水と非常食、応急処置セット、ライト。何を持っていけば良いのかわからなかったので、とりあえずクロロはこれだけをリュックに詰め込んだ。十分な下調べも出来ず、頼れる仲間も連れていけず。難易度Aに挑むのは久しぶりだろうか。死の予感はない。死ぬつもりもない。しかし手こずるだろう。なにせクロロが挑戦しようとしているのは、一度入れば二度と口を開くことは出来ないと言われている、世界の端っこにある〈奇跡の洞窟〉なのだから。
 と、いったものの、実はこの洞窟は人によって呼び方が違う。ある人は幻と呼び、また違う人は神と呼び、もしくは、奇跡だと呼ぶ。そう有名な洞窟でもない。知っているのは現地の人間か、よっぽどの物好きだろう。世界中にいくつもある洞窟のひとつに過ぎない。最深部に何があるのか誰も知らない不思議さが魅力かと思えば、意外とそうでもない。「何もない」という説が有効だからである。その上、誰がかけたのだろう厄介な念もかかっているときた。生半可な実力しか持っていない者は誰一人と帰還して来なかったそうだが、強者はしっかり生還しており、その生還者が口を揃えて「何もなかった」と言い、現に何も手にしていなかったので、ただただ厄介な洞窟という印象だけが残ったのである。
 そう、生還した人間は少なくないのだ。それにも関わらず洞窟のいかなる些細な情報さえどこにも残っていない、不思議としかいいようのない洞窟。口を開くことは出来ないと言われている所以は、生還者が洞窟についての一切を話さないという点にある。しかし一つだけ判明していることもあった。
 奇跡の洞窟は仲間と入ろうとする者を拒む。


「奇跡の洞窟? 聞いたことないな。金銀財宝でも眠ってたりする?」
「眠っていたらシャルも聞いたことがあるだろう。生還者は皆口を揃えて「洞窟の奥には何もない」と言っている」
「なにそれ。じゃあないんじゃん」
「少し前に生還者と話したんだが、何もないと言う割に表情は晴れやかでな。何もなかった顔ではないだろう」
 何かはあるのさ、とクロロは続けた。
 本拠地には数人団員が帰ってきているがそれぞれ自室で過ごしていたり出掛けていたりと、団欒室にいるのはクロロとシャルナークだけである。意味もなくつけっぱなしにされているテレビからは自動車事故のニュースが流れ、今ではBGMと化していた。
「それどこにあるの? 暇なヤツ声かけて行こうよ。オレは参加ね」
「いや、それが出来ないんだ。洞窟には「仲間と挑もうとする人間を拒む」念がかけられている。1人じゃないと入れない」
「うわ、なにその嫌がらせに特化した念。1人ずつ入ってって中で待ち合わせは?」
「出来ると思うか?」
「はいはい、我ながら稚拙な考えでした」
 シャルナークは水をリュックにせっせと詰めるクロロの手元を見た。水さえあればなんとかなるのでリュックのなかは圧倒的に水が占めている。最初から1人で行くつもりか、とシャルナークは納得してから、いつ行くのかと尋ねた。今からだと返ってきたので思わず前のめりに倒れそうになった。
「今から?」
「本拠地に来たのは忘れ物を取りに来ただけだし、もう用意も終わる。洞窟まで2週間かかるんだ、出発は早いほうがいいだろ」
「忘れ物?」
 クロロはリュックの端っこに詰めているものを指差した。今から生死をかけた冒険へ行くというのに、そこにあったのは本である。
「いつの間にか本棚の裏に落としていたらしくてすっかり忘れてたんだが、思い出したらいてもたってもいられなくなってな。半年前に買ったんだが」
 シャルナークもさすがに呆れた。
 飛行船を乗り継ぎ、機関車に揺られ、また飛行船に乗り、バスに揺られ、ヒッチハイクしたキャンプカーで陽気な連中と2泊3日を過ごし、クロロはようやく洞窟近くにある村までやってきた。宿を取り、現地の人間に話を聞いてから洞窟へ向かおうとしていたクロロを引き留めたのは、声をかけること7人目の村人である。前の6人からは何も知らない、申し訳ないとしか聞き出せなかったのである。
