今日のために服も靴も新調したし、ヘアメイクは美容室で1時間前に施してもらったばかり。普段は塗らないマニキュアも塗った。だけどシャルが私の姿を視界にいれたとき、最初に言ったのは「アハハ、なんか今日動きにくそうな格好してるね」だった。私達が顔を合わせるのはそれなりに久しぶりだというのに、彼のその相変わらずさに全くだと笑みを溢し、しかし泣きそうにさえなる自分が少し恥ずかしい。我ながら下手くそな笑みを浮かべ、ツンとする鼻を誤魔化す。彼との時間は限られているので泣くなんて無駄なことはしたくはない。
 変な感覚だなァと肩をまわしながら呟くシャルに何かしたいことはあるかと聞いたらナマエに付き合うよと言ったので、私はいいからシャルのしたいことをしてほしいとお願いすれば、彼は唸り声を上げしばらく考えてから「特に思い付かない」と至って真面目な顔でこたえた。
「強いていうなら、ま、適当に寛いで過ごしたいかな」
 せっかくの1日を無駄に過ごそうとする彼に若干呆れるが、今日ばかりは彼の望み通りに付き合うと決めていたので文句も言えずに黙って頷くしかないのである。彼にとっての適当に寛いで過ごす、というのは果たしてどのようなものだろう。いや、私は深く考えず、彼についていけばいいだろうか。彼の気の赴くまま。
遠くに見える天空闘技場を一瞥してから「じゃあとりあえず、朝ごはん食べよっか」と提案すれば、彼は「賛成」と大いに頷いた。
「腹減ってどうにかなりそうだよオレ」

