「駄目だよ、お前、これから毎日よ。会いに来なきゃアンタ死ぬから」
 自分に会いに来なければ死ぬ、そんなくだらなくも強力な念をかけた女は、彼にとって、まるで面識のない、赤の他人もいいところの女であった。「オレたち知り合いだっけ?」そう尋ねたクロロだったが、心のなかでは確信している。会ったことなど一度もないと。
「いいえ。初対面だよクロロ=ルシルフル」
「ふうん、で、そっちの名前は?」
「知らなくてもいいよ。でも連絡先は知っておかないとマズいね、アンタ、あたしに会えなきゃ死ぬんだもの」
 さも当然のように女が差し出す手のひらに、クロロは僅かだけ間を置いてから携帯を預ける。女は光を反射するゴールドカラーの派手な携帯を受け取り、彼の後ろを通り過ぎ去って行った男を一瞥して笑った。「手癖が悪いのね」。性分だよ、とクロロは言い、女から受け取った携帯をズボンの後ろポケットにしまった。
「連絡はアンタからしてね。正午から、16時までに必ずよ。場所は私が指定する。ああそうだ、そのひどくダサい包帯は明日から外してちょうだい」
 示された包帯にクロロはぴくりと反応した。
「額にタトゥーをしている。目立つのは勘弁したい」
 彼の言葉に、女はけらけらと笑ってみせる。
「あらやだその包帯のほうがよっぽどダサくて目立つよクロロ=ルシルフル。ダサい男と一緒なんて本当は嫌だけど外したくないと言うなら、それはまあ強制しないでおこうよ。お前こそこんな醜い女にこれから毎日会わなきゃいけないんだからね、お互いさまだよ、かわいそうなアタシたち」
 光を細やかに反射させた噴水の水しぶきが女の頬を僅かに濡らした。女は自身で言う通り、驚くほど醜い顔立ちをしていたが、どうしてかその仕草や態度には洗練された美しさが……いや、正しくは、自身の美しさを自負している女の自信のようなものが……垣間見えるとクロロは思った。女の頬に落ちた水滴は、吹き出物との区別さえつかないようだと言うのに。
 クロロがその女と出会ったのは、滞在してまだ1ヶ月も経っていない街の、噴水広場のなかである。休日の正午過ぎということもあり、広場には子供も恋人も老人も、花に群がる虫のようにたくさん集まっていた。「自然っていいわねえ」噴水を囲むように広がる人工芝に広げたビニールシートの上でそんなことを言いながら携帯を触る母親の眼前にはビルが立ち並んでいる。子供はゲームに夢中で駆け回る気配など一切なく、父親はパソコンでアダルトサイトのバナーをクリックし焦っていた。「この街の住人は馬鹿が多そうだな」。クロロは子供の側を通り過ぎながらそんなことを思った。
 とん、と前から走ってきた子供が彼の足にぶつかり、尻餅をついた。クロロは膝を折り、手を差し出した。
「大丈夫か」
 子供はこたえなかった。彼の目をじっと見つめたあと、恐る恐る立ち上がり、親の元へと逃げるように走っていった。クロロは子供が母親に土で汚れた手を拭いてもらっている様子をしばらく眺めると何事もなかったように歩き出し、そのときにはもう、ぶつかってきた子供の顔など覚えてはいなかった。……。

 女に指示されたのは、ロゼスター通りにあるカフェMOTOREという場所だった。女はそれだけを伝えると通話を切り、時間も何も、クロロに伝える事はなかった。面倒なことになったな、とクロロは思う。しかし、女の醜さに気を奪われ、やすやすと念を掛けられた自分も迂闊だったのだ。……いや、しかし、それにしては。
 平和という言葉がまさに似合うぼんくらな街だが、念を掛けられるほどに自分が油断していたはずがないのも、また事実だった。そう、まず、いつ掛けられたかが分からないのである。子供がぶつかってきたときだろうか?それともやはり、今まで人間の美醜などまるで気にしたことのなかった自分ですら、醜いと感じるほどの彼女の顔に、目を奪われたあの瞬間か。
 店はすぐに見つかった。扉を押して入店すれば、女は店のずっと奥の、照明さえうすぼんやりしか光っていない端のほうに腰をおろしていた。13時。電話をしてから、1時間が経っている。
「おや、なんだ思っていたよりも早かったねクロロ=ルシルフル。私にとびきり会いたい訳でもないだろうに」
 女は足を組み、頬杖をついてクロロを見つめた。12時から16時の間に連絡をしてくるようにということは、彼女はそれ以前からとっくに着いて待っていたのだろうか、とクロロは思いながらその正面に座り、湯気の立つコーヒーカップに視線を落とした。じっくり眼差しを交わすには、女は醜悪過ぎたのである。