「やめときなさい。あの洞窟には金目のものは何もないぞ」
 ようやく有益な情報を得られるかと思いきや、聞けば誰が流したのか「洞窟の奥にはこの世のものとは思えない素晴らしい宝石が眠っている」という噂が村に広がったことがあり、欲にくらんだ村の若い連中がこぞって洞窟へと入ったが、誰一人として帰ってくることはなかったそうだ。話をしてくれた老人の息子もその一人らしい。
 話を聞いて、クロロはおかしなことに気がついた。
「あの洞窟は確か「仲間と入れない」のではありませんでした?」
「ああ、入れんな」
「しかし村人がこぞって入れたということは、いわゆる仲間との…………あ」
「悲しいがそういうことだ」
 洞窟は仲間との侵入を拒否する。洞窟内で待ち合わせも出来ず、1人が洞窟内にいる限りその仲間は洞窟へ足を踏み入れることが叶わないのだ。村人がこぞって入れたというのは、つまり誰も仲間でなかったということになる。洞窟に挑戦した村人の大半が宝石は自分のものだと……独占しようとしたのだろう。洞窟内で殺し合いすらあったに違いない。
「何奴が吹聴したから知らんが、宝石の噂は村内で留っておるのがせめてもの救いだ。これ以上死者が出るのは心が痛むでな」
「へえ。すぐにでも広がりそうな話ですが」
 よく留めておけますね、と感心した風にクロロは頷いた。老人が言う。箝口令を引いている、話すのは挑戦せんとしているものだけにしていると。
「ワシらの話を聞いてなら止めておこうと引き返したヤツは誰もおらん。みな洞窟に向かう」
 あんたもだろうと老人は言った。クロロは答えなかった。
 クロロは宿に戻るとベッドの縁に腰掛け、開いた窓から夜の空を眺めた。気持ちの良い風だ。そのままうしろにポスリと倒れながら考える、何か意図があるのだろうとクロロもあえて尋ねなかったが、あの老人が生還者の話を一切持ち出しなかった理由を。
 知らないということもないだろう。生還者は多くはないが、少なくもないのだ。クロロが知っているだけで5人はいるし、おそらく探せばもっといるはずだ。しかし老人はその話を出さなかった。言えば良いはずだ。生還者は宝も何も持って帰ってはきやしなかったと。奥には何もないと言っていたと。
 おそらく老人、いや、もしかしたら他の村人も、奥にあるものを知っているのではないだろうか。箝口令は宝石の噂ではなく、奥にある「何か」に対して敷かれているのではないだろうか……。
 靄こそ白くかかっているが、空気は瑞々しく澄んでいる。草木は露に濡れ、地面はしっとり濡れいた。雨は降っていない。この村は気候の関係で、毎朝、雨上がりのような状態と化すのだ。
 クロロは朝一番に起き支度を済ませるとリュックを背負い、まだ人の姿もあまりない村をしんしんと歩いた。足音こそしなかったが、確かにクロロが通ったということを、湿った地面の足跡が示していた。洞窟まではそう離れてはいない。およそ5キロをクロロは息切れひとつせず歩き続け、今や涼しい顔で洞窟の入り口から深い暗闇をじいっと眼差している。村から洞窟まではなかなか険しい道が続いているのだが、彼にとってはちょっとした砂利道程度の感覚だったらしい。
 ランプをつけ右手に持つ。足を一歩踏み入れる。慎重に進んでいく。入り口からそう離れていないというのにすっかり暗い一本道を、クロロは臆することなく歩いた。蝙蝠やヤモリ、虫……そんな類いの気配がした。1人よりは遥かに良い。この小さな生物たちが心の支えになる探検家もいるはずだ。しかしあいにくクロロにとっては警戒の対象であった、手練れほどそうなる、この小さな生物たちの恐ろしさを理解している。数は驚異だ。クロロは洞窟内のあらゆるものを刺激せんと動いた。道は一本道だ。灯りと共に彼は進んだ。なんてことはない、罠も仕掛けもない一本道。五キロ歩いたか、10キロ歩いたか。暗闇。ずっと一本道。ひたすら、一本の道を歩かされている。それでもクロロは歩みを止めずに進んだ。
