T


 ラストはおかしな子どもだった。
 賞金首ハンターの母親と美食ハンターの父親から生まれた彼女は、なんともおかしなことにオーラというものを身体に纏いながら生まれてきた。生まれたときから纏をマスターしているなんて、とんでもない才能だ。二人は「きっとこの子は偉大になるわ」と大いに喜んで、彼女に〈ラスト〉という特別な名前をつけてあげた。
 くりくりした純真な瞳。無垢な指先。肌触りの良い頬を親指でプ二プ二と弾ませながら、その愛らしい眼差しで自分たちを見つめるラストを大変可愛がって育てたのは──
 五歳になる手前までの話だった。
 ラストが最後に見た母親の姿は、自分を力いっぱいに抱き締めて、ごめんね、ごめんねと何度も謝罪の言葉を吐いているものだ。久しぶりに抱かれ喜ぶラストに、母親は「ずっとここで待っていて」と言い残し、一度も振り返ることなくラストの側から姿を消した。
 ずっとここで待っていて。
 ラストはその言葉通り、一歩も動くことなく母親を待った。待っている間中、自分が生まれてきた頃からの……もっと正確にいうなら、生まれてくる前からの記憶を振り返りながら。
 くらいなかで聴いた大きな音の記憶を捲る。生まれ、うっすらとしか見えない狭い視界の中で、母と父がラストに歓喜の言葉をかけている記憶を捲る。「きっと偉大になるわ」と、ラストの頭を撫でる優しい母と父の記憶を捲る。ラストが始めて「ママ」と話したときの母の喜んでいる姿の記憶を捲る。初めて立ち上がったときの記憶を捲る。初めて絵本を読んだ頃の記憶を捲る。父が買い与えてくれた玩具の説明書を読んだ記憶を捲る。「オモチャ動かないなあ」と困る父に、説明書に書いていたことを説明したときの記憶を捲る。「覚えていたのか、すごいじゃないか!」と褒めてくれた父の記憶を捲る。それが嬉しくて、たくさんたくさん覚えたことを話したときの、二人の不気味なものを見つめるような視線の記憶を捲る。ああ、間違えたんだ、上手くしなきゃと後悔した記憶を捲る。家族でショッピングに行った記憶を捲る。もらったピンクの風船が飛んでいき、それを追いかけ車道に飛び出した頃の記憶を捲る。トラックに跳ねられたあとの、怯えた両親の記憶を捲る。また間違えたんだ、でももう、なにが間違いなのか、分からない……そう嘆いた記憶を捲る頃には、母親に「待っていて」と告げられた日から、五日が経過しようとしていた。
 ラストが母親と別れたこの場所は流星街といって、いわゆるゴミ捨て場だった。もう必要ないものを捨てても許される場所に、ラストは捨てられてしまったのである。父親の姿は、もう一年くらい見ていない。
「……、ママ……」
 ラストはおかしな子どもだった。
 だってラストは、自分が誕生する前からの記憶を、全部なくさずに持っていられるんだもの。


