「昼飯か?」
 ここで何をしているのかと訝しむ表情に気づかない振りで尋ねた。勿論、家光は答えない。俺の横を通り抜けていった背中を追いかけ、続ける。
「確かに可愛い顔してるけどあれはどう見てもマフィアの女には向かないだろ」
 言い終わるのとほぼ同時に胸ぐらを掴まれて、路地裏に引きずり込まれた。ビルの壁面に叩きつけられて呼吸が止まる。その上、首を押さえられた。絞められるという表現はそぐわない、衝動という言葉が具現化したような行動。大きな手のひらが喉全体を覆うようにして、俺を壁に押さえつける。
「なまえ」
「何だよ」
「彼女に何かしてみろ。死ぬよりも辛い目にあわせてやる」
 獅子が唸るような声で家光が凄む。息苦しかったが、俺は笑顔を浮かべて、また、問いかける。
「俺が彼女を殺すとでも? そんなことをして俺に何のメリットがある?」
「黙れ、殺人狂が」
「こっちはもう二年も真っ当に生きてるんだ。酷いこと言うなよ、泣いちまうぞ」
 言葉につい笑いが混じる。本気で言ったのだが自分でもふざけているようにしか聞こえなかった。ハッハッという乾いた笑い声はどこかの野良犬が喘いでいるみたいで、俺にぴったりだと思った。きっと家光もそう感じたのだろう。馬鹿にしたように鼻で笑った。
「真っ当だと?」
 ぐ、と指に力が込められて気道が狭まる。
「貴様のような人間が、まともな人生を歩めると本気で思っているのか」
 酷い言い様だが、怒りは湧かなかった。どうでもいいわけじゃない。ガキの頃から蔑まれるのは日常茶飯事だったが、そんなもの慣れるようなもんじゃないから、悪態をぶつけられれば俺は今だってすぐにキレちまう。でも今の言葉は、俺に向けられているようでそうじゃないから。
 本気なんだ。家光は彼女に恋をしてる。己の人生を呪いたいくらい、本気で。
 気付いたら、家光の手を乱暴に振り払っていた。
「確かに俺は母親を殺して産まれたような生まれついてのろくでなしだが、マジで、あんたに負けたあの日から一人も殺しちゃいねえよ」
 ――見逃して欲しければ、金輪際、人を殺すな。
 それが、家光が俺に突きつけた条件だった。

 真面目な銀行員だった親父は、愛する妻が子供を産む時に死んじまってから人が変わったらしい。らしい、というのは、親父は俺が物心つく歳にはすでに立派なアル中で、真面目な銀行員だったなんて未だに信じられないからだ。一日中飲んだくれて、時折思い出したように全てお前の所為だと喚き散らしながら俺を殴る駄目男。それが俺の知っている親父の全てだった。そして、そんな真面目さの欠片もない父親に育てられた子供がまともに育つはずもない。放っておいても数年後には肝臓をやられて死んでいたに違いない糞親父を、ある日ついに刺し殺した俺は、調子に乗って、殺し屋なんてものになっていた。望んで進んだ道じゃないが、他の選択肢といったら、ハゲやデブのオッサンに犯されるか、臓器を売るか、スリぐらいだろう。痛いのも、ちまちま日銭を稼ぐのも御免だった。何より俺には殺しの才能があったんだ。数年後には、とあるファミリーのお抱えヒットマンになり、そして。