 クロロの感覚ではおそらく20キロ歩いた頃、ようやく分岐点が現れた。一人がなんとか通れそうな狭い右の道、フランクリンほどの巨体でも通れそうな左の道である。せめてそこから汲み取れる情報だけでも最大限に掴もうと、クロロはじいっと2本の道を見比べた。壁の質感も、風も、匂いも一緒に思える。ざらざらした壁だ……となると、人が通る度に僅かだが削れていくだろう。つまり幅が狭い道は、今まであまり選ばれなかった道。おそらくこちらに行けば良い。
 クロロはつっかえつっかえに右の道を進んでいき、段々と水の気配が濃くなっていることに気が付いた。近くに水がある。流れている音はしないので溜まった状態だろうか。道の幅が少しだけ広くなり幾分か歩きやすくなったが、それでもまだ壁をうんしょうんしょと押し退けるようにしか進めない。足を一歩踏み出し、ピタリと留まる。思わず冷や汗を流す。
 あまりにも急に道が終わっていたのだ。足を引っ込め、辺りを見渡す。まるで切り取られたような断面。崖。そう高くはない上に水も溜まっているのでおそらく落ちても死にはしないが、生き物の気配が全くないところを見るにただの水ではなさそうだ。クロロはポケットからコインを取り出すとそれを水に投げ入れた。コインはみるみるうちに溶け、あっという間になくなった。なるほど、ごみ処理業者や殺人鬼なら喜びそうだ。
 念の罠だとクロロは感じざるを得なかった。細心の注意を払っていたにも関わらず、そこに道が続いていないと理解したのは足を踏み出した瞬間だ。踏み出す直前まで、自分は確かにそこに先を見ていた。仲間と入れない念がかけられている時点で一筋縄ではいかないことなど承知していたが、実感すると改めて厄介である。
 身を乗りだし崖の断面を見渡せば、あの、左の道の終わりであろう穴が隣に見えた。クロロはこの狭い道をうんしょうんしょと手で押しながら歩いてきたが、左の穴は広かった。身を捩る必要がないほどに。これで同じく突然足場がなくなれば、飛行能力でもあれば別だろうが、おそらくあの水に落ちる人間が大半だろう。クロロが助かったのはこの道が狭かったからだ。
「……先が思いやられるな」
 クロロは溜め息を吐いてから進めそうな道を探し、それがこの穴の真上にあると知って軽く崖を登った。先人たちも登ってきたのだろう、岩肌には何ヵ所か杭が打ち込まれていたので、クロロはそれを足場にすいすいと登ることが出来たのだ。
 またしばらく細い道が続いた。随分暗い場所だ、ライトの光でさえも吸い込まれてしまいそうなほどの深い闇。壁のなかからだろうか、水の流れる音が聞こえる。かなりハッキリと。
 おそらく、その音に注意をとられる人間が多いはずである。意識がそちらへ向けられ、足元にあるボタンを、踏ませるために。
 クロロも確かに音の方へ注意を向けた。このカラクリをつくった誰かの狙いどおり、足元にあるボタンにも足をかけた。が、体重を乗せる前に素早く足を引っ込めたのだから、見事としか言いようがない。クロロはボタンを踏むことなく進んだ。いや、正確には進もうとした。
「おうい、誰かいるのかあ」
 声がした。壁のなかを伝う水の音よりも小さくくぐもった声だ。
「助けてくれえ。罠を踏んじまったんだ」
 クロロはボタンの位置にまで戻ると、膝を折り地面に耳を当てた。「誰かいるのか」それからなるだけ大きな声で叫んだ。いるのか、いるのか、と彼の言葉が暗闇に反響する。
「ああ、ああ。ここだ。落ちちまった。そこにあるボタンを踏んじまったんだ」
「このボタンは落とし穴なのか」
「そうだ。その辺りに他にボタンはないか? トラップの近くにはそれを解除する仕掛けが付き物なんだが」
「探してみるから待っててくれ」
 クロロはライトで辺りを照らし、壁にボタンがついていることを知った。ボタンを見比べる。他の罠かもしれなかったが、色も形も同じだったので、対になっているものと想定し、押した。大きくガコンと音が鳴り地面が開いた。
