瞬きに震える睫毛。力強い眼差し。髪をかきあげる細い指。おかしそうに、笑うキミ。……

 いやに陽射しが強いな、と思う。指を絡めて噴水の前に座る恋人たちに、ああ、よくやってられるなあ、なんて、そんなことも同時に思う。鳴きながら飛んで行った二匹のカラスは、陽の当たらない涼しい場所でも探しに行ったのだろうか。
 ナマエの指定した喫茶ロイエは、この噴水の中央を飾る、天へ眼差しを向ける乙女の銅像を真正面にしたとき、進行方向を右へ進んだ場所にある、らしい……。ベタベタと人目も気にせず肌を合わせる恋人たちを尻目に、名前も知らない花で扉前を彩られた喫茶ロイエをすぐそこに見つけ、ひとまず安心する。空間の丁度良い隙間に、遠慮するように造られた風な、どこか寂しく脆く、噴水の煌めきで簡単に消えてしまいそうな店だった。
 ナマエはオープンテラスに腰をおろし、足を組み、退屈そうに頬杖をつきながら携帯をみつめている。手元にはくたびれたストローの刺さるグラスがあり、机の上に水の輪をつくっている。水の輪は少しずつ、彼女の肘へと迫っている。
 わざわざ扉から入店するのも面倒に思え、柵を飛び越えそのままオープンテラスへ向かうと、ナマエは驚いたような呆れたような、どちらとも取れるような表情でオレを見つめて、それから携帯を閉じた。

「お待たせ。ごめん、ちょっと立て込んでさ」
「いいよ。私も仕事の連絡済ませちゃったから」
「あれ、休暇中じゃなかった?」
「ちょっと手伝いが欲しいって……ま、先の話だけど」

 ふうん、とオレは答えながら椅子を引いて、近くを通り掛かったウエイターにアイスティーを、と伝える。透かさず「私もおかわり」彼女が氷の溶けたグラスを机の端に寄せた。そこでようやくオレたちは、久しぶりだね、なんてありきたりな言葉を交わした。

「天空闘技場があるから野蛮な場所かと思ってたけど、良い街じゃん。しばらく住んじゃおうかな」
「そうしなよ」
「シャルもいるんでしょ?」
「うーん、オレは、まァ、いないかなァ」

 なァんだ、そうなの。そのつまらなさそうな返事に小さく笑うと、彼女も顎に指を添えてフフフと笑った。噴水から飛び散る水滴がナマエのそばで陽を反射する。オレは眩しくて目を細める。
 以前にもこうして、眩しいな、と感じたことがあった気がする。ずっと遠い昔のことのように不確かな手触りしか残ってはいないけれど、あのときも目の前にいたのは、やはり彼女だったのだと思う。一面のゴミを踏みしめる軽快な足。大きく振れる細い腕。跳ねる小さな身体。愉しそうに笑う、彼女の唇。
 あの日光っていたものは何だっただろう、とオレは考える。ああ、逆光だったのだ、ともオレは思う。彼女に手を伸ばした、眩しくて額に添えた。あまりにも小さな自身の手のひら……。……
 運ばれてきたアイスティーに一つ分のシロップを流し込む。指先についた小さな甘い粒を舌でなめる。

「あっ、シロップ多めにもらえば良かった」
「言えば良いじゃん」
「いや、いいや。今糖質制限中だし……」
「アハハハハ!何それ!」
「うるさいな。最近甘いもの食べ過ぎてるのよ」

 ナマエは一度オレの足を蹴ると勢いよくアイスティーを啜り、半分まで飲み干したところで、ふー、と息を吐き出した。あーあ、もう半分も飲んじゃって、とオレが眉をしかめると、ナマエは「たくさん喋って喉渇いたの」とストローで氷を突いた。グラスのなかに、氷の小さな破片が散らばっていく。
 あの日光っていたものは何だっただろう、とやはりオレは考える。本当に逆光だったのだろうか、と疑問に思う。オレははやく鬼を代わってほしくて、一心にナマエを追いかける。キミは笑っている。指先が触れそうになるとスルリと逃げてしまう。そうしているうちに、もう遊びの時間は終わってしまう。オレはいつまでも鬼のまま、触れられなかったナマエの背中を見つめている……。

「この喫茶店の前に咲いてた花、見た?」
「見たけど。オレ花なんて興味ないよ」
「そんなこと知ってるわよ。イングリッシュラベンダーっていうらしいんだけど、欲しい人は苗を貰えるんだってさ」
「へえ。欲しいの?」
「せっかくなら貰って帰ろうと思っただけ。すぐ枯れるんだろうけど」

 育てられないんだよね、と口を尖らせるナマエの瞳の先に噴水がうつる。水しぶきのそばには、あの鬱陶しい恋人たちや、膨らました腹を幸せそうに撫でる女、そんな女のとなりで微笑む男、難しい顔で膝の上のパソコンを打つ眼鏡の男の姿があった。「いい街だね」彼女は眩しそうに目を細める。「いい街なのかな」オレは曖昧に答える。

「この街に誘ったのはアンタでしょうが」
「オレだって別に好きで来たんじゃないよ。団長がどうしても……いや、まあ、そういう意味では好きで来たんだけど」
「変なの。私、シャルのそういうところ嫌いよ」
「はいはい知ってる」

 フフフ、とオレたちは微笑んだ。微笑んでから、ああ、眩しいな、と思った。噴水から飛び散る水滴も、誰かの笑い声も、グラスのなかの氷の破片も、あの頃の少女も。「もう、私ばっかり狙わないでよ!」どこかから聞こえてくる黄色い声に、オレは思わず腕を伸ばす。「ナマエが一番遅いんだもん!」最低、と叫ぶ甲高い声は、それでもどこか愉しそうだ。彼女の背中へと駆けていく。眩しさに負けないよう、片手を額に添える。伸ばした指先が何かを掠める。やった、とオレは嬉しくなる。
「捕まえた!」
 オレは思わず、その小さな身体を抱き締める。なんだ捕まったの、とマチが言う。もう疲れたわ、パクノダがくたびれた風にうずくまる。
 ああ、そうか、これは夢なんだと思った。だからやけに眩しいんだと思った。しあわせな夢だなあ、なんて、もう覚めなくてもいいかなあ、なんて、柄にもないことをオレは考える。
 シャルナーク、と誰かが呼んでいる。懐かしい、美しい声だと思った。シャルナーク……。なあに、とオレは叫びながら、彼女に手を引かれてゴミのなかを歩いていく。オレの足元には、たくさんの何かが散らばっている。渡した情報に真剣な目を向けるクロロ、小さなことがツボにハマり肩を震わせるマチ、暑さの怒りをオレにぶつけてくる理不尽なフィンクス、……穏やかな顔で息絶えるパクノダ。それから。
 結構好きだったんだよな、お前らのこと、なんて、オレは思う。ナマエはオレの手を引いている。オレは喜んでその汗ばんだ手を握り返す。
 好きだったんだよ、とオレは繰り返す。瞬きに震える睫毛、力強い眼差し。髪をかきあげる細い指。
「シャル、アンタなんか本当に!」
 大嫌いだと、笑うキミ。



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