05

あの夜のことを、慶は覚えていないらしい。

露天風呂であったおっちゃんと意気投合、酒を勧められるがまま飲み、酔っぱらったし逆上せてまったく覚えてないという。
あぁ、だからいつもと様子が違ったのか、と納得し覚えてないならこのままでいいと一つ秘密を増やすことにした。

三門市に帰ってすぐ産婦人科を受診し、緊急用ピルを服用して様子を見た。
ありがたいことに数日以内に生理が来たのでそれ以上不安になることはなく、いつもの通りだ。

うだるような暑さが続く中、夏休み期間中であるにもかかわらず資料整理をしてくれと教授に呼び出されて早三日。
全く終わる気配のない膨大な資料は減りを見せるどころか増えている気がした。

これは気分転換でもしないとうんざりしそうだ、と資料室の窓をすべて全開にして空気の入れ替えを試みる。
ついでにここからあえてちょっと遠い自動販売機にでも走って行ってこよう。
とにかく資料整理以外をしないと気が狂いそうだ。

長い髪を高い位置でポニーテールにして軽く準備運動。腕時計のタイマーをセットして走り出す。
夏休み中だから構内に人は少ないから走って人にぶつかるなんてことはないだろうという油断から思いっきり走る。
油断していても結局その通り人はほとんどおらず目的の自動販売機まで到着する。
片道5分か、ちょっとかかっちゃったな。なんて思いながらタイマーストップし、スポーツドリンクのボタンを押した。

「小百合?」

スポーツドリンクを拾い上げると聞きなれた声がした。
二宮だ。夏休みなのになんでいるんだろ、と思っていれば顔に出てったのか資料整理を頼まれたらしい。
どうやら私の手伝いというか資料整理の人員強化されたらしい。

「二宮も暑い中大変だね」
「三日経ってあの教授も一人じゃ裁ききれないと思ったんだろ、判断が遅すぎる」
「初日に資料室入った瞬間大学に寝泊まりコースかと思ったよ、さすがに帰らせてもらってたけど」

防衛任務もあるし、ボーダーでの仕事もある。
毎日少しづつではあるものの、大学とボーダーの往復を続ける日数は少ないほうが負担がないのは確かだ。人員強化ありがたい。

それにしても熱い。ずっと汗が吹き出てる気がする。
買ったばかりのスポーツドリンクも半分一気に無くなった。
二宮も同じように飲み物を買ったのか、取り出し口から缶コーヒーを拾い上げるとさっさと行くぞと声を掛けられた。

「資料室の窓開けてきたけど涼しくなってるかなー・・・」
「今日風無いから無理だろうな」
「おとなしく空調入れてもらえばいいか・・・あぁ、でもあそこの空調壊れてるんだった」

資料整理が終わったら教授に焼き肉奢らせよう、じゃあ通り沿いのあの店だなと話し合う。
資料室に戻るとささやかながら扇風機が数台置かれており、よっしゃっ、と喜びのままに電源を入れていく。
うん、涼しい。ありがたい。

扇風機の人工的な風にあたっているとその風切り音の中、古くて音の鳴る資料室の扉の締まる音がやけに鮮明に聞こえた。
それに違和感を感じて立ち上がって扉を見ると同時に二宮に壁際まで追い詰められた。
結構な勢いと不意打ちで壁に頭を打ち付けるとその痛みですこしくらくらする。

「にの、」
「無防備にもほどがあるだろ、小百合」

襟を後ろから引っ張られぐえっ、と帰るみたいな声が出ると色気がないと後ろから聞こえる。
二宮の手によって暴かれた私の無防備なうなじには視線が注がれている。
あ、なんか多分だけど二宮不機嫌か?とチクリと刺す視線で感じると不意に二宮が好んでつける香水の香りがした。

「二宮?」
「太刀川と何があった」
「へ!?なんで!?」
「気づいてないからか・・・歯形と薄くなってるがキスマークがひどいぞ」

嘘、マジ、とうなじを指先で触るがわからない。
指摘されて、見えてもいなかったそれが急に恥ずかしくなり手で覆うがその上から二宮の唇が降り注ぐと体が固まった。
意外に柔らかい二宮の薄い唇の感触が、やけにはっきりとした輪郭で伝わってきて心臓が痛くなるほどせわしく動き出す。

「に、にのみや、その、恥ずかしいから放してほしいんだけど」
「・・・放すと思うか?」

うなじを隠していた手を捉えられ壁に縫い付けられると今度は直接吸い付かれる。
いつの間にか足の間に二宮の足が入り込んでいて身動きも封じられていて、慶と過ごしたあの夜を必然的に思い出すと身が震えた。
にのみや、と呼んだ声は想像以上に震えていて二宮を見たはずだった視界も少し滲んでいた。

よろける体を引かれるまま埃っぽいテーブルに押し倒されると二宮がよく見えた。
蒸し暑さで滴る汗が首筋に通っていて、思わず息をのんだ。

「前に言ったことは覚えてるか」
「え、あ、えーっと・・・」
「『意識されてないならされるまで詰め寄る』と言った」

シャツのボタンが指先で一つ外されながら覚悟しろ、と言われている気がした。
普段見えることのない鎖骨に何度か吸い付かれると体が硬直する。

でもさすがにこれはやばい、と震える手で二宮を押し返そうとするがその手を取られ、指先に優しく口づける。
二宮は私の手を取ったまま、逆の大きな手で私の頬を撫で、親指で涙を拭い取って、とろけるほどの声で力を抜いていろと言う。
仕上げとばかりに指先で耳の裏を撫でられると不思議なくらい心地よくて思わず目を細めると、二宮の唇が落ちてきた。
先ほどまであれほどはっきりとした輪郭を保って感じていた唇も、同じ場所にされるとこれほどまでに境界線を失い、体温の輪郭もなくなるのかとどこか冷静な頭で感じた。

きぃ、と立て付けの悪い古い資料室の扉の音がして急速に思考が覚める。
太刀川か、と言った二宮の声が聞こえるのと同時に視界の端に慶が見えて呼吸を忘れた。
開けたままの窓から聞こえるセミの鳴き声と回りっぱなしになっている扇風機の風切り音が耳鳴りと一緒に頭の奥で響いている気がした。




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