「オレが来るまでお前は待つのか」
「そうだね。お前が16時近くに来るならば私は4時間も待たされることになるね」
「ご苦労なことだな」
「お前もね。こんな醜い女の呼び出しにこれから毎日応えなきゃいけないなんてお前大変なことだよ」
 女は昨日と変わらない饒舌だった。「私だったらこんな醜い人間とカフェで同じ席に座るだなんて反吐が出そうだね、お前も矢張そうだろう、否お前だけじゃない、人間ならみんなそうだろうね」と。クロロは否定も肯定もせず、女の細く白い指先を見つめていた。形の良い爪だった。そして、ふと。左手の薬指に薄い指輪の跡がついていることに気が付いたクロロが言う。
「なんだ、結婚でもしていたのか」
 女は薬指を右手の人差し指でなぞった。
「正確に言うならば婚約だね。こんな醜い女に婚約者がいたなんて不思議だろう、ま……もういないんだけれどね、ずっと昔に別れたのさ」
「捨てられでもしたか」
 クロロはやや悪意を込めた調子で微笑んだ。
「お前にはデリカシーってものが無いのねクロロ=ルシルフル。残念だけれどねお前と違って本当に良い男だったさ、こんな醜い私には勿体ないくらいだよ」
 女は左手の薬指から手を離すと、今度は吹き出物でいっぱいの、自分の頬に手を当てた。皮膚は爛れ、病気ではないかと疑うほどに汚らわしい。唇はガサガサで口角はへの字に下がり、目は小さく、魚のように離れている。どうにもならないという諦めからか、女はメイクをしていなかった。
「さてまあ、お前もこんな醜女といつまでもいるなんて嫌だろうからね今日のところは要件だけ伝えてとっとと済ませてやるよ。お前にかけた念についてだクロロ=ルシルフル」
「説明してくれるとは丁寧だな。それも制約か?」
「いや実は制約じゃない。じゃないが訳も分からず只只こんな醜い女に会いにくるだなんてあまりにもお前が切ないから説明してやるんだよ、私は醜いが少なくともお前よりは親切だから」
 女の言葉にはクロロを愚弄する言葉と自分を卑下する両方が詰まっていた。言い返すのも面倒だ、彼女のいう通り話を聞いてとっとと帰ろう、とクロロは思った。
 遅れて注文をとりにやってきたウェイトレスに、クロロは「いや、すぐに帰る」と言って断りを入れた。
「じゃあどこから説明しようかな。そうだね、まずこの念なんだけどね昨日説明したようにお前、これから毎日私に会いに来なきゃ死ぬからね。毎日っていうのは、1ヶ月だ。1ヶ月、毎日会いに来るならばお前は死なずに済む。12時から16時までに必ず私に連絡をいれて、そして必ず会わなきゃ死ぬから気をつけることだよアンタ、こんなことで死にたくはないだろう」
 1ヶ月という期限に、クロロはまだ安堵した。元より時間を持てあまし訪れた街だった、それくらいなら付き合える。女はそのあとで殺せば良い。
 女は念の内容については説明せど、どのようにして念を掛けたのか、何より何故クロロだったのかを説明しなかった。聞こうと思い、すぐに口を閉じる。これだけの姦しい饒舌にも関わらず話さないのは、話す気がないからだろうと悟ったからだった。恨まれる理由も数えきれないくらいに覚えがある、特段不思議なことでもない。しかし、死に至るまでの念能力をつくるほどに強く、にも関わらず1ヶ月の間、死にたくなければ毎日自分に会いに来いという、風変わりな条件をつきつけられたのははじめてである。1ヶ月を迎える直前に姿を消して、自分を殺すつもりだろうか、とクロロは考えた。会うだけで良いという安易な条件を突きつけて、最後の最後に音信不通となれば、相手はさぞ絶望するだろうと、女はそんな風に考えているのではないだろうか……。

 女は次の日、その次の日とクロロを呼びつけ、生産性のない、くだらない話ばかりをした。その多くはクロロへの問いかけであったが、彼は「ああ」だとか「考えたことがない」と答えるばかりなので、結局は女が話すことになるのだ。女はクロロが答えずとも嫌な顔の1つもせず、自分の元婚約者のことや美味しかったコーヒーのこと、最近読んだ漫画のこと、好きな服のことを取り留めなく話し、そして唐突に、ぷつりと糸の切れたように一度大人しくなると、クロロに「今日もご苦労だねこんな醜い女の話に付き合わされて明日もきっと退屈だろうね。もう帰って良いよ興が逸れたよやっぱり良い男じゃないと」と言って、本当にクロロから興味を失くしたと言った風に、意識を他へとうつした。それは膝の上に置かれていた本だったり、景色だったり、ときに、薬指についた指輪の跡だった。
