君のために 1



人は怒るのに、物凄く体力を使うらしい。
大事だから許せないのだという。
怒りと同じだけ、愛情もあるのだという。
だから怒られるうちが華なのだという。

大切な体力と時間を、自分の為に使ってくれる。
存在を、許されている。

それが解るから
いくら怒られても
オレは嬉しかった。





「アップ終わったねー!じゃー三橋君と阿部君はブルペン!内野と外野に別れて練習始めるよ!」

「「「あーっす!!」」」


モモカンの掛け声で、いつも通りの夕練の始まった。
いつも通り、何の変哲もない、日常そのもの。


「1球!」


バシッと爽快な音を立てて阿倍のミットに納まった三橋の投球。
これもいつもと何ら変わりない光景である。


「2球!」


立て続けに投球を行う三橋。
しかし、阿部からの返球がいつもより遅い。
阿部はじっ、と三橋を見ると、ようやくボールを返した。


「3球!!」


どうも先程より怒気の含まれた掛け声。
阿部の違和感を察したのか三橋は一瞬ビクっとするものの、またワインドアップから投球に入る。
そうして三橋から放たれたボールは、綺麗な孤を描き、阿部のミットに納まった。
しかし、阿部が動かない。
三橋は何か心当たりでもあるのか、阿部の殺気に近いオーラを感じて逃走体勢に入った。
だが、そんな事を阿部が許す訳もない。
阿部は立ち上がり、三橋に近付いて来る。
どす、どす、と聞こえそうな足音で。


「…解ってんな?」


三橋の元に辿り着いた阿部は開口一番そう言った。
対して、三橋はやはり心当たりがあるようで、血の気の引いた顔でキョドキョドしている。


「疲れてんのか?」


三橋はブルブルと首を横に振った。


「じゃあ指見せてみろ」


ドスの利いた低音で三橋にトドメを刺す。
観念した三橋は恐る恐る右手を差し出すが、特段おかしい所はない。
しかし、阿部は三橋をひと睨みすると質問を続ける。


「転んだりしたか」

「しっ、して ない よっ!」

「じゃあ今日の授業に体育あったか」

「……っ!」

「競技は」

「バ、バスケ…」

「パス、もらったな」

「…ハイ…」

「ミスったな」

「…………ハイ」


阿部の尋問によって、三橋の不調の理由が明らかになった。
そこまで聞いた所で、阿部は大きく息を吸い込んだ。
そして




「なんで早く言わねんだこのダアホ!!!!」




阿部の怒声は、グラウンド中に響いた。
木に止まっていた鳥達が、逃げ出すほどの声量で。


「あーあ…やっぱバレたか」

「えっ、なに?」


その時、外野でノックをしていた泉が呟いた一言に、水谷が反応した。


「今日の体育バスケでさ。パスもらうの失敗して軽く付き指したんだよ」

「ええっ!?」

「つってもホントに軽いモンだったし、ちゃんと保健室行って手当てしてもらったし、保険の先生もヘーキだっつってたんだぞ。大体1時間目だったし」


泉から阿部の怒声の理由を聞き、一瞬慌てる外野陣。
しかし、突き指自体は大した事はないと聞いて内心ホッとした。


「でも阿部がウルセーから一応話しとけって言ったんだけどなー。やっぱ言わなかったんだな」

「まぁ…言うのに勇気は要るよね」

「しかも『突き指しました』なんて報告…レベル1で魔王に挑むよりコエーよ」

「…気持ちは解る。解るが泉」

「んあ?」


花井が拳を握り締める。
泉は振り向いたと同時に脳天に衝撃を覚えた。


「ってぇ!!」

「何でオレにも言わねんだ!!監督にも報告するべきだろーが!!」

「悪かったよ!忘れてたんだ!」


どんな小さな怪我でも、怪我は怪我。
それも投手の突き指とあっては一大事だ。
この一連の流れは、無論内野陣でも行われていた。

そして怯える三橋をベンチまで引きずって来た阿部は、篠岡に救急箱を出してもらい、念の為もう1度中指を固定する。
しかし、突き指してから時間は経っているし手当ても早かった為、放っておいても翌日には完治している程度のものだったが、阿部と監督の判断で今日の三橋の投球練習は無しとなった。
テーピングを終えた阿部は三橋をひと睨みすると、また野太い声で話し始める。


「オレ言わなかったか?」

「ご、ごめん なさい…」

「バレーはアンダー以外やるな。バスケは極力パスをもらうな」

「い われ…ましタ…」


ベンチに正座し、俯いて答える三橋。
阿部はハア、と大きな溜息を吐いた後、頭をガシガシ掻いて続ける。
体育なのだから、多少は仕方ない部分はある。
しかも三橋の性格だ。
クラスメイトに説明も主張も出来はしないだろう。
そこで協力者が必要になる訳だが。


「浜田達に協力してもらわなかったのか?」

「オ レ、ちゃんと頼んだよ!」

「パス出さないでくれって?」

「う ん…でも」

「?」

「松本くん…あ、クラス メイトの、で、パス…田島くん達、はチーム 別で…ハマちゃん と」


あたふたキョロキョロしながら、拙い言葉で必死に事情を説明する三橋。
10秒で終わる話にたっぷり5分使い、何とか説明を終えた。
まとめるとこういう事らしい。
田島と泉は別チームで、三橋は浜田と同じチームで組んだ。
始めは浜田が動けない三橋の分まで頑張っていてくれたらしいのだが、そこで同じチームの松本くんから苦情が入った。
三橋も動け、と。

まぁ当然である。
部活に支障が出て困るのは何も野球部だけではないのだし、クラス活動に協力的でない姿勢について文句が出るのは避けられない。
実際浜田も必死にフォローしてくれていたのだが、あまりに申し訳なくなった三橋は言ってしまった。
オレ、やるよ、と。
指、気付けるよ、と。

結果、これである。

阿部は頭を抱えた。
正直突き指など本人が気を付けていれば起きない怪我である。
100%とは言い難いが、三橋の過失だろう。
そこに思い至った所で、阿部はもう1度怒鳴ってしまいたい衝動に駆られた。

あれほど気を付けろと言ったのに。
我ながらうるさいと思ってしまうほど口を酸っぱくして言い聞かせていたのに。

しかし、阿部は抑えた。

落ち着け、落ち着け。
この程度の突き指なら放っといても明日には治る。
これ以上ビビらせたら今日の練習もままならない。
耐えろ、オレ。

阿部は心の中で何度も台詞を反復し、怒りを無理矢理落ち着かせた。
そして大きめにゆっくり深呼吸すると、


「…解った。もう二度と同じ事やんなよ」


出来る限り、普通の声で。
阿部は言葉を吐き出した。
三橋は阿部の台詞を聞くと一気に緊張がほぐれたのか、強張っていた肩の力を抜き、元気良く『うんっ!』と返事をした。









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