私はデイヴィスが好きだが、彼は私を好きではない。好きなものは犬と、ファッション、そして車。クラッシクカーなんて古いだけじゃんと思わず口にすれば激怒され、1ヶ月以上口を聞いてもらえなくなったことがある。犬になれば愛でてもらえると思い変身薬でトイプードルになれば5秒で見抜かれ元に戻された挙げ句裸を見られ、咄嗟に目を逸らすデイヴィスに「責任取って」と頬に両手を添えれば死んだマンドレイクのような視線を向けられたこともある。あれはあれでゾクリとくる。
 デイヴィスの好きなものリストには、彼が教師になってから、生徒、というひとつが追加された。「犬みたいなものだがな」と不敵に微笑むデイヴィスに「へえ」なんて相槌を打ちながら、私がどれだけナイトレイブンカレッジ生に嫉妬したことか、きっと彼は知らないだろう。ああ、せめて私がナイトレイブンカレッジの生徒であったなら、望むかたちではなくとも、愛してくれたのだろうか。なんて、若返って人生をやり直せたところで女の私が男子校に通えるはずもなく。
 私は学生の頃から、ずっと教師になりたかった。生徒という絶対的な信者が欲しかったから。自分自身あまり勉強が得意ではなかった分、ゼロから教えることは得意だったし、まさに天職だとさえ思っていた。だからデイヴィスの「教師になる」と言う発言に感化されただとか、そのような邪な理由で目指したわけでは、決してない。いや、実はほんのちょっとだけ。
 せっかくお互いに教師なのだ、職場が一緒になる奇跡くらいあるだろうと思っていた就職活動中、彼の就任先がナイトレイブンカレッジだと親伝いに聞いたときには絶望した。ナイトレイブンカレッジの教員試験は全国最難関と唱われるほどで、基本、卒業生以外から教員を取らないことでも有名だからである。私も結局、母校であるフラワーエレガントスクールへの就任が決まり、職場が一緒になるなんて言うミラクルに期待したこともすっかり忘れ、多忙を極める教師の傍ら、それなりに恋愛もして、それなりに満ち足りた生活を送っていた。
 だから、本当に偶然だった。30になる年に、恋人からプロポーズをされ、考えさせてほしいと返事をしたその次の日に、ナイトレイブンカレッジが呪文術の教師を全国的に募集すると言う話を聞いたのも、その採用試験に、受かったことも。

「私、9月から同じ職場の同僚だからね」
「なんてことだ……」
 無事雇用が決まったことを知らせればデイヴィスはそう言って頭を抱えso bad……と呟いた。彼は素直じゃないので分かりにくいが、これはきっと喜んでいるに違いない。幼なじみが同僚になると言うのに悲しむ奴がどこにいるものか。
 引っ越し先の下見のために賢者の島までやってきたが、帰りのことを思うと今から何だか面倒くさいな、と少しげんなりしてしまう。交通の不便さは聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。
 「フラワーエレガントスクールでも楽しそうにやっていたじゃないか」
 デイヴィスは此方に怪訝な眼差しを向けながらティーカップに口をつける。近くをウェイトレスが通りすぎる。「母校だし、そりゃ勝手も良かったけど」ナイトレイブンへの移動が嬉しいことも、そして、転勤が寂しいのも、どちらも私のなかでは本当だった。私を好いてくれている生徒も少なからずいたし、先週も転勤と知った卒業生が手土産を持ってわざわざ顔を見せに来てくれたほどだった。やっぱりここで教師をやりたいと泣きそうになった気持ちも本物だ。
「でも、先生すごいね。ナイトレイブンって今まで卒業生しか採用されてないんでしょ?」
「ゴリッゴリに押したの。私はツイステッドワンダーランドいちの呪文学教師ですってね」
「アハハハ!ヤバ〜い!」
 そう言って持ってきてくれたケーキを一緒に食べながら笑った卒業生たちは、2、3年働いた後に結婚して家庭に入る、という子が大概だった。先生もそろそろ結婚するんでしょ、とフォークで指され、曖昧に頷く。「結婚してほしい」付き合って3年目になる彼からそうプロポーズをされたとき、私はどんな顔をしていたのだろう。まだ早い、いや、いい頃合いなのだ、一般的には。3年も一緒にいて、結婚を考えない私がおかしいのだろうか。さんざんデイヴィスを好きだといいながら、好きでもない男と付き合っている私は、おかしいのだろうか……。
 あれからもう数ヶ月。私はまだ、返事を出来ていない。
「恋人は?」
 デイヴィスが口を開いた。
「疎遠になるんじゃないのか」
「ああ、まあ、うん……」
 1ヶ月に一度は必ず会いにくる、と言ってくれた健気な恋人の言葉を思い出す。結婚をしたいと言った女が遠くへ行くことも「したいことならば」と快く送り出してくれた彼は、本当に良い人なのだろう。本当に、良い人なのだ。彼と結婚すれば、私はきっと幸せになれる。
 プロポーズされたことを以前一度デイヴィスに話したことがある。反応が知りたくて、言うつもりなんてなかったのに、ついつい口が滑るように。「そうか。良いことじゃないか」電話越しにデイヴィスは明るい調子でそう言った。私は、ありがとう、とだけ返事をした。……
 そろそろ出るか、とデイヴィスは伝票を持って席を立った。カウンターへと並んで歩きながら、デイヴィスの横顔をチラリと見る。ああ、好きだ。デイヴィスが好きだ。私は一体、誰と結婚したいと思っているのだろう。
「ねえ、荷物もあるし当日迎えに来てくれない?」
「当日?いつ越してくる予定だ」
「1週間後」
「船場まで迎えに来いと」
「うん」
「俺の愛車でか。冗談はよせ」
「デイヴィスの車ってカッコいいよね。乗ってみたいな、ウフ」
「ただ古いだけの車なんじゃないのか」
「げ」
 そんな昔のことをよく覚えてるな……と冷や汗をかきながらデイヴィスを見ると、彼はフッと笑って、昔のよしみだ、と私の背中をぽんと叩いた。
「迎えに行こう。船場に着いたら連絡しろよ」

