「はー…そんな事が…」


コーヒー牛乳のパックを片手に、ほえー、と思わず間の抜けた顔になる栄口。
花井と水谷の2人は、今日は1組に避難してきたらしい。


「もーいい加減監督に相談するべきかな…」

「オレら昼寝の時間削ってあちこちジプシーしてんだぜー。当の本人は飯食い終わったら即爆睡だしさ」


弁当を食べる間も阿部を1人にするのはさすがに心が痛む為、食べ終わってから何かと理由を付けて脱走しているようだ。
話を聞いていた巣山も思わず目頭が熱くなった。
可哀想に。


「んー…でもソレさ、阿部と三橋2人で話し合わせるしかなくね?オレらが口挟むトコじゃないっつーか」

「原因がバッテリーだもんなぁ」


1組の2人に解決策を求めるも、結論はやはりお兄ちゃんズと同じだ。
周りで騒ぎ立てても逆効果になる可能性の方が高いという判断である。


「まー…でもやり方はなくもないかも」

「うそ!?」

「どんな!?」


栄口の一言に、餌を放られた魚のように食い付く花井と水谷。
僅かに差した光明に目の色が変わる。
必死だなぁ、と巣山は苦笑いを浮かべた。


「要は、お互いの気持ちが本人の口から聞ければいいんだろ?」


栄口は平然と、妙案を告げた。




「阿部ー」




翌日の昼休み開始早々、教室の出入り口から自分を呼ぶ声。
阿部は顔だけそちらに向けると、そこには栄口が立っていた。


「なに?」

「あのさ、ちょっと部室行って来てくんない?部誌忘れちゃってさ」

「ハァ?自分で行けよ」

「どーせ次の部誌当番阿部じゃん。オレ委員会なんだよ」


あからさまに不機嫌な阿部に、お願い、と食い下がる栄口。
しかし尚も面倒、行かねェ、と譲らない阿部に、彼はトドメの必殺アイテムを繰り出した。


「ヤキソバパン買っといてやるから」


…恐るべし、ヤキソバパンの威力。
それは頑なに拒否していた阿部の重い腰を強引に持ち上げた。
阿部は盛大に溜息を吐いた後、『あとコロッケパンもな』と図々しく追加を要求して教室を出て行った。


「…どーよ?」

「行った行った。後は沖と西広と…運次第」


後ろから様子を見ていた巣山がひょい、と顔を出す。


「うまくいくかねぇ…」

「いかなかったらオレもう死んじゃう」


花井と水谷は不安を隠せない面持ちで阿部を見送った。




「あ、チャリ鍵忘れた」




いつも部室やグラウンドまで自転車移動していた為、つい癖で自転車置き場まで来てしまった阿部。
しかし今更戻るのもまた面倒なので、仕方なく歩いて部室まで行こうと決めたのだが。


──イライラする。


普段の一連の動作が思い通りに運ばない。
たったそれだけの事が阿部の頭を苛立ちで満たした。


(…原因は解ってんのに)


1週間前の三橋の突き指事件。
あの時耐えて、耐えて、耐えて言い聞かせた時の三橋の反応が嬉しかった。
自分が我慢して普通の声で話したら、スッと伝わった。
努力が報われた気がした。
それ以降、何かイライラする事があっても必死に耐えた。
キョドりを見ないよう、背を向けて耐えた。
それがどうだ。
必死こいて苛立ちを抑えて振り向いた時の、三橋の絶望したような表情。
こっちはあいつの為に精一杯我慢してるってのに、あの悲しげな顔は何だ。


(これ以上オレにどーしろってんだよ…!)


苛立ちから足音が自然と攻撃的になる。
そのせいか歩幅は大きく開き、思ったより早くに部室に到着した。


(…開いてる?)


しかし、部室のドアが不自然に開いている事に気付いた。
野球部の誰かが居るのか。
用事がある奴が居んなら栄口もそいつに頼めば良かったじゃねェか、と阿部は更に苛立ちを募らせた。
だが用事があるかどうかなどテレパシーでも無ければ解るまい。
自身の理不尽な言い分にも阿部は気付いていたし、そんな事を考える思考も結局苛立ちの要因となるだけだった。


「──…の、──…」


その時、中から聞こえてきた話し声を聞いて、ドアに伸ばした手が止まった。


「沖 くん は、カーブ…」

「うん、オレまだカーブしか投げらんない」

「でも、もう 覚え」

「んぅ〜でもまだ試合で使えるレベルじゃないよ」

「三橋は投球指導受けてないんでしょ?どーやって覚えたの?」

「オレ 本…トカ」

「スゲー、本読んで覚えたの!?」


どうやら部室内には沖、西広、三橋が居るらしい。
野球談義で大いに盛り上がっているようだ。
そんな会話を聞いた阿部は、金縛りのようにドアの前から動けなくなっていた。

オレ以外の奴とは普通に喋んのか。
田島とかとはクラスが一緒なのもあると思ってた。
でも沖と西広は3組じゃん。
オレとは何が違うんだ?