 半ば匂いにつられる形で入ったベーカリーで、シャルはトレーにパンを次々と乗せていった。そんなに食べれるのかと尋ねたが食べれるんじゃないかな、なんて適当にこたえながら彼はまだまだトングでパンをつかみトレーへと乗せていった。私は3つだけを選んだあと、トングをカチカチを鳴らしながら店内を歩くシャルのうしろについていくだけだった。メロンパン、クロワッサン、ドーナツ、コーンブレッド、チャバッタ、ツォップフ、とにかく気になったものを片っ端から乗せて、ようやく満足したらしい頃にレジへ向かった。財布を出そうとしたシャルが「あ」と声を上げ此方を向く。
「そういえばオレって金持ってるの?」
「持ってるよ。多くはないけど」
 シャルはポケットから折り畳みの財布を取り出すと中身を確認し、今日だけだし足りるか、と頷いた。
「基本私が出すつもりだからシャルはあんまり気にしなくていいよ」
「アハハ、それちょっとカッコ悪くない?」
「シャルが?」
「そう、オレが」
「別になんとも思わないけど」
「ん〜。いや、いいよ。どうせこの金もナマエが用意してくれたものだけどさ、形だけでもオレ出すよ」
 先に席取っといて、とシャルはイートインスペースを顎で示した。座れるかどうかの瀬戸際まで席が埋まっているわけではないが、休日の朝ということもあり店内は少しずつだが混みつつある。分かった座っとく、と返事をしてから適当なテーブルを選んで腰をおろし、お会計をしているシャルの姿を遠目からじっと眺めているうちにまた泣きそうになって唇を噛む。今日だけなのだ。今日が終われば、もう悲しまなくていい。だから楽しもうと思っていたのに、それでもこんなに泣きたくなるなんて心は厄介にもほとがある。
 シャルは財布をポケットに仕舞うと私の分を右手に、自身の分を左手に乗せて此方へと歩いてやってきた。彼が歩いてくる姿に何故だか妙に緊張してしまい、口元をもごもごと動かしながら軽く手を振る。
「あとこれ、レジの横にあったから勝手に買っちゃった」
 いつの間にか私のトレーに増えているブルーベリーパイの1ピースを指差し、ナマエ好きだったでしょ、と言ってヘラリと笑った。私がブルーベリーを好きだと覚えていてくれたことが嬉しくて、ほんとうはパイは苦手だったけれど、それでも頬張った。ブルーベリーは相変わらず美味しかったし、なんだかパイも、いつもよりずっと美味しい。
「でもこれだけでお腹いっぱいになっちゃいそう」
 残り半分ほどになったブルーベリーパイを睨みながら私がそう小さく溢すとシャルは、じゃあオレが食べるよと私のトレーからシュークリームをひょいと取った。彼のトレーにもまだパンは残っているが、それでももう3分の2以上を食べきっていて驚いた。男の食欲を女基準で見ちゃダメだよ、とシャルは言いながらシュークリームを食べて、それから人差し指についたクリームを舌で舐めた。
「いつもそんなに食べてたっけ」
「さあ?お腹いっぱいだな〜ってとこまで適当に食べるから量はわかんないけど」
「ふうん……」
「あ、それともアレかな、オレじゃなくて」
 シャルはそこまで言ってから口を閉じ、少しだけ間を空けてから「まあそれはいいか」とついさっきまでクリームがついていた人差し指で頬を掻いた。
 トレーのパンを全て平らげると、今度は隣のタピオカ店でタピオカジュースを買った。私はブルーハワイ、シャルはマンゴーを選んで、店の前で交換して飲んでからジュースを片手に街を歩いた。どこにいこうかなんて相談はせず、ただ何気なく足を動かし続けた。その途中でシャルはブルーハワイは美味しいけどマンゴーも美味しいでしょ、と自分の選んだ味を得意気に自慢したり、タピオカって一時すごいはやったよね、と懐かしそうに頷いたりした。私は太いストローを咥えながら相槌を打つばかりだった。
 私達の隣を男が通りすぎた。携帯を耳に当て、真剣にはい、はいと頷いている姿が印象的だった。
「ねえ」
「ん」
「シャルは連絡しなくていいの?せっかくだからさ……」
「連絡かァ。まあ、話しておきたいこともあるっちゃあるけど、ま、いいかな」
「嘘、いいの?絶対後悔するって」
「しないしない。むしろ連絡した方が後悔するかも」
 シャルは何でもないようにそう笑い、爪先で小石を蹴った。揺れる髪の下で瞳が寂しそうに震えたように見えたのは、ただ単に私の勝手な思い込みなのだろうか。それでも、仲間の声を聞きたいという気持ちが少しも無いとも思えないのに。
 むしろ私が連絡してあげるべきだったのだ。今日この日に、シャルの仲間を私が集めてあげるべきだったのだ。ひとりじめしたかったのだと言ったらシャルはどう思うだろう。いや、彼はそんなことを分かった上で、何も言わずに付き合ってくれているのだ。こんなバカみたいなわがままに。
 何粒かタピオカの残ったカップを捨ててから小さな映画館に入りモノクロ映画を見たが、上映途中から観たせいでストーリーはよく分からなかった。音声も古ぼけて聞き取りにくいところが多く、30分も経たないうちに飽きたらしいシャルが「もう出ようぜ」と親指を出口へ傾けた。前席で泣いている女性のうしろ姿を一瞥してから頷き、入ってきたときと同じような足取りで、ひっそりと映画館を抜け出した。
 朝あれだけ食べたというのにシャルは昼食にハンバーガーを5つも食べた。私はシェイクをすすりながらハンバーガーを頬張るシャルの手や唇の動きを目で追いかけていたが、それも何だか恥ずかしくなって顔を逸らす。口元のソースを舐めてからシャルが口を開いた。
「あれ、もう見ないの?」
「え?」
「ナマエ、オレの食べてるトコ見てたいんでしょー。居心地悪いけど今日くらい良いよ」
 なーんてね、とシャルはトボけた風に両手をぱっと広げた。なによそれ、とこたえた私の声が、ちゃんと笑えていたかは分からない。