「助かった。ロープはないか」
 穴を覗けば男がひとり、5メートルほどの距離だろうか、大きく両手を振っている。下はぽっかり空洞が空いているだけで他には何もなく、本当にただの落とし穴となっている。クロロは男と空間の両方を一瞬で確認すると声を上げた。
「ロープは持ってきてないんだ」
「分かった、投げるから受け取ってくれ。縛りつけられそうな場所はあるか」
「ない。オレが持っておくよ」
 と答えながらクロロは飛んできたロープを難なくキャッチした。男が困ったように言う。
「おいおい、それじゃあお前さんまで落ちちまう」
「平気さ。安心して登ってくれ」
 クロロがロープを下に降ろすと、男はそれを伝って登ってきた。彼の担いでいる大きなリュックが重たいのだろう、歯を食いしばるくらいには辛かったが、宣言した通りまあ平気の範囲内である。無事に男が穴からの脱出に成功した。無精髭を生やし、ノースリーブのタンクトップからのぞく二の腕は逞しく、優しく穏やかな瞳のなかに野生の獣のような眼差しが潜んでいる。しかしワイルドな雰囲気とは裏腹に笑顔は随分朗らかで「本当に助かった。命の恩人だ、感謝してもしきれないぜ」と何度もペコペコ頭を下げている。クロロは感謝の言葉を適当に受け流し、男をじっと眼差した。強い。罠にかかった哀れな挑戦者というポジションが似合わないほどには。サシで闘っても良い勝負が出来るだろうとクロロは男を評価した。その間も男はずっと笑顔で礼を述べていたのだが、彼はほとんど聞いていなかった。
「あのままじゃあ死んじまってたぜ。いや〜、お前さんが来てくれて良かったよ!」
 道が狭いので隣には並べず、男はクロロを振り向きながら話した。危ないぞ前を見ろ、と溜め息混じりにクロロが注意を促す。
「挑戦者は三人通りがかったんだが、どいつも無視して行っちまってよ。Boo、血も涙もないヤツらだぜ……!」
「穴に落ちてどれくらい経ったんだ?」
「あ〜……91日だ。もうすぐで3ヶ月経っちまう」
 いや〜参ったねと頭を掻く男の後ろ姿を見てギョッとする。あの何もない穴に3ヶ月もいたという割に男はそこまで消耗しているようには見えず、クロロは疑問に思ったままを口にした。男は何てことはないと答えた。大量に持ってきていた水と、少しの缶詰で堪え忍んだと。クロロは一応頷いたが、真に求めていた答えはそこではない、あの暗闇のなか、助けが来るかも絶望的な場所で、3ヶ月もの間折れなかった、その凄まじい精神力。大量の本とデスクライトでもあれば話は別だが、同じ状況に遭って流石に笑える自信はない。タダ者では無さそうだとクロロは単刀直入に尋ねた。「ハンターか?」男は答えた。
「違う。ライセンスは持ってないし、名乗ってもないからアマチュアでもない」
「だが念は使えるだろ」
「念使えりゃ誰でもハンターって訳でもなかろうに。お前さんだってハンターじゃないだろ?」
「オレはライセンスを持ってる」
「Oops! 珍しく外した。オレァ人を見る目には自信があるんだが」
 唯一の特技だったんだが鈍っちまったようだと男はションボリした風に唇を尖らせた。いい歳の男がしても可愛くない動作ナンバーワンである。クロロからは見えなかったのは幸いかもしれない、もしくは見えていても特別何も思わなかったか。2人は暗闇を歩き続けた。会話はしつつ、もちろん細心の注意を払いながら。
 男は探検家だと自称した。ハンターしか入れない場所も開拓するべくライセンスを取るつもりはあるようだが、試験を受けようと思いはじめてから随分経ってしまい、機会を逃し続けているらしい。
「でも欲しいとは思うよ。あると便利なんだろ」
「かなり」
「いいねェ〜、売ったら人生7回は余裕で遊べる代物か。お宝は大好きさ」
「ということはこの洞窟にも財宝目当てか?」
「ん? まあ、そんなところだよ。噂を確かめに来たってかな」
