(テンポと宇宙人)



 あの日。俺たちは離陸した。ネイミー、大海原に行けただろうか。

 雨の日だったことを覚えている。雨に良い思い出は一ミリもない。相合傘にすら欠片も良い思い出が付随していない。青春は丸ごとドブだ。っていうかこんなところに流れ着いている時点で軒並み全員揃いも揃って運がない。基本の人生がドブガチャ甚だしい。タイムイズマネー、課金が下手でガチャ運がない上にシモキタザワとかいうサーバーに友情・夢・希望は未実装です。無いものねだりは大概にしてさっさと手元のブタをどうやってきらめかせるかについて考えようね、コンビニで買えるアイチューンカードは俺たちのことを救わないから。
 さて。あの日突然やってきた愛しくて憎い宇宙人についての話だ。宇宙人、猫、未確認生命体、濡れ雑巾、妖精、粗大ごみ、居候……などなど、どのように表すかはお任せするとしてその生き物。息をしている物が。ライブハウスに来襲した日のことを。覚えているだろうか。彼のばらまいたマシンガンも顔負けの弾丸を、というのは別にあることないことのないことの方。
 覚えている。そこにいた誰しもが覚えているだろうけれど、その日のことを話すと主観がへたくそに入り混じってしまって少しずつ矛盾する。そういう矛盾のことを許容したうえで、俺はこのくだらない話をする。離陸したあの日について。

  *

 こういう日に酒を飲む、というのは大体において逃避行。みたいなもんだ。全然逃げ切れてはいない。吟遊出来ない詩人みたいに閉じこもっている。窓のない箱の中で。防音扉の内側に居たからって守られるわけではないことをよく知っている。知っているけれどこの扉も、機材のない空のステージも、がらんとしている部屋の半端に片付けられたバーカウンターも、ほんの少しだけ忘れさせた。今日の天気は、雨。
 勝手にカウンターの向こう側の酒を漁っては炭酸で割る。座ったまま届く範囲に置いてある方が悪い。氷は切らしていて少しぬるいものばかりだ。カウンターの片付けをしながらアルトくんが「はいこれ食ってくださいね」と残り物のポテトを出した。冷蔵庫に入っていたのも手伝いまくって、しなしなでぱさぱさという天才的なおいしくなさ。しかも油っぽい。ごまかすようにやけにコショウがかかっている。こんなん出すなよライブハウスリリク。
「……やっぱまずいよねこれ」
「生ゴミ出すよりいいと思ったんすけどね、あ、共食いになっちゃうから無理か?」
「アルトくん本当に性格悪い言い方するようになったな?」
 口の中の水分を微妙に奪われてよくわかんないゆらちゃんの残した酒を飲んだ。お酒で水分補給はできません、というのは知ってるけど口への気休めの前にはどうでもいい。ウィスキーのロック。氷がとけて薄くなっている、ほとんど水割り。
 この隣の女は、本当は酒も甘いのが好き。俺にグラスを預けたゆらちゃんはというと、席から手を伸ばして牛乳とチョコレートリキュールに手を出そうとしている、アルトくんが絶妙に届かないところに牛乳パックを動かしているのを眺めた。

 雨の匂いはこのアルコールと煙草にも殺されずここまで来ていた。たくさんの人のいたこの場所でもかき消されはしなかった。服に、髪に染みついた雨粒たちはここに溶かされたのだろうか。連れ込まれたその匂いをどうしても追ってしまう。気のせい、被害妄想、その類だとしても。音楽ではどうしても殺せない。だから雨は嫌いだった。

「サポメンしてたバンドの解散ライブまじでむかつく解散してほしい」
「何を言ってるかわかんねえけど超わかるよゆらちゃん」
「むかつくひたすらむかついている何に怒っているのかわからない今日に限って日宵が帰っちゃったのもむかつく」
「すぐ日宵ちゃんにカウンセリング頼むのやめなよ……老老介護だよ……」

 ゆらちゃんと親友レベルで仲のいい枯袖日宵くんは普通にメンタルが地獄の方のヘルなのでこの二人で飲ませるのってまさに地獄で全部悪いって感じ。牛乳で割ることを諦めたゆらちゃんはジンジャーエールとアマレットを酒多めでかき混ぜながら煙草に火を、点けようとして辞めた。灰皿を少し遠くに押しやる。
 牛乳はアルトくんの手でさらりと冷蔵庫にしまわれ、代わりに冷蔵庫からは追加のポテトが吐き出された。容赦なく目の前のさらに盛られる。申し訳程度にケチャップを置くのやめて何の嫌がらせなの。

