※単行本15巻、無視。
肌を撫でる風が随分と冷たくなった季節。
ベンチで着替えるのは流石に寒いので、この頃は部員達もぼちぼち部室で着替える様になっていた。
そして、いつも通り授業が終わってから直ぐさま部室に向かう7組トリオ。
今日こそ1番乗りかと思いきや、やはり先客は9組トリオだった。
「おーす」
「いつも早ェなー」
「だって移動もダッシュだもん!」
廊下は走ってはいけない、という全国共通のルールは無視なのだろうか。
水谷がそう思った所で、やはりキャプテンズが口うるさく注意をしていた。
見慣れたこの光景をスルーして、黙々と着替えの手を進める水谷と泉。
本当は泉も怒られなければならない立場だが、残念ながら手が足りない。
運良く説教を免れた泉は、もそもそと着替えを続ける。
そして上着に腕を通した所でふと、水谷の上腕二頭筋が視界に入った。
(…コイツ地味にタッパもあんだよな…)
春に比べ、練習量は随分増した。
そのおかげで、部員達は順調に逞しくなっている。
だが、思春期…及び成長期真っ只中の高校男児としては、やはり身長や肉体にコンプレックスを持つのは自然である。
泉は確かに9組トリオの中では1番身長は高い。
それでも、浜田や他の部員の中では小さい方に分類される。
体型にしても春に比べたら自分もかなり筋肉は付いた方だが、それは同じ練習をこなす部員達も同じであるという事。
あまり表面には出さないが、泉はこれでも体型が細い事と身長が170cm未満である事を気にしていた。
「なに見取れてんの泉ー」
気付けば随分眺めていたらしく、妙にカンに障るヘラヘラ笑顔が自分に向けられていた。
「ムカつく」
「あら、嫉妬?」
今度は完璧にカンに障ったので、上着のボタンをしめながらとりあえず蹴りを入れた。
その蹴りはちょうどいい所に入ったらしく、水谷は悶え苦しんでいる。
「オレより背ェ高い奴キライ」
「じゃあ泉嫌いな奴だらけじゃん」
ようやく説教が終わったのか、今度は阿部が話に入った。
だが、その一言も正しいが故にやたら腹が立つ。
「おー、皆がオレより下がったらスキんなってやるよ」
「じゃーオレは一生嫌われっぱだな」
「お前オレと大して変わんねーだろ」
「170代と160代の差はデカイ」
どうやら、阿部も多少なり気にしているらしい。
「阿部ウチで1番ちっちゃいもんねー」
悶絶から立ち直った水谷が、またしても横から余計な茶々を入れる。
確かに7組トリオの中で1番小さいのは阿部であるが、何も今言わなくてもいいものを。
もちろん阿部からも足蹴にされたのは言うまでもない。
しかもまた同じ所に入ったらしく、今度は悶絶どころか軽く呼吸困難に陥っている。
だが、完全に自業自得なので誰も助けない。
「気にしてんの阿部」
「うるせェな」
「水谷よりチビって屈辱だよな」
「他全部勝ってっからいんだよ」
西浦きっての毒舌コンビの暴言。
水谷は腹部の痛みと心の痛みに苦しんでいた。
「でも阿部この前スケボ負けてたじゃん」
「ウルセ。氷オニは勝ったし」
「ま、オレはトップだったけどな」
トップの称号と本日のオニギリの具を思い出し、泉はコロッと上機嫌になった。
なかなかの気分屋である。
対して、阿部は水谷には勝ったとは言え、順位はA組。
身体能力が全体的に平均の阿部は、トップに立つ事は少ない。
要は、阿部は泉にあまり勝った事がないのである。
今にも鼻歌を歌い出しそうな程に上機嫌な泉の様子が無性にカンに障ったので、阿部は無駄に対抗したくなった。
「いーよ。オレ泉より背ェ高ェもん」
言われた瞬間、泉はカチンとした。
1番気にしていた事項だ。
たかが2cm、されど2cm。
泉からすれば、先程までのいい気分が阿部のせいで台無しである。
泉は思う。
ここで退いては男が廃る。
「ハッ、オレより足遅ぇ癖に威張んな」
そして、阿部もまたカチンとした。
対抗心に火がつく。
「じゃーバックホームん時走って持って来た方が速ェんじゃねーの?まだカットしなきゃ届かねェもんな」