 細い道が終わり、クロロはリュックに占領されていた視界からようやく解放され、男の隣に並ぶことが出来た。ぽっかり開いた何もない広い空間の先、道は二手に分かれている。縦穴の道だ、今まで同様、2歩先は闇である。「2択と見せかけて3択目があったりしてな」笑いながら壁を小突いている男を通りすぎ、クロロは二つの道を見比べた。道と道の間にハンター文字が乱暴に掘り刻まれている。
「大気圏を超え宇宙の彼方へ?」
 クロロの後ろから男がそれを読み上げた。なんじゃこりゃ、と唸る男を無視し、二つの道を見比べる。壁を触り顔を近付けライトで照らすとクロロは「なるほど」伏せ目がちに微笑んだ。
「任せろ。本職だ」
 右の道に男を手招きすると、よく見てみろとクロロは壁を示した。なんだこっちの道が正解なのか、と男は尋ねながら示された通り壁を見るが、壁は壁だ、岩肌は見てもも触っても間違いなくザラザラしている。男は素直にザラザラしてるな、と感想を声に出した。クロロはそれが面白かったのか「ハハハ」といかにも愉快そうに笑う。
「よく見てくれ。ここの壁、一面にダイヤモンドが埋まってるんだ。勿論原石だが。無色透明なものが多い……素晴らしいな、この道一面にこれが続いてるとすれば国が買える」
「ダイヤが埋まってんのは分かったよ。大気圏を超えってのは何なんだ? 宇宙にまで届く札束か?」
「違うよ。隣の道に行こう」
 男はクロロに肩を押されるまま左の道へと移動した。どうせ壁を見ろと言われるのは目に見えているので最初からそうしたが、右の道と全く同じに見える。つまりこちらの道にもダイヤモンドの原石が埋まっているのだ。「どっちも同じじゃねえか」男の回答にクロロは、どこか満足げに口角を釣り上げた。「そう見えるか」と。
「冒険家だったな。お宝は好きだと」
「Yeah」
「モアサナイトは知ってるか?」
「ああ、人工ダイヤモンドだろう」「市場に出回っているのは大概そうだ。しかしモアサナイトは本来隕石から発見された宝石を指す」
「隕石……てことは、そうか、宇宙の彼方だぜ!」
「そういうことだ。だがモアサナイトとダイヤモンドは非常に似ていて見分けがつきにくい」
「なるほど。しかしお前さんには分かる」
 本職なんだろうと男がニヤリと笑う。
 硬度の高さも眩い輝きも等しく似ているため素人がモアサナイトとダイヤモンドの見分けをつけることは難しいんだが、とクロロは解説しながらライトで壁を照らした。キラキラと壁が光る、岩と岩の隙間から星が覗いているような、まるで夜空の如く。
「モアサナイトはその輝きでダイヤモンドを上回る」
「はァ〜!」
「進もう。しかし素晴らしいな、モアサナイトの原石をまさかこんなところでお目にかかれるとは……」
 道は2人が並んで歩くには十分な広さだったので、クロロは先ほどとは違い男のリュックに行く手を圧迫されることなく、モアサナイトの壁を思う存分に堪能出来た。クロロの様子を見て、ひとつかふたつ採っておくかと男が提案するがクロロはあっさり「オレはいい」と断ってしまった。こうして眺めるから美しい、手に取ってしまうとすぐに飽きてしまうだろうからという理由を添えて。
「そういうアンタはどうだ? 採掘する時間ぐらい待ってやるよ」
「いや、お前さんと同意見だ」
 男は心の底から満足そうに首を振る。クロロは男を一瞥してから、再びモアサナイトへ意識を向けた。
「Hmmm、トレジャーハンターか……正直見えないぜ」
「ん……?」
「おいおい本職なんだろ? まさか宝石商でもやってんのかい」
「ああ、その話か。ライセンスは持ってるがハンターではないし、宝石商なんて柄でもないよ。しがない盗賊さ」
「ハハハハ、そうか! そいつはいい。よっぽど似合ってる」
「……取り難い言葉だな。どう解釈すれば?」
「お好きに。いやァ、賊は嫌いだがお前さんのことは嫌いになれそうにないね。こんなに楽しい気分は久しぶりだ」