「むかつく……なんで孤高のクソベーシストしかいないんだ……」
「あーあそれ言う? 言ったな? 野生のドラマーのくせに? やっぱギター? 買おうかな?」
「野生のドラマーと孤高のベーシストほど役に立たねえ生き物もいなくないっすか」
「先日まで群れてましたー」
「なっがい先日すぎるわ」

 確かにー、と、笑った自分に若干の軽蔑。不謹慎は笑えてしまうタイプだけど笑えないことだってある。二年くらいだったと思う、二年の間に何をしていたのかよく覚えていない。スラムアパートもびっくりのクソ生活、売ったら一か月困らない腕時計をもらった。それがあれば何ができるわけじゃないし即売ったけど、不思議とそこに重たさを感じてなかったから向いてはいたと思う。続けてたらもうちょい上手に人間やめられてたはず。

 本日フロアの端で拾った落し物の煙草をポケットから出して火を点ける。「あ、」あたしが気を遣ったのに! と、ゆらちゃんが言うより前にアルトくんに「マジで死んでゴミ以下」とおしぼりで火種を潰された。ほんの一瞬だけ香ったバニラ、キャスターの甘さと煙さはそれだけで心と喉を引っ掻いた。

「なんだっけあいつ、金に青いメッシュだったか紫と金のツートーンだかの、今どうしてんの」
「全然違う人物でしょゆらさん男見る目そっから死んでるんすか」
「や、どっちもあってる」
「パーティー過ぎじゃねえの大丈夫か」
「あ、でもなんかちょっと前とか髪色暗かったらしいけど。ウケる」
「なにそれ、社会に迎合してんの?」
「身元隠蔽じゃねえの、どっちかってゆうと」

 死んだあいつの噂話、不謹慎。どうっでもいい。人づての人づての人づてくらいですら話を聞かない。疎遠になるのばっかり得意だ。腕時計をくれた女の人の顔もよく覚えちゃいない。
 こういう日にきちんとこの面倒なくずのために照明を落としたままで残飯パーティーを開くこの場所のぬるすぎるところ、吐き気がするほど好きだ。蛍光灯の灯りだって心を殺し、雨にきらめく街灯だって目を焼く日だ。

「ってか店長どこ行ってんの」
「氷買いに行くって言ってた」
「この雨の中?」

 ライブの最中に相当雨が強くなったことには気づいていた。ふらりとビニール傘片手に出て行ったひょろりと長い影のこと、忘れていたわけじゃないけど、ふと思うと気がかりだった。誰も氷は欲してない。
「ついでにつまみも買わせてる」
「下僕が主人ぱしってんじゃねえよ」
「出たのは勝手に出たんだよ」
 っつーかこっちはバカ犬のしつけまで承ってねえんだよ契約外労働は悪だぞゴミ処理の時点で契約外だっつうはなしだよおめーの話だよ、と、口からよくもここまでなめらかに罵詈雑言が飛び出すものがとそのまん丸の瞳を眺めながら思う。此処にきたばっかりの時は一人称「ぼく」とかで可愛かったのなあお前。

「たっだいまあ」

 と、機嫌よさげな店長の声がした。噂をすればというやつだ。少し間延びしがちな喋り方は他人に若干の苛立ちを与えるくらいしか長所がない。昔は歌っていた? との噂も聴くが、すこしかすれて低い声をしている。音楽にはなんでも手を出してそこそこの才能とそこそこのセンス以外なかったからそこそこのライブハウスを経営している、とは本人の言だ。ライブハウスひとつで世界を変えたいとは思わないけどバカでクズで行き場のない人間が漂着する場所があってもいいと思ったんだそうだ。多分この人はともだちの死んだことのあるタイプの人間、というのは今はどうでもいい。
 外の風が冷たいのかほんの少しここまで冷える。扉は開いたままにしているようで雨音が大きく響いた。外に出るのがよりもって億劫になる。俺たちは三人とも振り向いたりしないでそれぞれのグラスや携帯やなにかを眺めて彼が入ってくるのを待った、が、なにか手間取っているのかなかなか扉がしまる気配も彼がこちらに入ってくる気配もない。もどかしさで三人ともすこし視線を交わす。嫌な予感がする。
「……女」
「ないな」
「猫?」
「ありうる」
「殺し!」
「通報通報」
 ぽつぽつとしょうもない憶測を適当に並べてにやにやとした。気を紛らわしたといっても良い。ばたん、と表の扉がやっと閉じる音がしてそのまま開きっぱなしにしている内扉そするりと抜けて入ってきた背の高い影。