阿部の胸は苛立ちと共に別の感情で埋め尽くされた。
阿部はその感情の正体を知らない。


「で も、オレ、もう 役に立たない…」


しかし、三橋の次の一言で阿部は我に返った。


「阿部 くん 、怒んなく なった…から」


三橋の声のトーンがどんどん下がっていく。


「オレ…たぶん もう、イラナイんだ…」


その台詞を聞いた瞬間、阿部の中で何かがキレた。
沖と西広があたふたとフォローを入れていると、部室のドアがバーン!と勢い良く開いた。
魔王の登場である。


「てめェは…ホントに…!」


ワナワナと肩を震わせ、ギリギリと拳を握り締め、阿部は三橋を睨みつけた。


「オレがいつてめェをイラネーっつったよ!!オレがデケー声出したらビクビクしてオレが我慢したら被害妄想か!!なんで怒んなくなったと要らなくなったがイコールなんだテメーは!!」


思わぬ魔王の来客に、沖も西広も驚愕どころの騒ぎではない。
沖など既に失神寸前だ。
三橋はといえば、なんと驚きもせずにキョトン、と阿部を見ている。


「なんかあんなら言ってこいっつってんだよ!!」

「あああ阿部、おお落ち着いて、ね?」

「あァ!?」


早々に戦線離脱した沖の代わりに必死に阿部を宥めようとする西広。
対して阿部はヤンキー顔負けの形相で西広にメンチを切った。


「三橋にも、思う所があったんだよね?」


ね?と西広に声を掛けられ、三橋は小さく頷いた。


「だからソレをなんで──」

「嫌われたと思ったんだって!」


ようやく沖が立ち直り、仲裁に入った。


「阿部が怒鳴んなくなったの、見放されたからだと思ったんだって」


三橋は相変わらず呆けたままでいる。


「そーゆーイミだよね?」


沖が三橋に問い掛けると、またもコクン、と小さく頷いた。
しかし、今度はそれを聞いた阿部が呆けてしまった。
全く世話が焼けるなぁ、と西広がポン、と三橋の肩を叩く。


「ほら、言ってみ?」

「ぅえっ、あの…」


西広に促され、三橋はたどたどしくも自分の心情を語り始めた。


「オ レ、おこられる の、大事にされてるから だと思って て、」


時間を掛けて、ゆっくりと。
三橋の掛ける時間が、思いの丈を表すように。


「コワイ けど、嬉しかったんだ」


相変わらず目は泳いでいるけれど、言葉は確かに紡がれていく。


「で もオレっ、阿部くんにばっかり我慢 させて…」


抑えていた感情が塩水になって頬を伝う。

阿部が怒らなくなったのは、嫌われてしまったから。
嫌われてしまったのは、自分の性格や我儘、数々の心当たり。
それでも阿部は自分の球を捕ってくれる。
『投手』として、側に置いてくれる。
以前ならそれで十分だった。
投げられれば、何でも良かったから。


「オレ、もっと、がんばるっ、から」


欲深い己を心底嫌忌しながら、押し込めていた感情を初めて口にする。




「嫌いに…ならないで クダサイ…」




最初は、投げる為に嫌われてはいけないと思っていた。
自分が投手である為に。

だが今はもう、それだけではない。
チームメイトとして
友達として
もっとずっと一緒に居たいと三橋は願っていた。

三橋の長い長い話を聞き終わった阿部の瞳は穏やかだった。
もう怒気や些かの苛立ちも感じない。
そんな様子を見て安心した沖と西広はこっそり部室を後にし、阿部はふう、と息を1つ吐いて話し始めた。


「あのさ。オレ、お前とフツーに会話したかっただけなんだけど」

「ぅえ…?」

「お前いつもキョドるから」

「っご、ゴメ…」

「でもさぁ、『ソレ』がお前なんだよな」

「???」

「だから、オレもオレだ」

「? うん…?」

「コレはオレの性格だから、直せって言われてもすぐには無理なんだよ」

「うん…」

「でも『気を付ける』事は出来る」

「うん」

「だから、お前にも『ビビんな』とか『キョドんな』とか、もう言わない。代わりに、お前も気を付けろ」

「…っ、うんっ」


お互いがお互いを大切に思う気持ち。
思いを言葉にする事で、改めて通じ合う気持ち。
霧が晴れていくかのように、クリアになる視界。
目の前では、細くも強い糸が確かに2人を繋いでいた。


「…よろしくな」

「…!うんっ!」


三橋の飛びっきりの笑顔が、癖になりそうだと阿部は思った。





→あとがきという名の言い訳タイム










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