 クロロはそれは良かったと相槌を打った。適当感は否めないが男は気にしていないようだ。
「もう随分と昔だが、ジンという少年に会ったことがある。お前さんはどこか彼に似ているよ。まさにワンダーラストに取り憑かれたような少年だった」
 男は懐かしそうに目を細めた。
「以前はオレもそうだった。世界中の秘境を巡った。未知という言葉にどれだけ駆り立てられたかな。アイツの瞳の煌めき……つい若い頃の自分と重ねたよ」
「以前? 今は違うのか」
「ん〜、まあ、人には世界のどっかに命をかけて守りたい場所っつーもんが絶対あるんだよ。それが宿命だ。お前さんにもいつか見つかるさ」
「もうあるよ」
 クロロは迷いなく答えた。
「オレの居場所はそこしかない」
 道が途絶えたので、2人は会話を止め目の前の景色を眺めた。目の前に広がる湖に、お互い顔を見合わせ、また湖を見やる。コインを水に投げ入れてみれば、案の定石は溶けてなくなった。湖といってもそこまで大きくはない、せいぜい25メートルといったところだろうか。泳いでいくには簡単だが、向こう岸にたどり着く前に髪の毛一本でさえ残らないだろう。クロロが男をチラリと見る。
「アンタ飛べたりしないか」
「羽でもついてるように見えんのかい。どんな羽かぜひ聞きたいね」
「壁を伝って移動しろってことか……荷物はまず置いていくしかないな」
「Ugh、ガン無視決めやがった。まあいい、聞け聞け。オレだって伊達に長いこと穴ん中いたわけじゃねえよ」
 クロロは思案を止め顔を上げた。
「策があるのか?」
「ああ。この不思議な液体だかな、普通の水と混ぜると凍結するんだ。一度固まれば数時間はそのままだぜ」
「水か。……だがオレとアンタの持ち水を合わせても心許なくないか」
「水ならここにある」
 コツコツと岩肌を叩く男の顔は得意気だが、クロロはすぐに否定した。「壁内に巡っている水が普通の水だと何故言える?」「生き物だよ」男も間髪いれずに返した。クロロがじっと壁を見つめてから納得したように頷いたので、理解が早いな、と男は感心して笑った。
「ここに来るまでに生き物はいなかったかい」
「ヤモリもコウモリも。何度か見かけた」
「この水は飲めない。なら彼らは一体何を飲んで生きている? 答えがこれさ」
 そう、彼らは壁を這って移動する。
「なるほど。壁内の水は安全、か」
「Yeah! 保証する」
「それで? 問題は壁から水を放出させなきゃいけないわけだが」
「ここからがオレの仕事さ。力業なら」
 男はリュックを置き、膝を折り曲げた。
「得意分野だよ」
 脚にぐっと力を入れ、高さ20メートルはあろう洞窟の天井近くにまで軽く跳躍。壁に向かって大きくかつ勢いよく腕を振り上げれば大砲のような拳が岩肌を砕き、勢いよく水が溢れ出した。豪瀑。たちまち湖が凍りつく。
 岩壁内から強制的に外へ放出された水は、男だけでは飽き足らず下で待機していたクロロの全身ももれなくぐっしょり濡らした。ひえ〜と叫びつつ男が滝を割って姿を現す。どちらともなくハイタッチ、リュックを背負い凍った湖上を並んで歩く。
「跳べるじゃないか」
「ハハハ、ウサギには負けねェよ」
 クロロは額から包帯を取り、前髪をくしゃりとかきあげた。男も何とか水気を切ろうと、犬のように顔を振ったり、タンクトップを絞ったりしている。炎の罠でも出てきてくれりゃあ有難いなと盛り上がり、そのうち洞窟にかけられた念の話題となった。切り出したのはクロロだ、男はもう少し好きな酒について話していたかった様子で、ややつまらなさそうな顔をした。いや、つまらなさそうというよりは、興味がないような。
「なんのためにかけたと思う?」
「お宝を独り占めしたかったのさ。欲深いヤツだよ」
「ただの欲でかけた念にしては大掛かりだから気になってるんだ」
 強欲なのさと笑いながら男はタオルで腕を拭った。
「何にせよ見ないことには分からねェよ」