U


 六日目の夕暮れに、ラストは知らない大人と手をつないでゴミの中を歩いていた。全身真っ白な防護服に身を包んだ大人はただの一言も発することなく、ラストに顔を覆うためのガスマスクを被せて手をつないで歩き出したのだ。どこに行くのかも分からないまま、ラストは連れて行かれるままにゴミの中を進んでいった。
 そうして建物のひとつにまで辿り着くとガスマスクを脱がされ、食べるようにとパンと水を渡された。六日も食べていなかったというのに、飲んでいなかったというのに、ラストはお腹も空いていなければ喉もかわいていなかった。ラストは不思議な子供だった。
「いいかい、ここが今日からキミの家だよ」
 知らない大人はラストにそう言って、頭を優しくゆっくりと撫でた。ラストは黙ったまま、小さく小さく頷くだけだったけれど、その動作はラストにとって非常に覚悟が必要なものだったと言える。捨てられたことを、認めたということだから。
 ラストはその日、その瞬間、それなりに平和で、とても温かくて、この上なく残酷な街、流星街の住人になってしまった。
 街にはたくさんのルールがあった。学ぶこともそのひとつだった。ラストはラストの先生と一緒に、決まった時間たくさんの勉強をした。ラストはその時間を大変好んだ。でも、先生はすぐにラストがおかしな子だと気付いて、彼女に勉強は必要ないと、授業をしなくなってしまった。だってラストは全てを一度で覚えてしまうから、復習が必要ないんだもの。先生は優秀だと感激する反面、これは由々しきことだと困ってしまった。全て覚えてしまう上に、決してそれを忘れないから、立派な街の住人に育てあげることが難しかったのだ。先生は他の大人と相談して、ラストを他の子供とあまり近付けないようにしてしまった。その代わり大人とは常に一緒だった。そして、こう注意した。キリスト教という宗教のことも、もちろんクリスマスのことも、バレンタインもハロウィーンも、とにかく外のことは喋っちゃいけないよと。ラストの先生はとても優しい口調で告げた。
「他の子供が混乱してしまうといけないからね。ラスト。子供はね、物事を知っていく順番がある。だからね、今知るべきではないことは教えたくないんだ」
 ラストは、大人は子供たちが手に取れる本を厳選していると知っていたので、そういう理由だったんだと頷いた。自分がおかしな子だということも知っていた。他の子供は少しずつなにかを忘れるし、頭のなかの記憶を本のように捲ることも出来ないのだ。
 ラストは街の西のすみっこで過ごした。大人の目の届く範囲でなら子供たちと遊んでも良いよと言われたが、鬼ごっこもかくれんぼも望まなかった。ラストは読書を最も好んだ。ご飯も睡眠も、本の前ではいらなかった。知識の収集が最優先だったし、大人もラストの望み通り、できる限りそれを与えてあげた。そうして一年が過ぎた。
 ラストはとても幸せだった。
 本は毎日のように増えた。人間はゴミを作るのが得意だから。ラストは読むものに困らなかったし、飽きることもなかった。二年が過ぎた。こうなってくると、少し困った。ラストが大きくなるにつれて、知識を収集する時間が早くなってきたのだ。驚くことに流星街に毎日入ってくる大量の本は足りなくなってしまった。図書館の本は読み尽くしてしまったのだ。
「もっと無いの?」
「明日になれば、また入ってくるはずだよ」
 知識の収集を出来ない時間が増えていくばかりになると、ラストはとても退屈になった。大人と共にゴミの片付けをすることもあった。大人はラストに「お絵かきでもしたらいい」と、ご褒美にノートと鉛筆をくれた。流星街の子供とも遊んだ。皆、ラストよりも遅れて流星街に置いていかれた子供たちばっかりで、ラストが一番年上だった。子供たちと過ごす時間は、退屈しのぎには丁度良かった。
 それでも、ラストの退屈はどんどん増えていく一方だった。ご飯もいらない、眠りたくない、子供たちと遊ばなくても良い、もっと知識がほしいだ。ラストは、お絵かきなんてしたくなかった。大人が渡すノートや鉛筆は、使われることはなく仕舞われていた。
「本が読みたいよう。知識が欲しいよう」
 ラストは一定期間以上本を読まないと、とても衝動を抑えていられなくなった。とにかく彼女の脳が、からだが、すべてが、細胞のひとつひとつが、異常なまでに知識を欲したのだ。なんでもよかった。とにかく新しい知識であれば、なんでもよかったのである。大人はそのうち、流星街の歴史をラストに教えてあげるようになった。この街のあらかたのことを話し終えてしまうと、今度はかつてこの街にあった師団の話もしてあげた。外の世界から与えられる理不尽に抵抗するべく結団された偉大な集団の話を、ラストは大いに喜んだ。ハンターという存在に壊滅させられてしまったと聞いて、とても悲しみもした。
 知識の収集がままならない日が続いた。
 雨の降る日だった。ラストは鉛筆を握り、かつてこの街にあった偉大な集団を想いながらノートを開いた。ラストは閃いたのだ、終わってしまったのなら、自分で続きを書けばいいのだと。新しい知識を自分でつくりだすということにもワクワクが止まらない。そうだ、新しい本を待っているだけの時間なら、最初からこうすれば良かったのだ。
 ラストは書いた。無我夢中で書き上げた。こうして彼女の物語、ワンダーラストの微笑みが、はじまったのである。


V


 ラストは読書よりも、物語を書くことを好むようになった。使われていなかったノートと鉛筆はみるみるうちに無くなった。流星街にはラストの読んでいない本が少しずつ増えていった。
 ラストの書いた物語は大人たちに賞賛された。
「こんな才能があったなんて、素晴らしいじゃないか」
 大人はラストの物語に口出しするようになったし、ラストも言われるがままそれを書いた。でも、絶対にしたくないことだけは譲らなかった。例えば、死んだら、空に還ること。ラストはこの街にきてはじめて、人間は死んだら空に還るのだということを知った。でも空に還るには条件があって、どれだけ善いおこないをしてきたかってこと。大人はラストに、物語のなかで死んだ人物を、空に還してあげてほしいとお願いしたが、ラストはそれだけは断った。ラストは、生物が死んで還る場所は空ではなく土であるということを、本当は知っていたからだ。でもそれを言ってはいけないともきちんと理解していた。物事には知るべき順序がある。でも、だったら、どうして大人たちまで、いつまでも空に還るだなんて信じているのだろうとラストは不思議でたまらなかった。
 一冊目のノートはあっという間に物語で埋め尽くされた。主人公はラスト。とある盗賊団のお頭だ。狙った獲物を絶対に逃がすことはなく、策略を練り必ず捕まえるその姿は、まるで糸を張り巡らせる蜘蛛のよう。主人公のラストは狡賢い女。命を狙われる可能性を下げるため、盗賊のリーダーは違う人物に任せているのだ。とても頭のキレる男で、ハンサムで、ラストに対して密かに恋心を抱いている……。
 ラストは街の子供たちを集め、自身の物語を読み聞かせた。大人に褒められて気分が良かったし、何より面白いという自信があったからだ。
 ラストの物語は、盗賊団が世界中を旅する冒険物語だった。あらすじだけなら子供たちの胸をワクワクさせ興味を引くこと間違いなしと思うだろうが、ラストの物語を読むにはある程度知識が必要で、小さな子供に到底理解できるものではなく、物語を聞く子供たちの頭には興味よりも疑問が遥かに多く湧き上がり──三日、一週間、一ヶ月となる頃には、ラストの物語を聞いてくれる子供はほとんど居なくなってしまった。大人はぜひ聞くべきだと子供たちをラストの前に連れてこようとしたが、それをとめたのは他でもないラストだった。大人が言えば、来てくれるだろう。大人はラストの物語を聞かせたいだろう。でもラストは、それだと義務だ、義務としてではなく、気になるから来てほしいのだとラストは思っていた。
「ねえ、続きはいつ出来るの?」
「すぐよ。すぐに書くわ」
「本当? 楽しみだな」
 ただ一人の男の子だけが、ラストの物語を熱心に聞いてくれた。分からないことはラストに根気強く質問したし、ラストも相手に理解してもらおうと丁寧に説明しながら、物語を読み聞かせた。ラストよりも少し年下の、黒髪の男の子だった。
 
 世界中を旅する盗賊がいた。狙った獲物は逃がさない、まるで糸を張り巡らせ獲物を捕まえる昆虫の狩人──蜘蛛のような盗賊だ。
 盗賊のボス、ラストは狡賢い女。命を狙われる可能性を下げるために、普段は盗賊のリーダーを違う人物に任せているのだ。頭がキレて、ハンサムで、そしてラストに対して密かに恋心を抱いている男だった。けれど、ラストは男が自分に恋してるなんて、さっぱり知らない。男は隠し事も得意だったのだ。
 ある日、盗賊の一員がラストの元にやってきて新聞紙を渡してあげた。新聞紙の見出しには「伝説の宝〈竜の命〉を発見!」と大きな文字で書いてある。
 ラストは新聞紙を折り畳むと、すぐに男を呼び出した。男はリーダーとして、ラストの代わりに大きな声で命令を出す。
「次に狙うのは、竜の宝だ! 必ずいただくぞ!」

 
 ラストはそこまで書いてから鉛筆を置きノートを閉じて、クッキーの缶にそれを仕舞った。男の子が来るのは明後日だ。急ぐことはない、今日の執筆はこのあたりでおしまいにして、積み重なっている本を消化しようと思ったラストは、大人が持ってきてくれた本の束に手を伸ばす。分厚い魚図鑑を開きかけたところでラストは唐突な目眩に襲われ顔をしかめたが、それはすぐに治まったので、ラストは気にすることなく再び表紙を開いた。


W


 ワンダーラストの微笑みは三冊、四冊と増えていった。物語のなかのラストは、竜の宝を狙い、意地悪女王様の首飾りを奪い、仲間をあつめ、ときには他の盗賊団と闘い、威張った貴族から金銀財宝を盗み、それを貧しい子供たちに分け与えた。大人はこれは素晴らしい、これは使えると何度も何度もラストを褒め称えた。でもラストは、もう大人に褒められても別に嬉しくはなかった。男の子が楽しんでくれさえすれば良かったのである。
「ラストはね、義賊なのよ」
「ギゾク?」
「市民の味方なの。悪いお金持ちから宝石を奪って、それをみんなに分けてあげるのよ」
 ラストのとなりでそれを聞いていた大人は、素晴らしいことだと頷いた。なんて善い行いだろう、ラストはきっと空に還れるよと大人が言う。でもラストはちっとも嬉しくなかった。だから男の子は、大人の隙を見て、ラストに尋ねた。どうして嬉しそうじゃないのって。男の子は鋭かったので、ラストの気持ちにもすぐ気付いていたのだ。
「だって、人は空に還るんじゃないのよ」
 ラストはとても小さな声で、はじめて大人との約束を破った。この街にきてもう四年が経っていた。街が好きだったし、街の住人のことも好きだったが、それでも街の教育だけは、ラストは自分なんかよりもずっとおかしいものだと思っていたのだ。
「生き物はすべて土に還るの。秘密よ。でもね、きっと覚えておいて」
 男の子は、ああやっぱりと呟いた。ラストは、この子はなんて聡明な子だろうと驚いて、ますます男の子が大好きになった。
 ラストは大人の目を盗んで、男の子に「教えてはいけない」ことを教えてあげるようになった。物語には隠せない。だって大人が確認するんだもの。だからラストは、本当にこっそり、少しずつだけ、秘密を男の子に共有していった。男の子はラストの言葉を真摯に聞いていた。宗教というのはひとつではなく、この世にたくさんあること。人の分だけ信じるものもあること。それを邪道と決めつけてはいけないこと。星空のこと。涙を流し悲しむことの美しさについて。憎しみを抱くことは実は人を愛するということと同じくらい大切だという話を……。
「ラスト。ラストはとてもたくさんのことを知っているんだね」
 ラストは頷いた。ラストは「知っている」ということだけが、自分の唯一のアイデンティティーだと信じていたのだ。でも「知っている」のは、表面上だけだということもラストは分かっていた。知識はあるのに、自分はあまりにも無知だ。宗教がたくさんあることを知っているが、ラストはなんにも信じていない。星空が広がっていることを知っているのに、それが果てしないということを知っているのに、ならば果てしないという実感はない。涙を流し悲しんだこともない。誰かに憎しみを抱いたり、心の底から人を愛したこともない。当たり前だ。ラストはまだ一〇才にも満たない子供だから。大人になったら分かるのだろうかと時々考える。大人に、なったら……。ラストは大人になる自分の想像があんまり得意ではなかった。ラストは、自分がおかしな子だと知っていた。ご飯を食べなくても、眠らなくても、どれだけ傷付いても自分は死なないことを知っていた。それなのにどうしてか、少しずつ、身体のなかのなにかが削られていく感覚があったのだ。これが全てなくなったとき、ラストは、自分がどうなるか、なんとなく分かっていた。でも、じゃあどうすれば進行を遅らせられるのかちっとも理解していなかったのだから、ラストはやっぱり、かわいそうな子。

