屋上に通じる扉を開ければ、青空の下、思った通りの姿がそこにあった。
「隼人。辛いなら家に帰ったらどうだ」
 コンクリートの地面に寝転ぶ彼を見下ろして言えば、うざったそうに眉を顰められてしまう。
「シャマルのところで寝かせてもらってもいいし」
「知ってんだろ、あいつは男は診ねえ」
「頼めばベッドぐらい貸してもらえる」
「ぜってえ無理」
 そうは言うものの六道骸たちとの一件からまだ二週間も経っていない。本来なら、彼はベッドの上にいるべきなのだ。シャツの合間から覗く真っ白な包帯を見ながら、俺は続ける。
「ともかくこんな所で寝るのはやめろ」
 すると上体だけを起き上がらせて、これで良いだろ、という顔をする。更には煙草まで取り出したので、すぐに奪いとった。
「お前、怪我を治す気がないのか? また綱吉を狙う輩が現れたらどうするんだよ」
 ハッとした様子で言葉を失う隼人。扱いやすい。ただ、もしここでしおらしくなる奴だったなら、もっと扱いやすかったんだけど。
「じゅ、10代目ー! 今すぐお側に……!」
「今はリボーンさんが側にいるし、怪我人のお前が行ったって何の役にも立たないだろ」
 予想通りバタバタと屋上を出ていこうとする隼人の襟ぐりを掴み、地面に転がす。手加減したつもりだったが悲鳴が上がった。思った以上に回復は進んでいないらしい。
 綱吉でさえ未だ筋肉痛が酷くてろくに動けないのだから、意地を張らずに休んでいればいいのに。
「とにかく早く傷を治せ。それが一番綱吉の為になる」
 転がったまま動こうとしない隼人に聞こえるよう、わざと大袈裟に溜め息を吐いた。
「じゃあ授業に出ろ」
「ああ!?」
「綱吉が戻ってくるまでに、教室に何か仕掛けられてしまったら? 見張りも兼ねて、ということだ。どうだ」
 綱吉の名前を出せば、渋々と、というのがよく解る小さな小さな了承の声が聞こえてくる。こういうところは本当に扱いやすい。
「何笑ってんだよ」
「別に」
 答えつつも笑いを引っ込めるどころか更に笑みを深くしてやれば、それに比例して隼人の眉間の皺が増えていく。それでも俺が手を差し出せば、ゆっくりと握ってきて。
 そして俺の手を支えに、立ち上がろうとする。ちょうど腰が宙に浮いた瞬間を見計らい、パッと手を離せば、当然のように隼人は尻餅をついてしまった。
「っ、何すんだよッ!」
「油断大敵」
 出会ってすぐの頃の隼人なら手なんか絶対に掴まなかったはずだ。きっと叩き落とすことすらしないだろう。冷たく一瞥して、それで終わり。警戒心の強い、独りぼっちのスモーキン・ボム。それが今や、すっかり俺を信用してる。

 ――やはり9代目は正しかった。
 9代目の言葉を信じぬ人間は、今のボンゴレ上層部にはいない。それでもあのスモーキン・ボムを10代目の側にやるのはどうか、と心配する声は止まなかった。最強のアルコバレーノが家庭教師だとしても、それでも。当然だ。後継者候補は今や綱吉一人。何かあってからでは遅い。
 そこで俺に白羽の矢が立った。与えられた任務は隼人の監視だった。もちろん、彼が10代目に害をなすと判断したそのときには、始末することも任務に含まれていた。見ての通り、全ては杞憂だったのだけれど。
 日本に向かう俺に9代目が仰った言葉を今も思い出せる。
“日本での生活を楽しむんだよ”
 あのお方は、最初から全て解っていたんだ。こうなることを、全て。

「さてと、俺はそろそろ帰るかな」
「てめえ! 人には授業出ろとか言っといてっ」
「お前は授業を受け、俺は帰る。お互いに自分のすべき仕事をするんだ。これのどこがおかしいって言うんだ?」
「何が仕事だ、バカ!」
 悪態に笑みを返しながら、手を振る。
「じゃあな、隼人。頑張れよ」
 隼人は、きっと今に本当の『仲間』を得るだろう。信頼で結ばれた、お互いに背中を預けられるような、そんな仲間を。
 ――でもそれは、俺じゃない。


 屋上に隼人を残し、並中を後にした俺は、すぐに携帯を取り出した。
「俺です」
 おー、といつもの明るい声が聞こえてきて頬が緩む。どうしてこの人は、声だけで、こんなにも人を安心させることが出来るんだろう。
「予定通り、今からそちらへ帰ります。――親方様」
 荷物は先に送った。綱吉たちにはリボーンさんから話をしてくれる。俺は、身一つで飛行機に乗り込めばいい。
「なまえ」
「はい?」
「もしお前が望むなら、このまま日本に」
「それは、俺はもう必要ないということですか?」
 言葉を遮って尋ねれば、そういうことを言ってるんじゃなくてだな、と困ったような声が返ってくる。電話の向こうで頭をガシガシと掻き毟っている姿が容易に想像できて、思わず笑みが零れた。
「親方様、俺の任務は終わりました。リボーンさんもそう判断したはずでしょう?」
 いや、今思えば隼人が綱吉を10代目と認めたあの最初の日に、本当は終わっていたはずなのだ。
「そのリボーンから聞いているんだ。お前が、そっちでどれだけ楽し」
「親方様」
 やはりまた言葉を遮り、俺は、一息で告げる。
「俺の居場所は、貴方の側です。今までも、これからもそれは変わりません。……貴方がそれを許してくださるのならば、ですが」
 数秒の沈黙のあと、わかった、と溜め息混じりの声が言った。

 今のうちに。
 隼人が、俺以外の誰かの手を取るのを見る前に。それを、横から叩き落とすなんて馬鹿な真似をしないうちに。
 俺は、俺の居場所に戻る。戻らなきゃ、ならないんだ。

「親方、様」
「……どうした?」
「……わかりません」
「……」
「……俺は、」
「……なまえ、ご苦労だったな」
「……はい」
「早く戻ってこい」
「は、い」
「バジルも待ってるぞ」
「はい……っ」
 久々に聞く兄弟弟子の名前。そのあまりの懐かしさに俺の目から涙が溢れた。

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