 ナイトレイブンカレッジは噂通りの名門校だったが、如何せん驚くほど協調性がなかった。各々が自身の力を絶対的に誰よりも上だと信じて行動しているからだろう、協力という言葉を知らずに生きていたのかと錯覚するほどだった。呪文学など必要ないと、授業らしい授業ができないクラスもあった。呪文を正確に唱えられなかったら代償は自分に跳ね返るのよ、と説明すれば笑いの的。しまいには「女がなめた口聞くんじゃねェよ」。職員室で泣いて泣いて、バルカス先生に「オレのように筋肉をつければ反抗する生徒だっていなくなりますよ!」という謎のアドバイスと共にプロテインを渡され、トレイン先生には「教師としての威厳を見せなさい」と宥めるように怒られ、その腕に抱かれるルチウスに癒しを求めればそっぽを向かれる始末だった。「私優しいので」という学園長は一度も話を聞いてくれたことがない。相談相手は結局デイヴィスしかいなかったが、彼も彼で死ぬほど忙しいのでゆったり話をする時間などなかなか取れそうになく、結局心のなかに不安と文句は沈んでいくばかりだった。
 そんな折、ようやくデイヴィスと宿直当番が一緒になったのである。悩みを聞いてもらおうとワインを片手にデイヴィスの宿直部屋をノックすれば、彼は「来ると思っていたが帰れ」と熱烈な歓迎をしてくれた。相変わらず素直ではない。
 夜の学校内には生徒もおらず、時折ゴーストがうろついているばかりで寂しい雰囲気が漂っている。満月。今夜は少し冷える。ワインを見せつけるように掲げる。
「せっかく持って来たんだから飲もうよ」
「学校でワインとはなかなか良い度胸じゃないか」
「そう言うの嫌いじゃないんでしょ」
「まあな」
 デイヴィスはそう言って笑い、入れ、と扉を大きく開いてくれた。部屋に入って、適当に腰をおろす。グラスを2つ用意しながらデイヴィスは「どうせ悩みでも聞いてほしいんだろう」と言った。
「うん、まあね。なかなかタイミング合わないじゃない……」
「何も相談相手はオレだけじゃないだろう。恋人だっているんだ、そいつに聞いてもらえば良い」
「教師じゃないもん」
「お前は別に教師としてのアドバイスが欲しいわけじゃなく、悩みを聞いて欲しいだけだろう」
 当たりだ。
「幼なじみでしょ。そんなこと言わずに付き合ってよ」
 ワインの栓を抜く。きゅぽん、と音が鳴る。それぞれのグラスにトコトポとワインを注ぎながら、彼は「まったく」と呟いて私をチラリと見た。
「前の学校で教師を続けていれば良かったものを」
「確かに、楽しかったけどね」
「今は楽しくないか?」
「どうだろう。楽しくないことは、ないよ」
 宿直部屋にワイングラスなんて洒落たものが置いているはずもなく、ただのグラスに注がれたワインは何だか味気ない。喉に流しこめば同じだ、と私はグラスに唇をつける。
「楽しかったなら何故辞めた。無理して来ることもなかっただろう」
「え〜、誰のために頑張ったと思ってんの……」
 私が言うと、デイヴィスはグラスをテーブルに置いてから静かにため息を吐いた。
「発言には気をつけろ。お前には恋人がいるだろう」
「そりゃあ、もう30だしね、お互い。デイヴィスだっているんじゃないの」
「忙しくてそんな暇はない」
 驚いた。少し意外だった。教師は忙しいが、自分の時間をつくれないことはない。デイヴィスは学生時代からモテていたし、キレイ好きだが潔癖でもない、恋人の1人くらいいてもおかしくないと思っていたから。
「じゃあ私、立候補できるんだ」
「何にだ」
「デイヴィスの恋人」
「冗談はよせ」
「本気ならいいの?」
「それを止めろといつも言ってるんだ。お前の言った通り、お互いもう30才だ。恋人との結婚も遠くないと言っていただろう」
「それは」
 プロポーズされた話をデイヴィスにしたのは間違いだったかもしれない、と今になって後悔する。
「いつまでもオレに構うな」
 言わなきゃ良かった。デイヴィスにだけは。
 何か言おうと思った。こんな空気にしたかったんじゃない。私はただ、相談に乗って欲しかっただけなのだ。そんなに怒んないでよ、なんて、今ならまだ明るく言えるはずだ。それなのに、咄嗟に言葉は出てこなかった。気持ちの追いつかないまま、何か言わなきゃ、と口を開いた。発した声は、自分でも驚くくらい、震えていた。
「でも、私が本当に好きなのは、デイヴィスだよ」
 違う、言いたいのは。元に戻したいの。
 好きなの。
 デイヴィスはいつになく真剣な眼差しで私を見つめてから、目を逸らして。
「その気持ちには答えられん」
 今日はもう帰ってくれ、とデイヴィスは続けて言った。本気の声色だった。その声色のときに、彼が冗談を嫌うことを知っていたから、私はおとなしく部屋を出た。
 告白を断られるのにはもう慣れてしまった。それが苦しい。ほんとうの告白から、最初の告白から、いつの間に私のなかで、私たちの間で冗談めいた世間話の1つになってしまったのだろうと時々思う。私が嘘をついたときからだろうか。デイヴィスがなにかを言いかけたとき、とっさに冗談だと口走ったときからだろうか。あれは多分、5回目の告白だった。デイヴィスが真面目な顔で口を開こうとするから、私は臆病になったのだ。そして、嘘を言ったのだ。「冗談だよ、いつもみたいに受け流してよ。こんなのじゃあ私が馬鹿みたいだよ」
 違うの。そんなことを言いたかったんじゃない。何度も断られるのが嫌だっただけだ、それであんな嘘をついた。嫌いなところも含めて、ぜんぶ好きなのよ、デイヴィス。ほんとうに。馬鹿みたいだけどずっと好きなの。
 帰りの廊下は肌寒い。独り、結婚したいのは誰なのだろうと考える。考えたとき、切ないことに、本当に良い人、恋人の顔は浮かばなかった。それでもきっと彼と結婚するのだろうと思った。肌を震わせ、私は泣いた。
 