 哀れみを向けられるのは何よりも嫌いだったがそんなことを言っている場合じゃない。夕方まで降っていた雨で濡れた地面は、夜の空気と相俟って酷く冷たくて、急速に体の熱を奪っていく。流れ出た血液に体温が全て溶け出したかのようだ。寒くて、寒くて、もう痛みすら感じない。プライドも何もかなぐり捨てて、惨めな生い立ちまで喋って、俺は懇願する。
 死にたくない。助けてくれ。何でもする。俺だってボンゴレの9代目を狙うなんて大それたことはしたくなかった。でも仕方なかったんだ、ボスの命令だったんだよ。頼む。俺はこんな所で死にたくなんかない。お願いだ。
 俺が殺した奴等も同じことを言ってた。みんな、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、殺さないでくれと懇願してきた。そいつらを平然と殺してきた俺が、自分の命だけは助けて欲しいなんて自分でもおかしいと思う。だから聞き入れてもらえると信じていたわけじゃなく、喋りながら何とか覚悟を決めようとしていたんだ。だけど、涙と鼻水と血と泥にまみれながら足に縋りつく俺の姿はあまりにも惨めで憐れだったのだろう。もしかしたらブランド物の靴やスーツが汚れるのが嫌だっただけかもしれないが、ともかく家光は小さく溜め息を吐いて、頷いた。そして俺は泥水に半分顔を埋めた状態で誓いを立てた。殺しをやめる、と。

 あれから二年。裏の世界から足を洗ったわけじゃないが、殺し屋は廃業した。悪かったと謝る家光に、一発やり返したいのを我慢して、まあいいさと言ってやれるくらい、俺は暴力を振るわなくなった。
「ほらよ。ボンゴレ9代目からのお届け物だ」
 持っていた鞄を投げ渡せば、家光が目を真ん丸に見開いた。
「んだよ、俺の今の職業が何か忘れたのか? 運び屋だぞ」
「あ、ああ、でも……」
 戸惑った様子で動かない家光。仕方なく、俺が鞄を開いて中身を確認させる。
「敵はお前が日本にいることは知らないようだが、万が一のために、だと」
 口笛を吹きたくなるくらいのお宝を目にしているというのに、家光の表情は険しい。どれだけ素晴らしい性能を持った銃でも、こいつにとってはただの大嫌いな人殺しの道具なのだ。
 こういう時、どうして俺はこんな奴に負けたんだろうと疑問に思う。家光がこんな甘い奴だったからこそ今呼吸が出来ているという事実は、都合良く棚上げだ。
「暫くの間、出来るだけ人のいる場所に行くのは避けた方が良いぞ。詳しくは聞かせてもらえなかったが、一般人が周りに居ようが構わずドンパチやらかす連中らしい。ま、それぐらいの馬鹿じゃなきゃ、ボンゴレに手は出さないよな」
 家光は、疲れた様子で目の間を揉む。それから深い溜め息と共に言葉を吐き出した。
「……イタリアに戻る」
「okay,じゃあこれはイタリアに運び直しだな。ああ、運び直しと言っても改めての依頼で運ぶわけで、往復料金にはしないから」
「もっとサービスの良い運び屋に乗り換えてもいいんだぞ、なまえ」
「短気でケチな男はモテないぜ、家光」
 そう言いながらも俺は、呆れたように細められた琥珀色の瞳が堪らなくセクシーだなんて考えていた。

×

 ランチタイムを過ぎた喫茶店は閑散としていて、家光が毎日座っている席にも悠々と腰を下ろすことが出来た。
 この行為が何をもたらすかなんて解らない。何も起きない可能性の方が高いだろう。例え、二人が話をする切っ掛けとなり、その後二人が恋仲になったとして、結果、彼女がマフィアに狙われ命を落とすことになっても、それがどうしたというんだ?そもそも恋愛なんて全て当人たちの気持ち次第じゃないか。
 俺が少し動いたからって、何も起きない可能性の方が高いんだ。
「すみません」
「はい?」
 振り返った彼女の笑顔は南イタリアの太陽よりも眩しく、俺の心に深い影を落とす。まるでイカロスの羽にでもなった気分で、目深に被った帽子を一層引き下げながら、カフリンクスを差し出した。ボンゴレの紋章が刻まれたそれは、以前家光がボンゴレ9代目から貰ったのだと話していたもので、先程、奴から掠めとったものだ。スリの才能もあったなんて、まったく、自分で自分が恐ろしいぜ。
「これ、前にここに座っていた方の物だと思うんですが……」

 選ぶのは彼女と家光なんだ。
 俺は、関係ない。


未必の恋

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