「それもそうだ。早いところ拝ませてもらうとしよう」
 クロロはリュックを肩から降ろしその場に投げ置く。男もそうした。ニヤリと笑いながら。
「ここを通らせてもらってな」
 2人の目の前に現れた全長5メートルはあろう泥で出来たデカブツは、おそらくこう呼ぶにふさわしいであろう。ゴーレムと。
 実物と出くわすのは初めてだ、と感嘆の溜め息を吐くクロロに男が「こんなもんホイホイいてたまるか」と苦笑する。2人はさてゴーレムをどうするかと指差し、案外話が通じるかもしれない、いや今のうちに一気に勝負を決めるべきだと話し合った。それだけの余裕があったのだ。なぜならゴーレムは、クロロたちから行く手を守るように目を閉じたまま座っているだけで、一向に襲ってくる気配がないからである。
「泥なんだから崩しゃ終いだ。寝てる隙にやっちまおう」
「初手から乱暴だな。アンタ女にモテないだろ」
「かっ関係ねェ!」
「図星か」
 うるせぇな見てろよ、と男がゴーレムに向かって五歩進んだ瞬間、触発されたようにゴーレムが突然起き上がり、雄叫びを上げながらその巨大な拳を男へと振り上げた。凄まじいスピードだったが男は間一髪でなんとか避ける。が、攻撃は止まない。攻防一方、必死でゴーレムの拳をかわし続ける男を一瞥した後、クロロは決して二人に近付くことなくゴーレムへと話しかけた。
「会話は出来るのか」
「ウオオオオオ」
「ここ、勝手に通らせてもらうぞ」
「ウオオオオオ」
「Hey! ヘルプッ! Hey!」
「助かるよ」
「囮かオレは!」
 ゴーレムの攻撃から逃げ回っている男を尻目に、クロロはリュックを背負い進もうとしたが、そう簡単に通らせてくれるものでもなく。ゴーレムは標的を男からクロロに切り替えたらしい、ものすごい速度でクロロの元へ駆けると勢いよく拳を振り下ろした。斜め後ろへ跳びながらリュックを投げ捨て、ゴーレムのアームに着地、顔目掛けて跳躍、回し蹴り、ジャストミートだが手応えはない。「堅いな」呟いてから距離を取る。咄嗟に投げたリュックがゴーレムの大きな足にぐしゃりと踏み潰され、ペットボトルから溢れた水がリュックから広がるまでを見てクロロは顔をしかめた。男が「あちゃあ」と十字を切る。
「弱ったな。これじゃ穴に落ちれない」
「ハハハ、そんときゃオレが引っ張るさ」
「そいつはどうも」
「で、どうする」
 何てことはない、とクロロはケロリとした表情で言い放った。ゴーレムは二人から道を守るように立っており、追撃してくる様子はない。
「アイツ、どうにも一度に1人しか対応出来ないらしい」
「ほう」
「動きも俊敏だが単純だしな。オレが気を引いてる隙に頭壊してくれ」
 クロロはステップを踏むような軽快さで駆け、ゴーレムの頭部を目掛け跳んだ。巨大なアームがクロロの脇腹に迫るがゴーレムの胴体を蹴り回避、地面に着地、からの回り込み。クロロの姿を追いかけゴーレムが背後を振り向く。次の瞬間。
 ゴーレムの後頭部を男が思い切り殴った。岩肌を砕いたとき以上の威力。コンクリートのような頭はバラバラと散り、太い円柱の脚がぐわりと揺れ、大きな音を立てその場に崩れ落ちた。「アンタがいて良かった」倒れたゴーレムの胴体を観察しながらクロロが言う。男はそうかいと頷いた。クロロは男のその態度が妙に気になった。
 道の先、もう最深部はすぐのようだ。
 今しがた倒したばかりのゴーレムと同じ姿のゴーレムが何体も壁に沿い並び、その奥、中央に聳えているのは扉だ。ゴーレムよりも遥かに高く、頑丈そうである。そしてその眼前に、見せつけるように金銀財宝が積まれているので2人は目を丸くした。生還者は「何もない」と言っており、現に宝石を持ち帰ってきた者はいないという話だ。しかしここには、夢のような財宝が存在している。それどころか道中にはダイヤモンドやモアサナイトでさえあったのだ。その時点で何もないというのは全くのデタラメ。何故生還者は揃いも揃って「何もない」と嘯いているのか?
