唇奪っちゃってごめんね」

ざり、とわざと音をたてて鉢屋先輩が去っていく。
なにか言うならもう今しかない。

「鉢屋、先輩!」

砂を踏む音が遠ざかっていく。
早くしないと、届かなくなってしまう。
今出せる最大限の声でありったけの感謝を込めて告げる。

「ありがとう、ございました……!先輩、と、過ごせ、た、時間は、幸せ、でした……!」

しゃくりのせいで途切れ途切れになってしまったけど、言えた。
どうしても、鉢屋先輩に感謝の気持ちだけは言いたかった。

「私も、楽しかったよ」

一瞬だけ足音が止んで、小さい、本当に小さい声で鉢屋先輩がそう呟いた。

『楽しかった』
それがすべての答えだと悟った。
再び、砂を踏む音がして、しばらくしたら聞こえなくなった。


鉢屋先輩、鉢屋先輩、鉢屋先輩、それでも、僕は、僕は……

「先輩の事が、好き、でした……」

この言葉を口に出すのは二度目。
気持ち自体は知られてしまったけど、鉢屋先輩本人にも言うことのなかった言葉。

最初から実ることはないと、わかっていた。
それでも慕わずにはいられなかった。
なにかを求めたいとは思わなかった。
ただ姿を見ていたかった。
幸せであってくれればいいと、思ってる。


「どうか……、幸せでいてください」

本当にただ、それだけを祈ってる。




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(余計かもしれないけど補足)
(三郎はなにやら勘違いしちゃった感じです。触れたいとか、キスとかをしたいと思うだけが恋とは言わないのに、自分はひたすら雷蔵に対してそう思っているから、いきなりあんなことをしちゃいました。
実は最後に伊助出して「どうしたの?」「ううん、何でもない」的な会話させようかと思ってましたが、気力の関係で諦めました(笑)
ちなみに最終的に傷付いた庄ちゃんを癒すのは伊助だと信じて疑ってないです(キリッ))

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