02
トリオン体が好きだ。
傷のない体、滑らかに動く左手の指、きちんとある握力。
あぁ、いっそ私に体もトリオン体になってしまえばいいのに、とそう思いながらトリガーを起動させた。
「お、凛子じゃん。ランク戦?」
「米屋も?」
「そうそう、暇なら10本勝負しようぜ」
ちらちらと視線が刺さる。
おそらく有馬隊の隊服が珍しいのだろう。隊長や狙撃手の桜庭ちゃんはランク戦を好まないし、今期どころか有馬隊はもうA級ランク戦には参加しないことになった。
おかげで有馬隊の隊服は見慣れないこともあって目立つ。
「有馬隊の隊服評判いいからな、特に凛子のは」
「私の?」
シャツにサスペンダー、バッグワームもデザインを手がけた桜庭ちゃんのお母さん好みになっている。
色をシックにおさえつつデザインされたそれは隊長は好みではないらしいが、私は案外このコスプレ臭いのが好きだったりする。
ただ私の隊服が特に評判がいいというのは初耳だ。
「タイトスカートでガンガンぶっぱなしてくる絵面はモニターで見るとやべーって話」
「ふーん?そんなもんなんだ」
「え、そーゆー目で見られてるかもって話だぞこれ?」
「だってこれトリオン体だし」
そう。どんなに願っても、この綺麗な体はトリオン体なのだ。
そういうもんかね、と納得しがたそうにする米屋に、少年漫画の服みたいに上半身だけ脱げるとかないしね、と笑いながら隣り合わせにブースに入り10本勝負を設定。
米屋とこうして個人ランク戦するのも久しぶりだ。
米屋はリーチのある攻撃手だ。
その上オプショントリガーで刃先を変形させてくる。
銃手として射程分のリーチはあれど、動き回る米屋に当てる技術は10発撃って5発の五分五分か。
それなら、と2丁拳銃の片方。利き手側でないほうの銃を捨ててスコーピオンを出した。
リーチの外側から崩すのが難しいなら、リーチの内側に入ってしまえばいい。
とん、と米屋の心臓をスコーピオンで貫いて一本目を取る。
残った9本を含め、10本勝負で米屋とは引き分けた。
「引き分けか〜〜〜はっきりしねぇなー」
「引き分けって言っても私ほとんど四肢切り刻まれてたから気持ちは米屋の勝ちだよ」
両利きとはいえ利き手ではないほうで扱うスコーピオンは隙が生まれやすく、そこを米屋は本能的に攻めてくる。
だからといって左右のトリガーセットを入れ替えると今度はハンドガンの照準がぶれてしまう。
どちらもマスタークラスだというのに、いまいち馴染まないのが課題だ。
「つーか前体調悪そうだったけど今平気なのか?」
「うん、平気。あの後、秀くんに保健室に投げ込まれたけど」
雨の日はどうしてもだめだ。
雨を感じない施設内に入ってしまえば気にもならないが、それでも梅雨が気持ち悪いことに変わりない。
トリオン体である内はそれも感じない。
米屋と別れ本部内の自室に戻るとヴァイオリンが目に入る。
第一次侵攻の時怪我をして以来、生身では弾けなくなってしまったそれを後生大事に持ち続けているものだ。
そんなヴァイオリンの横に立てかけるように置いているフレームのみのヴァイオリンは電子ヴァイオリンだ。
本体にイヤホンを差し込めば演奏している音は自分にしか聞こえないので、騒音などを気にせず自室でも引ける素晴らしい文明の利器。
トリオン体になるともっぱらこちらばかり引く。以前使っていた普通のヴァイオリンは、あの日以降恐ろしくて触ることができていない。
あの日はあのヴァイオリンでコンクールに出るはずだった。
ステージに立った瞬間に近界民が襲ってきて、会場内を必死に両親を探して。結果両親は再会後すぐに私をかばって死んだ。
残されたのは誕生日に買ってもらったヴァイオリンだけで、それだけ持って逃げだしたのを今でも覚えている。
指が引っかかり、集中できない。
トリオン体で居すぎるのも眠れなくなるからやめよう。と、トリガーを解除して部屋を出た。
ラウンジの側にある自販機までくると、ここにしか置いていないミルクティーを買った。
限定なのかなんかのかはわからないが、ミルクの滑らかさと優しさ、紅茶葉の味と香りを最大限引き出した抽出方法は価格設定にしてはかなり満足感を得られる仕上がりでお気に入りだ。
自販機の取り出し口に手を突っ込むとふと視界の端が暗くなり、顔をあげると幼馴染が立っていた。
「秀くん?こんな時間までお疲れ様」
「あぁ」
いつの間にかブラックコーヒーを飲むようになった彼を横目に買ったミルクティーのプルタブに指をひっかけようとした時だ。
横からそれを取られプシュッ、という開栓した音がするとそれをまた渡される。
「ありがと、秀くん」
「いや、いい」
開けてくれたミルクティーを受け取りのどに流し込む。
会議でもあったのだろうか、そういえば有馬さんも呼び出されていたような気がする。
会話が続かなくて、またどこからともなく湿度を感じた。少し苦しい。
「凛子、お前の演奏のデータってあるか?」
ぎゅっ、と心臓を掴まれたみたいだった。
秀くんは飲み終えた缶コーヒーの空き缶をゴミ箱に入れながらこちらを見ていて、ポケットから音楽プレイヤーの端末を出した。
「聞きたくなった、何かあったらデータがほしい」
「あ・・・アメイジンググレイスならあるけど・・・」
「アメイジンググレイス・・・じゃあ頼んでいいか?」
「うん、じゃあちょっと待ってて。すぐ入れてくる」
「明日でいい、じゃあな」
「あ、うん、また明日」
秀くんが立ち去り、心臓が解放される。
あの日から、話すことが難しくなった。
もっとずっと一緒に居たいのに、秀くんとの距離は遠ざかっていく。
「アメイジンググレイス・・・演奏しなおそう」
明日渡すための楽曲を録り直して、それから寝よう。とふらふらする足取りで部屋に戻る。
願いを込めて、この曲に思いを乗せて、どうか届いてくれますようにとヴァイオリンを手に取った。