今から部屋に入ってくるのが誰か、扉が開く前からリボーンは解っていた。
 ――なまえだ。
 この隠れ家を知っている者は数少ない。中でもなまえは、リボーンに言わせれば一、二を争うほど気配を消すのが下手な人間だった。
 特に今日は酷いな、とリボーンは内心呟く。まるで一般人のような駄々漏れのそれは、今の彼の乱れた精神状態すら読み取れるほどだ。もしなまえが誰かに尾けられていて、この場所のことが外部に漏れたとしても今なら驚きはしないだろう。リボーンがチッと舌打ちをした瞬間、読みどおり、酷く動揺した様子のなまえが慌ただしく部屋に入ってきた。
「リボーン! ジャッポーネに行くって本当なのか! それもボンゴレの後継者を育てに行くっていうのは!」
「ああ、本当だぞ」
 手入れ中のMP5から視線を外し振り返ったリボーンは、ほんの少し眉を上げた。今にも泣き出しそうな顔が、こちらを見つめていたのだ。
「なんだ、その顔は」
 指摘してやると、一層、ぐしゃりと歪む。
「だ、だって、それってすぐに終わる仕事じゃないだろ?」
「まあ、長くなるだろうな」
 事も無げに相づちを打つリボーンに、なまえは唇を震わせた。
「……最近、俺、ようやく依頼がくるようになった」
 なまえは、フリーのヒットマンだ。
 だが年若く、駆け出しの殺し屋である彼にとって、依頼は飛び込んでくるものではなく自分から取りにいくものであった。そこでまずはどんな内容の仕事でも受け、とにかく実績を上げることを目標とした。地道な積み重ねが顧客を増やすからだ。もちろん休みなどない。駆け出しのヒットマンなど、いくらでも代わりはいるのだから――。
「だから、今、イタリアを離れるわけにはいかないし、ジャッポーネに通うのも無理だ」
 言われなくとも、この業界で生き残るため、なまえにとって今が一番重要な時期だということはリボーンもよく解っていた。
「ああ」
「……会えなくなるって、言ってんだぞ……」
 赤ん坊の黒く大きな瞳が真っ直ぐになまえを見つめた。

「俺と別れたいのか」

 その言葉に、部屋に入ってきたときからすでに揺らいでいたなまえの瞳から、ついに涙が零れ落ちた。
「な、んで……そんなこと言うんだよぉ……っ」
「お前が言ったんだろうが。『ジャッポーネに通うのは無理だ』と」
「そう、だけどっ……」
 次から次に溢れてくる涙を全て拭いとるのは難しく、なまえは被っていたボルサリーノの鍔をぐいっと引き下げた。それでも頬を伝った水滴が顎の先からポタポタと零れ落ちる様までは隠せず、なまえはその場に座り込む。そして立てた膝を抱え込むようにして、顔を埋めた。
「酷いよ」
 ぽつりと呟くような声は、しかし鋭く尖っていた。リボーンが僅かに唇を引き結ぶ。
「何がだ」
「だって、いつも、好きなのは俺、ばっかり……!」
 ひどい、と繰り返すなまえに、小さな体が近づき、ボルサリーノを取り去っていく。
「顔を見せろ」
 拒否することを許さない毅然とした声に促されてなまえはゆるゆると顔をあげた。
「殺し屋やめて俺と一緒にジャッポーネに来いとでも言えば満足か? それとも、俺に依頼を断れと?」
「……そんなこと、言ってない……」
「だったら泣くのをやめろ、なまえ」
 厳しい口調だった。びくりと、兎のように真っ赤になった瞳が跳ねる。
「大体、愛が足らねーのはどっちだ? 勝手に、もう全てが終わったみたいな顔しやがって」
「だ、だって……」
「だっても糞もねえ。俺は、少し離れるくらいで不安にさせちまうほど、お前をおざなりに愛した覚えはねーぞ」
 ハッとした様子でなまえは目を見開いた。
「でもお前が俺たちの今までが信じられねーって言うなら、ここまでだ」
 くるりと体を翻すリボーンに、なまえは慌てて縋りつく。
「嫌……ッ、信じる! 信じてるからっ」
 信じてる。必死に繰り返しながら、小さな彼の黒曜石のような瞳を覗き込んだ。
「ごめんなさい……俺、リボーンがジャッポーネに行くって聞いて、なんか頭真っ白になっちゃって……一人で暴走してた……」
「だからお前はいつまでたっても半人前なんだ」
「うん。殺し屋は常に冷静でないといけないよね」
 恥ずかしそうにやんわり笑うなまえに、リボーンは手を伸ばした。赤ん坊の柔らかな手のひらがそぼ濡れる頬に優しく触れ、そっと涙が拭われる。
「……俺、もっと頑張る……」
 頬を染めながらなまえが言った。
「ちょっと休みとっても、依頼がなくならないくらい立派なヒットマンになってみせる。そして、ジャッポーネまでリボーンに会いに行く」
「――ああ、待ってるぞ」
 ニッとリボーンが笑った。
 なまえはうっとりとした表情で、自身の胸を押さえた。スーツの上からでも、そこがドクンドクンと強く脈打っているのがわかる。
「リボーン、愛してる」
 苦しいほどときめいている胸を押さえたまま、なまえは、愛しい人の柔らかな頬に唇を寄せた。

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