「したいことって案外無いもんだな」
「そう?シャル、いっぱいありそうなのに」
「1日ってムズいよ。期間がもうちょい長かったら色々考えられるけどさ」
 旅行だって調べて準備していざ行くまでに時間がいるでしょ、と言ってシャルはベンチの背凭れに体重をゆっくり預けた。
「仕事も同じだな。調べて準備していざ決行って」
「旅行と犯罪を一緒にしないで」
「アハハ。例えばだよ例えば」
 そういってから息を長く吐いた彼の様子に、さすがにお腹いっぱいなんだろうな、とくすりと笑う。朝と昼にあれだけ食べたというのに晩御飯もトルティージャ、アヒージョ、パエリアと好きなように食べていたのだから、そろそろ止めておいたほうがいいと思わず口出ししてしまったほどだった。オレの周りはもっと食べるヤツばっかりだけどなァと言っていたが、彼の周りが化物だということは重々承知しているので基準をそこにしないでほしい。
「あのパエリア旨かったなー」
「そうだねー」
「うわ、今オレのマネした?」
「どうかな」
「ハハハ何だそれ」
 シャルはお腹を軽くさすった。
 もうすっかり街は静寂につつまれていた。公園も私達以外の誰の姿もなく、噴水すら大人しく、街灯はぼんやりと暗闇を照らしている。生憎星は見えなかったが、隣で風にそよそよと控えめに靡くシャルの髪こそが私には眩しかった。
「誕生日ってさ」
 シャルが呟いた。
「自分のも誰かのも含めて、あんまり祝ったことないんだよね。だから、ナマエに何してやるべきか今日ずっと考えてたんだけど、結局何も思い付かなくて」
「そんなのいいよ」
「言うと思った。どうしようかな、キスでもしとく?」
「いや、それは、いいかな……」
「それもそうか。この身体だもんなァ」
 見た目はオレだけど実際は違うし、とシャルは続けた。肯定することも否定することも出来ず、縦とも横とも取れない曖昧さで首を振る。違うの、別に、身体がどうだとかじゃないの。ただ、キスをしてしまうと、きっと泣いてしまうから……。
 噴水から流れる水の音と、風の音と、遠くで車の通り過ぎる音だけが広がっていた。きっとこの街は今、私達2人だけの存在を許しているのだという不思議な確信をしてしまう夜だった。
 シャルはずうっと黙っていたが、やがて声を発した。霊魂なんて信じてなかったと。
「意外とあるのかもね。ま、でも天国とか地獄はやっぱ信じられないけど」
「アハハ、シャルが地獄に落ちてないなら、ないのかもね……」
「オレがこうしてるってことは死んだら無ってことじゃないんだろうけど、まあでも、きっとナマエが死んでもオレには会えないよ」
「……」
「パクにもウボーにも会えてないから間違いないね。だから死んでも意味ないんじゃないかなァ」
「……どこで……」
「ん?」
「いつ気付いたの?」
「ん?まァ、いつって言われたら分かんないけど。何となく」
 私は口を開けなかった。なんとか開いても乾いた口内は震えるばかりで、一度口を閉じてから唾を飲み、そうしてようやく「そう」とこたえただけだった。
 時間は刻々と迫っていた。このまま時が止まってしまえばいいのにと切に思った。ああ、そうだ。時を止めたいから死ぬのだ。日付を跨ぎシャルが消えてしまったあとにすぐ。いやしかし、いっそシャルが消えるのを待たずに、今日が終わるのを待たずに死んでしまおうかとさえ思った。唾を飲み込む。大丈夫、痛みなど一瞬だ。再びシャルを失う辛さに比べたらどうってことはない痛みのはずだ。
 忍ばせている折り畳みナイフで自身の首をかっ切るまでを想像し手をポケットに入れたとき、せっかく生きてんだからさ、とシャルが言った。
「まあ、もうちょっと生きればいいんじゃない?案外悪くないよ」
 手が震える。ああ、時間はもう。
 時間がもう。
 シャルの笑顔がもう。
「悪くなかった」
 時計が0時を告げた。
 ドサリとベンチから崩れ落ちた男へ、シャルナークだった男へと涙が落ちていく。街は依然として静けさを守っている。噴水から流れる水は変わらない。風は生ぬるく身体を撫で、空は雲の隙間から月か遠慮がちに顔を出した。
 ポケットからそっと手を離す。
 さようなら、私の愛。


午前0時、愛が死ぬ

なかのさんに捧げます【2021.08.21】


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