 呼び出される場所も様々だった。喫茶店の翌日にはバーガーショップ、かと思えば高級三ツ星料理店、水族館、定食屋、遊園地、動物園、ショッピングモール、わざわざ路線を調べ行かなければいけない電車での移動が面倒になり、クロロはそのうちに車を盗った。カーナビの近くには家族の写真が貼り付けられていたが、ルートを検索するのに邪魔だと剥がして窓から放り捨てた。写真は風に飛ばされて、すぐに消えて見えなくなった。
 嫌々付き合わされている上、興味がないとはいえ、クロロは女の話を全く聞いていないわけではなかった。女が口にする本のタイトルのいくつかには過去気に入っていたものもあったし、美的センスについてはかなり近いものも感じ、食の好みも殆ど合う。そして何より、彼女が時折話題に出す元婚約者の存在に、クロロは1つの答えを導き出していた。たった一度だけ彼女が話したことだが、元婚約者はブラックリストハンターだそうだ。生死の確認はしていない。しかし死んでいるとするならば、クロロを狙い返り討ちにでもあったのだろう。つまりこれは、彼女なりの敵討ち。
 殺したブラックリストハンターなどいくらでも心当たりがあり、一体誰の復讐なのかなど検討もつかなかった。第一に殺した人間など記憶にない。1年前に少しだけ手こずった男がいた気もするが、やはり顔など覚えていなかった。けれど、こうして改めて思い出してみると、その男の首にロケットがひとつ、かかっていたことをようよう頭に甦らせることが出来た。女だった。彫刻の写真かと見間違うほど、絵画かと勘違いするほど。目を見張るほど、美しい女だった。しかしそう感じたという以外、女の顔も、ロケットの形も忘れてしまった。男も手こずりはしたが、殺したということは、欲しいと思うような念能力も持っていなかったのだろう。一度思い出せば、芋づる式に色々と浮かんでくる。最期に何かを言っていた気もする。恨みの言葉だっただろうか、いや、あれは、人の名前だっただろうか。
「××……」
 そう呟く男の首をクロロはかっ切った。情など抱くはずもなく。

 女からの最後の呼び出しは、最初に出会った噴水広場だった。子供にぶつかった、女に念をかけられた、大噴水前のベンチで女は座って待っていた。
 クロロは何度も考えたが、結局、自分がいつ、どのタイミングで、このような厄介な念を掛けられたのかさっぱり分からなかった。歩いていた。噴水前のベンチに向かって、歩いていた。そうしたら、そこに女がいた。あまりの醜さに、一瞬だけ立ち止まった。女はクロロを見つめていた、ずっと、彼が来ることを予期していたかのような風でさえあった。女が口を開いたときにはもう、念がかかっていたのだと思う。開口一番に言ったから。「駄目だよ、お前、これから毎日よ。会いに来なきゃアンタ死ぬから」と。
 クロロは女の隣に腰をおろすと、今日で最後か、と話し掛けた。自分から何かを発するのは、そう言えばこれがはじめてだったかもしれないとクロロは思いながらも、この醜さと謎めいた美を秘めた不思議な女を見るのは最後だろうとも考える。予定は変わらない。念が解除され次第、女は殺す。
 正午の公園は気持ちが良くピクニックに最適だったが、平日ということもあり人は疎らにぽつりぽつりと居るくらいだった。女はずっと薬指を撫でていた。指輪の跡は本当にうっすらとしていて、もうほとんど見えないぐらいだった。女はいつもの饒舌を上手く隠し、大人しく前を見つめていた。クロロも黙って、しばらく女に付き合った。
 子供たちのボールが転がってきた。女は拾って、走ってやってきた子供たちに渡してやる。「ありがとう」とボールを受け取った子供はまだまだ幼く、幼すぎるからだろう、女の醜さなど、全く気にした様子ではなかった。女はそこでようやく、今日はじめて口を開いた。「子供は強いね。醜いということさえきっと知らない」その声はどこか哀しそうな、安心したような、どちらとも取れるような調子だった。
「アンタも私のことを醜いと感じさえしなければ、こんな馬鹿馬鹿しいことに付き合わされはしなかったんだよクロロ=ルシルフル」