 ある日、ラストは素晴らしい噂を耳にした。この世のどこかに、宝が山ほど隠された伝説の島があるという噂だ。盗賊として放っておくわけにはいかない話である。ラストは早速リーダーの男を呼び出した。
 リーダーの男はいつものように、ラストの代わりに大きな声で命令を出した。
「伝説の島を探しにいくぞ!」
 盗賊たちは、これまでの中で一番気合いを入れて返事をしたし、早速その日から島にたどり着くための準備に取りかかった。情報を集め、金を集め、大きな船も手に入れた。ラストは未だ見ぬ宝の山を想像して目を輝かせ、島に行くための準備も他の誰より働いた。
 そしてとうとう、伝説の島までの海路が見つかった。盗賊たちは大層喜んだが、ラストだけは難しい顔を止めなかった。海路が見つかっただけで、島に辿り着いたわけではないからだ。それに、伝説の島に行くまでに、様々な困難が待ち受けているのはお約束だもの。
 ラストはリーダーの男に任せることなく、大きな声で盗賊たちに号令を出した。とても大きな仕事の前には、こうしてラストが号令を出すのが決まりなのだ。
「行こう、伝説の島……ネバーランドへ!」


 ラストは今日の物語の読み聞かせを終えると、そろそろ物語が終わりを迎えることを告げ、自分の持つノートに寂しそうな表情を向けた。また軽い目眩がしたが、男の子に心配させまいと、ラストは頭を押さえずにやり過ごした。
 この目眩のせいで、ラストはほとんど部屋から出られなくなっていた。立っていられないほどの激しい目眩に襲われることもあったが、ラストは執筆も、本を読むことも、絶対にやめはしなかった。それに、外に出られなくても、男の子と、ワンダーラストの微笑みと、大人が与えてくれる本さえあれば、ラストの世界は十分に満ち足りていたのだ。
「おうい、やっぱりここだ。先生が呼んでたぜ」
 男の子が友達に呼ばれてしまった。ラストは思わず、いかないでと男の子の袖を引っ張った。自分でもどうしてそんなことを分からなかったので、ラストは慌てて「なんでもない」と腕を引っ込める。男の子はラストの手を掴んで、ここにいるよと笑いかけたが、ラストのとなりで大人が首を振る。
「ダメだよ、先生の言うことは聞かないと」
「そうよ。引き留めてごめんね」
 男の子は眉を下げてから、また来るねと言って、何度も振り返りながら友達と共にラストの前から去っていった。ラストはずっと手を振り男の子を最後まで見送ると、新しいノートを開いて、最後の物語を書きはじめるのだった。

 ラストが懸念していた通り、伝説の島までの道のりは困難を極めるものだった。
 荒れ狂う天候に大きな波、迫り来る怪物…仲間も半分ほど失ってしまった。ラストはその度に悲しんだが、それでも伝説の島を目指して船の旅を続けた。リーダーの男はラストが命を落とさないように守り続けたので、凄まじい嵐の中でどれだけ仲間が減ろうとも、ラストだけは無事だった。
 とうとう船上に残ったのがラストとリーダーの男だけになった時、ふと嵐が止んだ。雲の隙間からは太陽の光が差し込み、見たことのない鳥が上空を横切った。
 二人の目の前には、地図に載っていない伝説の島──ネバーランドが見えていた。



X


 最後の物語は、ラスト自身が男の子に読み聞かせてあげることは叶わなかった。

 ラストとリーダーの男は、ついにネバーランドへと上陸した。美しい鳥、香しい花々、そして、地中に埋まる財宝の数々。ラストとリーダーの男は旅の途中で仲間を失った記憶をとっくに欠如させ、とても幸せな時間を過ごした。何かを忘れている気がする、そんな思いも次第に持たなくなった。
 こうして世界から、蜘蛛のような盗賊団──幻影旅団が、消えた。

