時計の針が12を越える。
AMからPMに切り替わり、授業を受けている生徒達の一部は、内心カウントダウンを始める。
そして待ち望んだチャイム。
景気良く鳴り響いた鐘は、学校中に昼休みの開始を告げた。
しかし、それは戦争の始まりでもある。
カウントダウンをしていた生徒の1人がチャイムと同時に席を立ち、教科書もそのままに教室を走り去った。
向かうは購買。
人気のパンを獲得すべく集まった生徒達でひしめき合うその地で目当ての物を手に入れるには、授業の終了と共に全力で走らねばならない。
そして同じ事を考える生徒は、毎日多数存在する。
それは水谷も例外ではなかった。
全力疾走の甲斐あって購買に1着で辿り着いた水谷は、人気のヤキソバパンを3つ購入し、意気揚々と7組に帰還した。
「買って来たよー」
「おー」
「ご苦労」
見事1番人気のヤキソバパンを勝ち取って来た水谷に、あまり心のこもっていない労いの言葉を掛ける花井と阿部。
「ちょっと!厳しい戦場を勝ち抜いた英雄にもっと感謝の言葉とかねーの!?」
たまらず声を荒げる水谷。
彼は褒められて伸びるタイプだと自負している。
それにしても英雄はないが。
「だって罰ゲームじゃん」
「負けたお前が悪い」
そして水谷の主張はアッサリとスルーされた。
「2人共冷たいよ」
ブツブツ言いながら2人にパンを渡し、席に着く水谷。
どうやらこれは前日やったババ抜きの罰ゲームらしい。
そして待ち兼ねた昼食タイム。
恒例儀式を終え、今日も母の弁当を美味しく頂く。
するとそこへ、
「阿部君」
篠岡がやって来た。
「ん?」
「これ、今度の対戦相手のデータ表。今日監督に渡すけど、先に見るかなーと思って」
「おー、サンキュー」
どーいたしましてー、と篠岡はにこやかに笑う。
こんなものを毎回丁寧に作るのは本当に骨が折れる仕事だろうに、疲れを微塵も感じさせない笑顔だ。
すぐにノートに視線を落とした阿部とは別に、水谷と花井が篠岡の笑顔に勝手に癒されていると、3人の手元を見て篠岡が口を開いた。
「あ、ヤキソバパン。よく買えたねー!」
「もーマジ戦争。ちょーダッシュした」
実際は1着だったので戦争には参加してないのだが、ここぞとばかりに苦労を語ってみる。
「あはは、それすぐ売り切れちゃうもんねー。お疲れ様!」
水谷の思惑通りにようやく貰えた労いの言葉。
水谷は1人舞い上がる。
「篠岡もこっちで食えば?」
「いーの?」
「全然いーよ。コレ半分あげる」
「わ、ありがとー!じゃーお邪魔しまーす」
篠岡のたった一言にすっかり気分を良くした水谷は、決死の思いで手に入れた戦利品の半分を篠岡に差し出した。
阿部と花井には意見を聞かずに話が進められたが、聞いた所で断る訳は無い。
2人共快く篠岡を迎え入れ、いつもより気持ち華やかになった昼食タイム。
「水谷って髪染めてんの?」
そこで何を思ったのか、阿部が唐突に尋ねた。
「いんや地毛」
よく聞かれる事なのか、水谷も平然と答える。
「マジで?おばさん黒髪だったじゃん」
「親父が薄いんだよ」
「ヘェ…」
含みのある相槌を打って、阿部は再び弁当箱に視線を落とした。
「…ちょっと待て。阿部今勘違いしただろ」
「イヤ、水谷の親父は薄いのかーって思っただけ」
「色素がだぞ!?」
やはり含みのある返答に、思わず声を荒げて反論する水谷。
「薄いのが髪だけなら良かったのになぁ」
「だからハゲみたいな言い方やめてくれる!?親父まだフッサフサだから!!」
ケラケラ笑いながら花井も乗っかった。
「つーか今全体的に薄いみたいな言い方しただろ!!オレ髪も影も薄くないかんね!?」
「あれ、気付いてなかった?」
「薄っぺらい男だよお前は」
「どの辺が!?」
「幸」
「顔」
「中身」
「存在」
「思い付く限りの単語並べてんじゃねーよ!!つか存在って何だよ!?何かもうオレ自体儚い感じになってんじゃん!!」
「水谷か。居たな、そんな奴」
「イイ奴だったのにな」
「たった今眼前に居るだろ!?そこはかとなく遠い思い出にすんなよ!!」
からかう阿部と花井に、いちいち反応する水谷。
篠岡はそんな3人の様子を眺めながらクスクス笑っている。
「大丈夫だよ水谷君、思い出は色褪せないよ」
「何でもう前提が思い出なの!?ちょっといい台詞だけど使う所違うよね!?」
篠岡もにこやかに声を掛けるが、何が大丈夫なのかが全く謎である。
「気遣いが解らねェ奴だな」
「空気読めよ」
「どんな空気!?」
「罰としてジュース買って来い」
「罰則の理由が見当たらない!!ソレもう恐喝の領域!!」
阿部の理不尽な要求に声を荒げる水谷。
水谷は思う。
阿部は本当に我儘だ。
「オレコーラ」
「私苺みるくー」
「いやオレ行くって言ってないかんね!?そもそも阿部の我儘だからね!?」
篠岡まで乗っかって水谷にジュースのリクエストを述べる。
「ケチだな水谷」
「ケチとかじゃねーだろそこは!!なに人の金で穏やかな食後の一服しよーとしてんの!?」
「けちー」
「けちんぼー」
「可愛く言ったってダメなモンはダメ!!つか花井が言うと気持ち悪い!!」
まるでピヨピヨと親鳥に餌を要求する雛鳥の様にブーイングをかます3人。
「白雪姫の小人ん中にけちんぼってのが居たら、スゲェ夢のない作品になってたと思わねェ?」
「けちんぼ何すんだよ!?あの物語だと出番ないだろ!?」
思い付いたままにどーでもいい事を口にする阿部に、やはりいちいちツッコミを入れる水谷。
もはや漫才である。
「いーから早く買って来いよー」
渋る水谷に花井が催促する。
「ヤダってば!!誰がそんな理不尽な要求飲むんだよ!!」
「しょーがないな、私行って来るよ」
頑なに買い出しを断る水谷を見兼ねたのか、相変わらずにこやかな篠岡が代わりを買って出た。
「えー、じゃーいーよオレが行くよ」
「へーきへーき」
「イヤイヤ、だったらオレが」
「イヤイヤイヤ」
そして、目の前でいかにもわざとらしい譲り合いが開催された。
水谷はそんな様子を見て、えー…と困惑している。
もし見覚えのあるこのやり取りに乗っかってしまったら、痛い目を見るのは間違いなく自分である。
しかし尚も続けられる譲り合い。
これは明らかに自分の発言を待っている。
水谷は乗るまい、絶対に乗るまいと自分を抑え付ける。
「大丈夫だよ、私行って来るね」
だが、篠岡がそう言って立ち上がった時、ついに水谷が沈黙を破った。
「いーよオレ行くよ!」
「「「あ、どーぞどーぞ」」」
「やっぱり!?」
普段から声の大きい野球部のミニコントを見てクラスメイトにクスクスと笑われていたのは
彼らには内緒だ。
→あとがき
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