「問おう」
 一体のゴーレムが言った。身体中が蔦で覆われたゴーレムだ。
「扉が開けば財宝は去るが、財宝を選べば扉は開かぬ。この先、ここにある以上の財はないと宣誓しよう。前進か宝、どちらかしか得られん。さあ選べ」
「Umm、どっちもってのはないらしいぞ」
「悩むまでもない。決めたよ」
「早いな。オレもだ」
 2人が声を揃え「前進だ」と宣言した途端、扉の前に置かれていた眩い金銀財宝は幻のように消え去り、並んでいたゴーレムが一斉に動き出し、固い扉を全員で押しはじめた。ゴゴゴゴ、と仰々しい音ともに扉が開いてゆく。クロロと男は最初こそその光景を大人しくじっと見つめていたが、開いた扉から差し込む光に誘われるように、2歩、3歩と足を動かした。扉が完全に開く。
 目の前に広がっていたのはまさに神秘である。
 クロロは開口一番「信じられない」と口にした。確かに信じられない景色だろう。ブラテオルサウルスが草原を闊歩し、空ではリングサンクイナの群れが羽ばたいている。近くの木の幹に張り付いているのはジェムオオクワガタだ。どれもとっくの昔に絶滅したはずの生き物ばかりである。信じられない、とクロロはもう一度呟いた。心底嬉しそうな顔で。
 男がリュックを開いた。
「飲むか。入れっぱなしにしてたビールだ」
「熟成でもさせてたのか?」
 クロロは喜んでビールを受け取りその場に座り込んだ。男と瓶をぶつけてから王冠を親指で弾き一口、やや変な味がするが、飲めないことはないのでさらに一口飲んた。この世界の秘密と呼ぶにふさわしいほどの美しさ。失われたはずの楽園。
「ここにある以上の財はないなんてよく言ったものだ。オレは今までに色々な宝を手にしてきたが、これ以上の宝を知らないよ」
 清々しい気持ちで、クロロは遠くの湖を見た。おそらく最初にこの場所を見つけた人間は、この美しく尊い生き物の楽園を守るために、洞窟に念をかけたのだ。またビールを飲む。美味しくはないが、なんだか酒が飲みたい気分なのだ。
「旅がしたかった」
 男がひとりごつ。クロロは草を食むテラワザウルスを見ている。
「この世界の全てを見てまわりたかった。でも、惚れちまったんだよ、この景色にな。命をかけてでも守りたいと思っちまった」
 クロロは男を見た。いや、見れなかった。隣に座りビールを飲んでいたはずの男は、苦労してここまで共にやってきたはずの男は、扉の前の財宝の如く姿を消していたからだ。あたりを見渡すが男はおろかあの大きなリュックもない。手のなかに残った瓶を見てみれば、驚いた、製造日は100年前。思わず笑う。最初は小さく、だんだんと大きく。アハハハハと愉快そうに、目に涙を浮かべながら、最後は長く息を吐いた。それでも目の前に広がる神秘は変わらない。空は青く、雲が流れ、人の業と欲から逃れた美の化身たちが息をしている。
「……失敗したな。旨い酒を持ってこれば良かった」
 それでも飲んだ。100年前のビールというのも悪くない。しかし、酒の問題ではないことも分かっていた。気の良い奴だったが意地悪でもある、ここを守るためとはいえ、1人でしか入れないというのは。ビールを飲む。欲しいのは旨い酒ではない。クロロは瓶を掲げ目を細めた。そして想う。
 この美しい景色を、アイツらと一緒に見たかったと。

幻、
眠らなかった
ファンタスティック


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