 
 ラストはかわいそうな子供だった。
 誰かがもっと早くに気付いて注意してあげていたら、ラストはもう少し長く生きられたかもしれないのに。
 ラストをおかしな子供にした、何でも忘れずに覚えていられる不思議な魔法は、ラストの寿命を削る魔法。無限に等しい容量を記憶出来る代償はラストの命。記憶する度に、少しずつ息をしていられる時間が短くなる、そんな魔法。それでも、ほんとうならこんなに早く死ぬはずじゃなかったのだ。人の一生分を記憶するくらいなら平気だったのに、ラストが命を削るという行為を、知らず知らずのうちに大変好んでしまったから。ラストは人の三生分以上を、こんな小さな身体に押し込んでしまったのである。文字通り必死で情報を集めようとするラストのおかしさに、誰かが気付いてあげていたら、ラストは大人になれていたのかもしれないのに。
 それとも、やっぱりラストは大人にはなれなかったのだろうか。だってここは、この部屋は、ラストにとってのネバーランドなのだから。

 リーダーの男は、この上ない悲しみに包まれていた。隠し続けたラストへの恋心が見つかってしまったわけではない。ネバーランドが消えてしまったわけでもない。ラストが死んでしまったのだ。
 ラストはネバーランドの宝石に触れた途端に、ふと欠如していた記憶を取り戻した。その宝石は、記憶を復活させるという、大変おかしな宝石だった。ラストは失ってしまった仲間たちのことを想い、沢山の涙を流し続けた。ああ、なんてことだろう、失ってから気付くなんて。私がどんな宝石よりも愛した仲間たちよ。
 ラストは宝石の一つである美しい短剣を手に取ると、自身の胸に躊躇うことなく突き刺した。自分ばかりが良い思いをした罪滅ぼしでもあったし、何より愛する仲間に会いに行くためだった。
 そんな悲劇があったものだから、リーダーの男は、愛する女を失った悲しみでいっぱいだったのだ。こんなことになるのなら、キミに想いを告げるべきだったと後悔するが、もう何もかもが遅かった。ラストの身体を抱きかかえて、男はネバーランドのずっとずっと深い場所に消えていった。
 ネバーランドは、宝石たちがキラキラと輝き、花々は笑い、美しい鳥が空を飛んでいるだけだった。

 
 薄暗い部屋。窓からは一応光が差し込んでいるものの、曇りのせいで頼りない。男は最後のページを読み終えると、ノートを閉じ、錆びたクッキー缶の蓋を開けそれを戻した。缶のなかには何冊も同じように色褪せたノートが入っている。どれも大切に保管されてきたのだろう、古いとはいえ状態は悪くない。
 彼がこのクッキー缶を大人から受け取ったのは、もう一〇年以上も前のことだった。「ラストがキミに遺したものだよ」と渡され開いたクッキー缶のなか、ノートに添えられていた紙切れには〈愛すべき友人・クロロへ〉の文字が、丁寧な文字で書かれていた。今でも繰り返し思い出す。小さな亡骸と、その上に添えられた花を。祈りを捧げる住人たちを。ただ、じっと全てを眼差している自分自身を。
「ラストはね、空高く登っていったんだよ」
 大人たちが指を差す空には、焼却場から排出されている煙がのぼっているだけだった。ああ、こんなことなら、キミに隠し続けていた気持ちを伝えておけばよかった……そんなことを想っても、もう全てが遅いのに。
 男はノートを仕舞うと部屋を出て、無機質なコンクリートの廊下を歩いた。堂々とした歩幅とは裏腹に足音は全くといっていいほど響かない。しばらく歩いて広間に出た。一二人の男女が一斉に振り向く。その中央に立ち団員に号令を出す瞬間が、男は嫌いではなかった。隣でラストが微笑んでいる気がするから。
 欲しいものはたくさんある。でも、欲しいとねだるだけの子供ではいれらなくなってしまった。
 背負ったものはあまりにも大きい。それでも進むのだ。彼は、それでも進むのだ。十字を刻んだあの日から。
「仕事を始める。必ず盗るぞ」
 旅団が物語を紡ぎ続ける限り、キミを終わらせはしないよ、ラスト


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