「ちーす。あれ、西広1人?」
昼食を終えた後の、とある昼休み。
栄口は3組の教室に来ていた。
「うん、沖日直だから」
どうやら午後イチの授業に必要なプリントを取りに行ったらしい。
それにしては随分帰りが遅いが、律儀な沖の事である。
普段あまりクラス活動に協力的でない分、他の仕事も断れずに引き受けてしまったんだろう。
「沖に用事?」
「んーん、2人に。メールでも良かったんだけどさ、今日ラグビー部と半面ずつだって」
「じゃサーキットとバント特打ち?」
「そゆ事」
「ロンティーできないのか〜」
はぁー、とうなだれる西広。
そんな様子を見て、栄口はあはは、と笑った。
「西広ミート上手くなったもんなぁ」
「今絶好調」
「言うねぇ」
ケラケラと笑い合う2人。
確かに、西広の上達は目を見張るものがあった。
野球を始めてまだ数ヶ月。
モモカンの指導の賜物ではあるが、この成長は本人の努力に寄る所が大きい。
本人の言う通り、上手くバットの芯に当たる様になった西広は、ここ数日爽快に打球を飛ばしていた。
「んでもバントも練習したかったからいーや」
「そだぞーバントだって大事なんだぞー」
「ですよね名人」
「名人て」
眉尻を下げて笑う栄口。
特に急いで戻る用事も無いし戻っても巣山は寝ているだろうから、栄口は西広の前の席を拝借した。
「先輩コツ教えてよ」
「ひたすら特打ち」
「釣れないなぁ」
「んー…コツっつーか、時と場合に寄るよ」
「じゃー送りバント」
んー…と腕を組んで天井を仰ぐ栄口。
「イメージとしては『受け止める』感じかな。当てに行こうとすると、どーしても押したり引いたりしちゃうんだよね」
「ほー」
「あと膝。腕で高さ合わせよーとすると失敗しやすい」
「楽をしない事だね」
「そだね。心構えとしては、自分がセーフになろうとしないで、転がす事にだけ集中する事かなー」
「参考になりました!」
「イエイエ」
口で説明して出来る様になれば苦労は無いが、今日は幸いにもバントの特打ち。
西広は今日も目覚ましい上達を遂げるのだろう。
初めは野球のルールすら把握していなかった西広。
中学や小学生からの経験者が集まった野球部で、1人スタートが遅れている事を物ともせず練習に励む。
経験者といえど、そんな西広の努力には煽られるものがあった。
そこでふと、栄口の脳裏にある疑問が浮かぶ。
「な、西広は何で野球部に入ろうと思ったの?」
その疑問はためらいなく口を衝いて出て来た。
ただ単純に疑問だったのだ。
いきなり硬式野球。
目指すは甲子園。
初心者には、いくら何でもハードルが高すぎやしないだろうか。
頬杖をついた西広は、んー…と唸ってから口を開いた。
「…笑わない?」
「笑うよーな動機なの?」
「ていうか、引かない?」
「たぶん?」
疑問符でやり取りされるおかしな会話だが、西広はとりあえず続きを話し始めた。
「オレ、妹居るじゃん」
「3歳だっけ」
「うん。でさ、受験の時はさすがに構ってあげらんなくてさ」
「西広でも受験勉強したんだ!」
「そりゃするでしょ。でね、受験終わった後はよく一緒に遊んでたんだけど…」
「うん」
「たまたま一緒に見てたテレビの番組で甲子園のダイジェストがやってまして」
「あー春のね」
「それを見た妹がさ…」
『かっこいー!おにーちゃんみて!かっこいー!!』
まだ拙い喋りで、球児達に『かっこいい』を連発したのだと言う。
「それで?」
「……それで」
「え、それだけ?」
若干頬を赤らめながら、西広は小さく頷いた。
「…っく」
暫くの間ポカンと呆けていた栄口だったが、突如腹を抱えうずくまった。
そして肩を震わせ、堪え切れず
「あーっはははは!!!」
涙を滲ませながら豪快に笑い始めた。
「つか…っ、ソレ…っ完全にヤキモチ…っ!」
「笑わないって言ったのに!!」
「いやゴメン…っだって…あはははは!!」
失礼な程に爆笑する栄口。
彼はツボに入ったら抜け出せない性質の様だ。
「だってヤじゃんか!」
「あはっは、やー妹さんナイス!超ファインプレー!」
真っ赤になる西広をよそに、栄口は相変わらずケタケタと笑い続けている。
ありがとう
顔も知らない西広の妹さん。
西広を野球部に導いてくれてありがとう。
栄口は心の中でコッソリと礼を言った。
そんな栄口の思考など知らない西広は、笑い続ける栄口をパシパシと丸めたノートで叩く。
用事を済ませた沖が戻って来て、事情を説明しようとする栄口を全力で阻止する西広。
面白がった沖が栄口に乗っかるミニコントが開催されるのは
もう少し後の話。
→あとがき
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