流石この男。
人が気にしている所を的確に突いていく。
「ハァ?だったらてめぇ捕手の癖にブロックですっ飛ばされてんじゃねーよ」
「バックがもっと速きゃ余裕で止めれんだよ」
「じゃー外野まで打たすリードすんなよ」
「あァ?」
一瞬にして険悪なムードに切り替わった部室。
他のメンツはもうとっくに着替え終わっている。
既に一触即発のこの空気に、三橋と水谷はビクビクしながら様子を伺い、花井と田島は取っ組み合いの喧嘩になった場合の仲裁隊として待機している。
「オレのリードが悪ィって言いてェのか」
「10割てめぇだろーが」
どこかで、糸が切れる音がした。
「やんのかテメェ!!!」
「上等だコラァ!!!」
「はいストーーップ!!」
案の定、喧嘩に発展した。
仲裁隊の出動である。
「2人共落ち着け」
「ハイ、どーどー」
花井は阿部を、田島は泉をホールドした。
三橋と水谷は抱き合ってプルプルするしかない。
2人はガルル、と唸り声が聞こえそうな程に殺気立っている。
口喧嘩の果てに格闘の喧嘩なんて、お前達は猫か、と花井は内心ツッコんだ。
だが、猫の喧嘩なら大怪我をする前に決着がつくが、生憎2人共人間。
おまけに一般の高校生よりガタイは良い。
このまま殴り合いになったら練習に支障を来たす。
花井は手っ取り早く勝負をつける方法を提案した。
「ケンカすんなら腕相撲にしろ。したら誰にも被害ねーから」
「あ、ソレでいーじゃん」
腕相撲ならは、体格が似ているこの2人で平等に勝負出来る。
阿部と泉も花井の提案を受け入れた。
「上等だ。完膚無きまでに負かしたらァ」
「吠えヅラかかしてやっから覚悟しろよ」
阿部VS泉。
腕相撲大会、開催。
「どちらさんも、ようござんすね?」
部室には台になる物が無いので、うつぶせになって手を組み、双方睨み合う。
レフェリーは田島だ。
「レディー………」
視線の火花が散る。
「ゴッ!!!」
田島の合図で、力一杯相手を倒しに掛かる2人。
「ぐぬぬぬ…!!」
「うぐぉぉ…!!」
「おーっと阿部選手が優勢か!?しかし泉選手も負けてない!!」
2人の真剣勝負を見ながら実況まがいの台詞を並べる水谷。
本当に空気を読まない男だ。
「水谷…!」
「あとで…!」
「「ぶっ殺す!!!」」
「えーっ」
仲がいいんだか悪いんだか。
息はピッタリである。
「何やってんの…」
そこで1組ズと3組ズも到着した。
「ケンカ」
「男のプライドを懸けて」
「はぁ……」
狭い部室を陣取って、白熱する腕相撲。
しかし、両者共に拮抗した腕力を持っているので、いつまで経っても勝敗は決まらない。
「いい加減諦めろよ…!」
「テメェこそ…!」
もはや脱落待ちである。
しかし、それなら余計に負ける訳にはいかない。
脱落者という汚名を被るくらいなら、死んだ方がマシだ。
真剣な2人とは別に、他の部員は呆れ気味に着替えを始める。
「はぁ…っ、はぁ…、」
「も…力入んね…」
そして開始から数分、両者共、もう既に腕の力は抜け切っていた。
「引き分けでいーじゃん。こんなんでムキになるなんてコドモだなぁ」
再び、糸が切れる音がした。
もうわざととしか思えない程、水谷は空気を読まない。
「…泉」
「…おう」
「元はと言えば…誰のせいだっけ?」
「1人しか思い当たらねーな」
「…オレもだ」
その時、2人の視線が獲物を捉えた。
水谷は、ほぇ?と間抜けな顔をしている。
しかし、その顔はみるみる恐怖へと変わっていく。
命の危険を察知した水谷は、瞬時に部室を飛び出した。
「いやーーーっ!!!」
「「待てコラァ!!!」」
逃げる水谷。
追い掛ける泉と阿部。
完全に八つ当たりではあるが、水谷の尊い犠牲によって喧嘩は丸く収まった。
他の部員は、呆れながら走り去る3人を眺めている。
「仲いいねぇ」
栄口が呟いた一言に、花井はうんうん、と同意した。
→あとがき
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