夕陽が青色のステンドグラスをとおしアーチ型の天井近くに在る我が主を象りつくられたモノをうつくしく彩った日。わたしはその日、はじめて彼をみつけた。祈りを捧げるでもなく、それどころか我が主に軽蔑のまなざしを送っているようにさえ思わせるほど凍てついた彼のひとみから、わたしはどうして、ああ、目をはなすことができないのだろう。どこから湧き出る感情か震えそうになる声を飲み込んで、もし、そこのお方。肩を一瞬だけ強ばらせた小さな背中がゆっくりと振り返り、そのまなざしが私を見つけたとき、わたしは理由もわからず、このちいさな生き物のために祈りたくなって、どうか、どうかと心の中で強く両手を握りしめた。アーメン。
「もし。どう、なされたのです」
 教会にくる人々は、もってくる理由こそ違えど、みな平等に自身に降りかかった不幸を嘆き、我が主に助けを求めにくる。そしてわたしはそのたびに、主の使いとしてみにくいことを考えてしまうのだ。じぶんの為に祈りを捧げる汚らわしいお前たち、主はお前たちに救済など与えない!わたしは知っているぞ、お前たちなんかよりも清らかで、お前たちなんかよりも救済に値する人間がたくさんいることを。わたしは知っているぞ、お前たちなんかよりも主の助けを必要としている貧しい人々こそが、この聖域にたどり着けないというせかいの矛盾を!……わたしはその小さな彼が、そんなせかいの矛盾にあらがいたどり着いた貴い存在に思えたが、また同時に、彼にこの聖域はふさわしくないとすらも思った。それは、彼のひとみに宿る憎悪の色だったり、そのまなざしが我が主に向いていることだったり、それは、到底こんな小さな身体に決しておさまるはずの無い、絶望だったり。こがね色の髪がゆったりと揺れ、彼はそこでようやく目だけでなく、主へ向けていたその小さな身体のすべてで私をみつけて青ざめた唇を開いた。
「あなたは何故祈る」
「主がわたしに与えた使命だからです」
「神などいないのに?」
 彼の声は彼の瞳と同じほどに心底冷え切っているようだった。わたしはその全てにゾクゾクとして、あの日の、いつかの小さな子供と目の前のこの小さな彼とを重ねずにはいられなかったのだ。
 わたしがあの小さな子供をはじめて見つけたのはもう随分遠い昔のことになる。なんてことはない貧しい街で、彼のそれとは比べるまでも無い浅い絶望と、彼のそれとは比べるまでも無い軽い疑心を孕んだまなざしを振りまく、なんてことはないみにくい子供だった。愛なんて知らないような栄養の偏った貧相な身体で、それでも母親とその日その日を生き延びることに必死で、小さな身体にペニスなんか突っ込まれて金を貰って、ああ、なんて、きたないんだろう。金のために身体を差し出すその小さな子供も、子供に欲望をぶつける男も、そしてそれを仲介する母親も!……なんてことはない世界のどこにでもいる貧民のそんな生き様に、きっとその小さな子供は思っていたことだろう。神様なんてものはどこにもいない、いるとしたら、そいつはとんでもないクソ野郎だ!……わたしはその小さな子供に、我が主のことを教えてあげたくてたまらなくなったが、ああ、我が主、わたしの醜さをお許しください。わたしは、その小さな汚らわしい子供にあなたの教えを与えることがあまりにも躊躇われたのです。
 わたしはその小さな子供に何をするわけでもなくただ見ているだけだったし、もしかしたらその小さな子供も、どきどきわたしを見ていたかもしれない。わたしは数え切れないほど彼女を見つけ、そのたびに顔をゆがめ、その醜さに、怯えもした。
「なぜ黙る。シスターなら、私の答えを否定するべきだ」
 こがね色の彼は黙り込んでしまったわたしに怪訝な顔でそう言った。形の整った唇は潤いを失い今にも血が滲みそうで、わたしは嫌になってゆっくりと目を離す。あの小さな子供は、いつだって身体の何処かしらに血を滲ませて、そうでない日はなかった。
 わたしが小さな子供を見つけたのは、その雨の日が最後だった。突然振り出した大雨に身体を打たれながら走り回る彼女を、わたしは見つけて、その身体のなかにそれだけの力が残っていたことにも驚いたし、自身がそのとき彼女に対して、いままでになく明確な感情を抱いたことにも驚かざるを得なかった。死んでしまえよ、それがいいって、わかってるくせに。
 そんな感情を抱いて私は泣いていた。こんな、みにくいだけの子供のために、雨なのか涙なのかわからくなるほどに泣いた。顔を歪ませて、息を切らせて、気の狂った母親からそれでも必死に逃げ回る小さな子供も、もしかしたらわたしと同じ様に泣いていたかもしれない。ああ、なんだ、お前は
 生きたかったのね……
「……私はあなたに、神を信じろとは言いません」
 こがねの彼は、そこではじめて彼自身のひとみで私を見つめた。憎しみも悲しみも絶望もない純粋な彼自身の目は私を映すにはもったいないほど綺麗だった。
「あなたが信じなくても、私はあなたのために祈ります」
 我が主の救済は、わたしたち人間が魂の存在となったとき、その魂を救ってくださることを意味している。それは、どれだけ祈ろうと、どれだけ教会に金を寄付しようと、決して変わることのない決まりなのに、そんなことも知らずに、神様、神様、ああ、救いたまえ!……なんてバカな人間たち。あいつもそいつも、そして、私も。
 ああ、しかし、我が主。私達人間という愚かしい生き物は、生きているあいだに救いを求めてしまうどうしようもない存在なのです。このような生き物をつくられた我が主、あなたのそのたった一つの失敗に免じて、どうかこの貴い彼に救済を与えてはくれませんか。どうか、母から私を助けてくださった、あの雨の日のように。
 彼はしずかに目を閉じる。朱い陽が夜の帷に溶けた世界で、私は祈る。


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