02

桜庭が自分の部屋にいる、という非現実的な空間は馴染んだ自分の部屋とは思えず妙に緊張した。

桜庭がおじゃまします、と家に上がったとき居合わせた母の顔はたとえようがないほど驚いていて、そのあとすぐに喜んでいた。
あぁ、どこの家もこんな感じなのか、と桜庭の家に初めて行った時のことを思い出しながら勉強するから邪魔すんなよ、とくぎを刺しておいた。

「えっと、宿題だったよね。どれだっけ?」
「数学のやつ、問24のとこ」
「あ、これね」

これわかりにくいよね、と俺の普段使うシャープペンシルを使って説明や書き込みをしていく。
その距離の近さは、あぁ、桜庭ってまつげが長いんだな、とか、指先が綺麗だとか余計なことばかり考えてしまう感じだ。

「ちょっと恥ずかしいな」
「え」
「荒船くん見すぎだよ、そんなに綺麗な字じゃなくてごめんね?」
「あ、いや、わるい」

自習室に集まる時よりも近い距離に浮かれてしまう。
どうしたって桜庭の前では格好がつかず、浮き足立つ。
自分の部屋で、惚れたやつとふたりきりと言うシチュエーションは、たしかに間違いを犯したくなる甘さを含んでいた。

「哲次ー!夕飯できたよー!お友達も呼んでー!」

下の階から響いてきた母の声に感謝するのと同時に落胆もする。
うるさくて悪い、飯食ってけよ、と立ち上がるといいの?と桜庭は言う。
見上げる桜庭はなんか申し訳ない顔をしていたが、母親が勝手にしたことだし、なんかうるさいかもしんねーけど、と言えばじゃあ、と立ち上がる。

「友達の家の夕飯に招かれたの初めてかも」
「そうなのか?」
「うん、向こうにいた頃は放課後とか休みはほとんどモデルの仕事ばっかりだったから、なんか新鮮」

楽しみだな、と笑う桜庭は案内されるままリビングに通される。
父と母は既に居て、桜庭を席に案内すると父がそわそわし出して少し恥ずかしい。
母もチラチラと見てくるからいたたまれなかった。

「夕飯ご一緒していいんですか?ご迷惑じゃ・・・」
「いいのいいの!それより哲次が可愛い子連れてきてびっくりしちゃって。
ほらこの子口が悪いでしょ?ちょっと心配で・・・」
「あらふ、哲くんは優しいですよ。仲良くしていただけて私も嬉しいくらいです。
あ、なにかお手伝いしますよ。」

まー!と見るからにテンションの上がる母に恥ずかしさが高まった。
次は絶対に人がいない時に呼ぼうと決め、客は座ってろ、と桜庭を座らせた。
いつもなら祖父もいるのだが、今日はご近所仲間と飲みに行っているらしく不在だった。

しかし哲くん、という響きはなかなかにいい。
いつものように荒船くんと言わなかったのは、ここには荒船しかいないからだとわかっているがそれでもたまらないものだった。
父も哲つながりだからか妙ににやけていていらだちから脛を蹴れば、お前ほんと俺に似てるなぁ、と言われた。にやつく顔をやめてほしい。

夕飯は桜庭がいることで母親が気合いを入れたのか量が多い。
桜庭を見るとお母さん料理上手なんだね、と笑う。

「食ったら送ってく」
「遅いからいいよ、明日朝から防衛任務でしょ?」
「遅いから送るんだよ、大人しく送られとけ」

そもそも危険を承知で外出許可をもらいに行ったのは俺で、せめて送り迎えは、と思った。
ボーダーでいいか?と聞けば、ごめんね、という。
じゃあ俺も今日はボーダーに泊まろうか、と考えたがそれはそれで根掘り葉掘りこの両親に聞かれそうだ。

食器を片付け、荷物を持ち直して家を出ると夏の暑さと湿気を含んだままのじっとりとした夜になっていた。
おじゃましました、ごはん美味しかったです。と桜庭が言うと母は嬉しそうに、父はどこか笑ってまたいつでも来てね、という。
にまにまと笑う両親にはおそらく後で色々聞き出されるのだろう。

「なんかこんなに一緒にいるの初めてだね」
「映画二本見て、それから勉強して、って結構早く過ぎたけどな」
「でも楽しかった」

近い距離で並んで歩く。
相合傘をした梅雨の日からそんなに経っていないというのに、この距離がひどく懐かしい。

「そういえば、さっきの」
「さっきの?」
「哲くん、ってなんかいいな」
「あ、ごめんとっさに・・・」
「まぁあそこには荒船しかいないし」
「うん、それで、つい」
「呼べよ、これからも」

本当は名前で呼んでもらいたいが、今の関係じゃこれくらいが限界だろう。

「て、てつくん?」
「なんだ、桜庭」
「そっちは苗字なんだ・・・」
「春菜」

名前を呼べば街灯に照らされた顔が赤くなっているのがわかる。
呼んでいいんだろ、と帽子を深くかぶって言えば遠慮がちに服の裾をつままれる。
弱い引力がひどく心地いい。

「なんかくすぐったいね」
「だな」
「次は花火だね」
「浴衣着るのか」
「着たいなって思ってる、まだ迷ってて買ってないんだけども」

どんな服装でもかわいいんだろうな、というかかわいいだろ。
あぁ、花火が楽しみだって、そう思うのはいつ振りか。

高校最後の夏休み、最後の8月が終わろうとしていた。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -