なまえが言った。
 ――雷が恐い、と。
 恐怖は、リングに炎を灯すのに必要な“覚悟”とは対極をなす感情だ。だから、“この天気では戦えそうにない”と言葉が続く。スクアーロは、また下らない冗談を言い出しやがったと、嫌そうに眉間に皺を寄せた。
 だが、訴えてくる。言葉で、ではない。なまえの唇は何かに耐えるようにきつく結ばれていた。代わりに、ぐっしょりと雨に濡れた前髪の奥で震える睫毛が、その更に向こうで潤んだ瞳が、スクアーロに訴えかけてくるのだ。そして、稲光が走る度に身を竦ませる姿を見てしまっては。
 幸いにも、仕事の期限は明日の夜までだった。何とかターゲット達の根城から程近いホテルの部屋もとることができた。降り始めから変わらず未だ激しく降り続いているこの雨も、明日には止んでいることだろう。
 ふう、と息を吐きながらスクアーロは濡れそぼった銀髪を鬱陶しげに掻きあげる。一人でやれないこともなかったろうが、複数の標的がいる今回のような場合、取りこぼしを出すわけにはいかない。大体、己だけでは成功率が90パーセントを切ると判断したからこそ、二人で来たのだ。

「あーさっぱりした!」
 先程までのしおらしさは、どうやらバスルームに置いてきたようだ。もしくはシャワーに全て流されていったか。とにもかくにも、やはり自分は騙されていたらしい。スクアーロはこめかみを押さえる。怒鳴り散らさなかったのは、なまえに対する怒りよりも、何度引っ掛かったら気が済むのかという己への怒りの方が大きかったからだ。
 こいつの言うことは二度と信じない。
 騙される度にする決心をやはり今日もして、けれど同時に、再びなまえに振り回されることを今から覚悟している自分がどこかにいる。
「……風邪ひくぞぉ」
 洗いざらしの髪を揺らしミニバーを覗いているなまえに言えたのは、それだけだった。髪を拭く素振りも見せず、なまえは、本当にそうだよね、と頷いた。
「もうちょっと早く着けば雨に打たれることもなかったのになあ」
 チラリとスクアーロを見、そして深い深い溜め息を吐く。
「う゛お゛ぉい! それはテメーが出掛けにモタモタしていたからだろうがぁ! なにオレの所為にしようとしてんだあ!?」
「別に隊長が悪いなんて一言も言ってないけど。被害妄想――いや、自分が悪いっていう自覚があるのかな?」
 合点がいったとばかりになまえが手を打つ。
「てめえ……! あんな責めるような目で見といて……!」
「見てませーん」
「溜め息も吐いてただろうがぁ!」
「吐いてませーん」
 ふざけた小学生のような口調のくせに、クスクスと笑みを零す横顔は余裕たっぷりだ。これでは怒鳴っているこちらの方が子供のようではないか。スクアーロは頭を掻きながら口を閉じる。これ以上続けても余計に苛つくだけだ。
 幹部として働く実力は十二分にあるなまえが、いつまでも一隊員に甘んじているのは、この不真面目な態度が原因だろう。それならば現幹部たちは真面目なのかと聞かれればけしてそうではないが、少なくとも彼らは任務をきちんと遂行する。金の為、殺人の快感を味わう為、自身が敬う上司の為、気に入った体を手に入れる為――様々な理由からではあるが、その仕事ぶりは一様に迅速かつ鮮やかだ。
 だがなまえは違う。例え減給されようが、どれだけザンザスに凄まれようが、自分が気の乗らない仕事は絶対にしないし、途中で飽きたと言っては仕事を放り投げ周りの人間に尻拭いをさせるのも珍しいことではない。かと思えば、頼まれもしないのに誰かの仕事を代わりに片付けるときもあるのだから余計に理解しがたい。
 こいつは、一体何を考えているのか。スクアーロはいつも不思議に思う。そもそも、なまえは何故ヴァリアーにいるのだろう。彼のような人間は、組織なんてもの、一番に嫌うのではないだろうか。何よりも束縛を嫌い、自由を愛す。そんな男に見えるのに。
「隊長もシャワー浴びてきたら? 風邪ひくよ」
 隊長、とスクアーロを呼ぶ声に敬意は一切感じられない。一隊員に甘んじているのではなく、なまえ自身が肩書きに縛られるのが嫌なだけなのかもしれない。実際、なまえが命令を聞いたことなど、一度もないのだから。
 ポタリと水滴が銀髪を伝って絨毯に落ちるのを見送り、スクアーロはなまえに視線を移した。
「雷が恐いなんて嘘を吐かなくても、正直に気分じゃねえって言やあ、聞いたぜ」
「嘘じゃないって」
「そんな顔で言われて、信じられると思うのかぁ」
 隣の棚に並べてあるグラスには目もくれず直接口をつけていたボトルを置き、なまえは小首を傾げる。
「自分でも吃驚してるんだよ、こんなに平気なんてさ。……スクアーロと二人でいると安心するからかな?」
「安心なんかすんなぁ」
 無意識に口を動かしていた。なまえが目を見開き驚きを示す。珍しいその光景を、しかしスクアーロは見逃した。鋭い彼の視線は、再び足元の絨毯へと向けられていたのだ。
「スクアーロ?」
 呼びかけにも反応はない。水滴と同じく吸い込まれてしまったかのように、毛足の長い絨毯を見つめ続けている。なまえは躊躇いがちにスクアーロに近づいた。手を伸ばせば触れられる位置まで近づいたところで、スクアーロが喉を震わせる。
 彼に似合わぬ、小さな声だった。
「今、オレがお前をどうしたいと思ってるか、解ってんだろうがぁ。――んな無防備にされても困んだよ」
 なまえは目を丸くしたあとで、すぐに顔を綻ばせた。
「うん。解ってて、困らせたいんだ」

 堪らず奪った唇は、しっとりと濡れて、甘い酒の味がした。



“スクアーロ甘夢”
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