 私は結局、あれだけ焦がれたナイトレイブンカレッジを2年で辞めることになった。恋人と結婚することになったが故の寿退社だった。
 当初の暴言は何処へやら、もうすっかり親しくなった生徒たちからは「オレが結婚相手になるから辞めないでくれ」やら「最初の頃は悪かった」と惜しむ言葉をたくさんもらい、先生一同からも大きな花束を贈ってもらった。ナイトレイブンには何だか似合わない、純白の花束だった。幸せだった。何一つとして後悔はない。それでもルチウスが最後まで懐いてくれなかったことだけは、しばらく残念に思うだろう。
「結婚式には招待させてください」
「もちろん伺いますよ。どうぞお元気で」
 学園長とかたい握手を交わしてから職員室を一周し、順番に先生たちへ挨拶をしてゆく。これからも頑張ってください。時々遊びにきても良いですか……。それから最後に、デイヴィスの元に向かった。お互いに曇りのない笑顔だった。あの夜の出来事など、もうどこにも見当たらない。私たちは上手く隠しながら過ごしてきた。いや、隠す必要があったのは、私だけなのだろう。そう思うと、やっぱりまだ、どこかが切なくなる。きっとそのうち懐かしくなる感傷だ。それが良い。思い出になってしまえば良い。
 デイヴィスはわざわざ革手袋を外してからギュッと私の手を握った。この手のひらも思い出になるのだと思うと、何だか泣きそうになった。
「上出来じゃないか。結婚おめでとう」
「ありがと。式の途中で拐いに来てくれるの待ってるね」
 デイヴィスは僅かに目を見開いてから唇を閉じ、じっと私を見つめた。この期に及んでそんな冗談を言うんじゃない、そんな風に叱られるだろうという私の予想は外れ、彼はハハハ、といたずらそうな顔で、そして何故か少しだけ、悲しそうに微笑んだ。

「是非そうしたいな。お前のウェディングドレス姿は美しそうだ」

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