 女の言葉にクロロの眉が寄る。
「アンタを醜いと思っただけで、こんな念を掛けられたと?」
「まあ、結局はそういうことだね」
 女は頷いてから笑った。噴水の飛沫が女の潰れた鼻先を濡らした。
「今はもうずいぶん醜いが、私はこれでもとびきりの美人だったんだよ。本当に、絵に描いたような上等のね。自分でも随分容姿に関しては理解していたし鼻にも掛けていたさ嫌な女ってやつだね。婚約者はそんな私を、容姿も大きかっただろうが、心の底から愛してくれたよ。男なんて他にいくらでもいるだろうがね彼が他の男と違ったのは、私も彼を愛したってことさ。良い男だったよ本当にね、本当に、本当に」
 女は一度唇を閉じて、ボールで遊んでいる、先ほどの子供たちを見つめた。
「前に一度話したかもしれないがブラックリストハンターだったんだよ彼、いつ死ぬか分からないから結婚は諦めていたんだがね、私から結婚したいと逆プロポーズしたのさ。泣いて喜んでくれてブラックリストハンターも辞めて2人でどこか静かに暮らそうと言っていたんだ。仲間と協力してハントする予定の幻影旅団の頭の一件が片付いたらって、それだけは仲間とやり遂げると誓っていたらしかったからね。20人くらいで実行しようとなって結局10人が死んだよ、あとの10人は土壇場で逃げたのさ。探しまわって何故だと問い詰めたら怖くなったと泣いて泣いて謝られたよ、そんなことをしても……」
 女は黙って、薬指を再び撫でた。
 クロロはそこまで聞いて、女がやはり復讐目的だったことを知り、彼女に対する興味を急速に失っていった。このつまらない話はいつまで続くのだろうと、苛立ちにも似た感情を抱きはじめる。美しさの面影すらない彼女の以前の顔と、美しいならばなぜこのような醜女となったのか、その辺りの事情に興味がないわけではなかったが、どうせこのあとすぐ死ぬ女の話など、別に好んで聞きたくもない。
 女はまた口を開いた。
「彼が死んでも別に仇討ちなんてね考えなかったんだよ、相手はあの幻影旅団の、それもトップだろう。私など瞬殺されると分かっていたからね無謀以外の何者でもないと思ったさ。けれどねしばらく経ってから偶然、本当に偶然だったんだよお前の顔を知ったのさクロロ=ルシルフル。私はね、一目見て、なんて美しい男だろうと思ったんだよ。額に刻まれた十字架にクリスチャンでもないのに跪きそうになるくらい、一瞬でお前に心を奪われたのさ。馬鹿だろう婚約者を殺したお前に惚れるなんてしかも写真を見ただけで。ああ、なんて醜い女だろうと思ったね美しい皮を被ったおぞましい怪物だと思ったよ自分自身を。だからお前に、復讐に付き合ってもらうことにしたのさクロロ=ルシルフル。いいか、これは私自身への罰だったのさ」
「……お前自身の?」
 クロロは女が話しをはじめてから、そこではじめて口を開いた。女は歪んだ唇でニタリと笑う。並びの悪い歯が隙間から覗く。
「そうさお前は私に付き合わされた只の哀れな盗賊だよ。お前を恨んでると思っただろう?そんなことはないよ、私が憎いのは婚約者を殺したお前に惚れてしまった、そうしてお前のことを知りたいと思ってしまった、私自身だよ。だから私はあの輝く美しさを捨て、呪いのような念能力をかけたのさクロロ=ルシルフル。お前が私を醜いと思えば発動し少しでもそう思わなければあの場で私が死ぬ呪いをね。お前は思った。賭けは私の勝ちだ」
 クロロはその横顔を見つめながら、女の話をじっと聞いていた。女はその眼差しを見つめ返しながら、きっとクロロにしか分からないほどの、僅かに残った美しさの片鱗で微笑んだ。
「ありがとうクロロ=ルシルフル。お前にも人間らしい感性があって良かった。そして矢張私の婚約者が一等良い男だとも思えた、お前に現を抜かしている暇などないくらいにね。私は彼に謝りに行くよ浮気をして申し訳なかったと。二度とお前に会うことはない、さようならクロロ=ルシルフル」
 女は立ち上がり、振り返ることなく公園を出て行った。その後ろ姿をいつまでも見つめながら、クロロは、自分の身体にまとわりついていた得体のない不快感が消えていることに気がついた。
 空はうるさいほど澄み、青い。
 クロロはボール遊びをしている子供たちをしばらく眺めてから、女と同じように、公園をあとにした。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -