「どうしてあんなことしたの?」
 僕の前にお皿を置きながらお姉ちゃんが尋ねた。
 今日の晩ごはんは、僕の一番の大好物、お姉ちゃん特製オムライスだ。お母さんが作ったのも勿論美味しいけれど僕はお姉ちゃんが作ったオムライスが一番好きなんだ。ケチャップで描かれたボクシンググローブが消えてしまうのが勿体無くて、絵を避けるように端の方から掬う。結局全部食べるし、お姉ちゃんはグローブのことを鍋つかみだと思っているからこれもそのつもりで描かれたものなんだろうけど、それでも出来るだけ長く見ていたいんだ。
「いただきまーす」
「こらっ。ちゃんと答えるまで食べさせないからね!」
 お母さんが怒るときと少し似てるけど、迫力は比べ物にならない。怒ってると表したいのだろう、ぷうっと頬を膨らませるお姉ちゃん。全然怖くないどころかはっきり言って可愛い。こんな可愛い顔に睨まれ続けたりしたら、オムライスを吹き出してしまいそうなので、僕は仕方なくスプーンを置いた。
 何故あんなことをしたのか。つまり、僕が“さわだつな”にボディブローを食らわした、その理由だ。


 その昔、まだ幼稚園に通う子供だった僕は、友人から信じられないことを聞いた。
 ――兄弟で結婚はできない。
 その事実は、僕を酷く打ちのめした。お姉ちゃんをお嫁さんにすることが僕の夢だったからだ。僕と結婚出来ないのならば一体お姉ちゃんは誰と結婚するのだろう?僕じゃなくてお兄ちゃんと結婚するならば仕方がないと思っていたけれど(何故ならお兄ちゃんは世界一強い男の中の男だからだ)、お姉ちゃんとお兄ちゃんも兄弟だから結婚は出来ないのだ。お姉ちゃんが僕やお兄ちゃん以外の誰かと結婚するなんて絶対に許せないことだった。僕は苦悩した。でも悩み続けて数日、ふと気がついたんだ。果たしてお兄ちゃんや僕以上に強い奴がこの世界にいるのだろうか、と。弱い奴をお姉ちゃんが好きになるはずがない。もしも騙されたりとかして(だってお姉ちゃんは所謂『天然』というやつなのだ)好きになっちゃったとしても、お兄ちゃんと僕でそいつを倒して結婚を阻止すればいい。何も、心配をする必要はないではないか。
 安心して幼稚園を卒園した僕は小学生になった。お姉ちゃんは中学生になった。お兄ちゃんは中学三年生になったけど本当は二年生だった。
 そして、お姉ちゃんとお兄ちゃんの口から、あいつの名前が出るようになった。
 楽しそうに奴の話をするお姉ちゃん。嬉しそうに奴の話をするお兄ちゃん。去年まではそれをずっと我慢して聞いていた。だが小学二年生という大人になった僕は、今日ついに行動を起こした。もしお姉ちゃんが悪いやつに騙されたらそいつを極限に倒す。幼稚園の頃から決めていた、そのままに。

「……お兄ちゃんの極限ラッシュをかわした人なら、あれぐらい平気だと思ったんだもん」
 理由になってないと自分でも思うけど、僕が答えられるのはこれだけだった。お兄ちゃんとお姉ちゃんが褒めそやす“さわだつな”が本当に強い男なのか試す為に殴っただなんて、言えるはずもない。その為にわざと鍵を忘れたってことも絶対に秘密だ。
「まぐれだったんじゃないの? あいつ凄い弱いじゃん。二人の話とは全然違うからびっくりした」
 一発で沈んだ奴の姿を思い出しながら言うと、それまで黙って聞いていた――というよりオムライスに夢中だったお兄ちゃんがハハハと笑った。話、ちゃんと聞いてたんだ。
「沢田のことだ。わざと攻撃を受けたのだろう」
「えー? あれはどう見ても本気で苦しみ悶えてたよ」
 お兄ちゃんは実際に見ていないから解らないだろうけど、あれは絶対にマジだった。なのに現場にいたはずのお姉ちゃんまでもがあいつを庇う。
「ツナくん優しいから、なまえに付き合ってくれたんだよ。前にツナくん家に行ったときも、リボーンくんにやられた振りしてたし。泡まで出して凄かったよー、ツナくん演技上手なの」
 お姉ちゃんが奴のことを褒めるとイライラしちゃうんだけど、この時は違った。
「リボーン?」
「あれ、話したことなかったっけ。ツナくんのイトコなんだよ」
「……もしかして、スーツ着ておしゃぶり下げた赤ちゃん?」
「そうそう! なまえ、知ってるの?」
「今日、並中出たところで会ったよ。いきなり、ファミリーに入らないかとかなんとか声掛けてきた」
 変な子だった。赤ちゃんのくせに大人みたいな喋り方してさ。“背伸びしたいお年頃”ってやつなんだろうけど。
「お友達になったんだ?」
「まあ、子供の相手をするのは大人の男として当然だから、ファミリーに入ってあげてもいいよって答えたけど。あと一人じゃ危ないから家まで送ってあげたよ」
「なんと! 極限に偉いではないか!」
「ふふ、なまえは優しいね」
 二人に褒められると少しくすぐったい。前までは、こんな風に、当然のことをしただけなのに大袈裟に褒められたりすると極限にプンスカしていた――子供扱いされている気がしたのだ――僕だけど、今では素直に受け取ることができる。あの頃の僕は子供だったな、と思い出していると、お兄ちゃんが急に真面目な顔をして僕の名前を呼んだ。
「だがな、なまえ。沢田にいきなり拳を向けたことは感心できん。不意打ちなどという卑怯な行為を俺は教えた覚えはないぞ」
 心臓が跳ねた。
 僕を見るお兄ちゃんの眼は真剣だった。いつも僕やお姉ちゃんに向ける優しいそれではなく、またリングの上で見せる厳しい眼とも似てるけど少し違う。
 僕はギュッと拳を握る。今になって、自分が何をしたのかようやく認識した。この拳は、あんなことをする為にあるんじゃない。どうしてそれに気がつけなかったのだろう。
「……ごめんなさい」
 涙が零れてしまいそうで俯いた。情けない。これ以上、お兄ちゃんに呆れられたくなかった。
「俺に謝っても仕方がないだろう」
 奥歯を噛み締めて我慢していたのに、お兄ちゃんが頭を撫でてくるから、堪えきれなかった。
「あとでツナくんに電話しようか」
「……自分で、ちゃんと謝りにい、くから……、いい……っ」
「でもいきなり行ったりしたら迷惑になるから、あとでお姉ちゃんがツナくんに都合を聞いてみるね」
 お姉ちゃんがハンカチで僕の顔を拭う。ひっくひっくとしゃくりあげる僕が落ち着くのを、お兄ちゃんとお姉ちゃんは呆れた様子もなく優しく待っていてくれた。

「どうせならスパーリングを申し込んだらどうだ?」
 お兄ちゃんが良いことを思いついた、という顔でそう言ったのは、僕がオムライスを殆ど食べ終えたあたりだった。
「なまえは正々堂々戦う姿を見せて反省を示せるし、沢田もボクシングに興味を持つ。一石二鳥ではないか!」
「うん! それがいい! 僕、さわだつなとスパーリングする!」
 やっぱりお兄ちゃんは凄い。なんて素晴らしいことを考えつくのだろう!
「お姉ちゃん! 早くさわだつなに電話して! 今すぐ!」
「もー。二人とも、ツナくんに無理強いしたらだめだからね」
 お姉ちゃんは笑いながら、電話をするために立ち上がった。

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