「ねえねえきいてよー、さっきそこで猫? ひろっちゃった」

 とのたまう男の影の後ろにくっついてきたそれは、どうしたって猫の形をしていなかった。ぼろぼろの雑巾みたいなびしょびしょのそれは、どうしたって猫の形をしていなかった。びしょびしょでひたひたとしずくを垂らして、ふるえもせずぽつりと立っている、宇宙人のような違和感を携えた生き物。……たぶん、いきもの。

「……は?」
「あ、ごっめんただいま言ってないっけか?」
「……は?」
「猫、ひろっちゃった」
「……は?」
「アルトちゃーんタオルとってきてー」

 どすの効いた「は?」を連発したうえで反射的に言われた通りタオルを取りに行ってしまうの、下僕としての成長がひどい。可哀想の極み。一人称がぼく、で、丁寧なことばで柔らかく笑ったあの純情少年はどこへ、今でもここに暮らしていることを知ったうえでも。
 何考えてんだ? つーかそれなんだ? 矢継ぎ早に言葉が飛び出ている口と一緒にタオルを差し出す手が存在するからその噛み合わなさが酷い。ちょっと全員変な酒のはいりかたしてんだろ。俺は内心にやにやと他人事でその光景を眺めていたが、ゆらちゃんは呆然と眺めていた。この人、意外と理解の範疇超えたことが起きると追いつかなくなるタイプだよな。

「飼おうと思うんだよね」

 しれっと店長の口から言葉が落ちた瞬間、ついで言葉をぶん投げたのはゆらちゃんだった。「いや待てコラ」席を立って店長の目の前にずいっと寄った。次いでアルトくんがタオルをもう一枚渡しながら「捨ててきてください」と鋭く言う。強気なスタッフ二人に厳しい言葉を投げつけられて少し困り顔の店長は俺のことを手招きした。巻き込み事故である。仕方なく俺も椅子から立って寄ると、そのままタオルと生き物を渡された。拭いといてという意味らしい。めちゃくちゃ困る。
「いいじゃーん、ちゃんと育てるからぁ」
「だめ。絶対店長世話しねえでしょうが。もとあったとこに返して下さい」
「アルトも捨ててきなさいじゃねえよ猫じゃねえだろこれ人間だし多分家とか生活があるしペットじゃねえし割と大人だし大体テメェどこでどのように住まわすご予定だよ」
「ちょっと待ってえっ誰ゆらちゃん真人間かよすごいそんな人道的な言葉使えるんだいつもその調子でいこ?」
 使えるわボケ。適当に俺が入れた茶々にゆらちゃんがどすの効いた声で応える。よくわかっていないのか頭をぐしゃぐしゃと拭かれている“いきもの”のほうは一言も口を利かない。俺が拭いている間も身じろぎもしなかった。俯いたまま動かない。

「大体、誰だか存じ上げないけどあんた、なんでこんなとこにいたんだ。この雨の中!」
 こんなうさんくせえおっさんに着いて来ちゃったりして。ゆらちゃんがとうとうしびれを切らしたように宇宙人に話しかける。その点については全面同意なのかアルトくんもじっと宇宙人を見た。反応はない。代わりのように店長が口を開いた。害悪が口を持ったようなやつだ。

「いや、ちょっと前からよく見かけてたんだよね。裏口あたりに座ってて。おやつとか与えてた」
「菫とかいうクソ店長はなんていうか黙れねえなら死んでほしいしマジで生きて執り行うことの全てが有害だから死ねよ」
「やだ、アルトちゃん口わるいよ?」
「どうぞ後生でございますのでご冥福お祈りさせていただけませんか?」

 こんなの絶対何の役にも立たなそうな生き物をこんなところに置いておけるかよ。と、アルトくんは吐き捨てるように言った。返してこい。鋭い音でもしそうなくらいばんばんと飛び出す暴言たちに店長はちょっと笑った。
「アルトちゃん特大ブーメランじゃない?」
「は?」
「なんにもできなかったでしょ、二年前のキミ」
 うるせえ今それは関係ないだろ! と、アルトくんが噛みつく。この大人にこの少年はいつまでも敵わない。本当に対等に彼らがなったとき、そいつは本当に最高なんだろうけど俺がそこまでこの人たちと疎遠になっていないかどうかは分からない。俺一番長く続いていた友達って、多分リーナとオトだ。いや、あっはは、そんな目で見ないでくれよ。


「ギターが、弾ける」


 かさかさした声だった。少し風邪をひいていたのかもしれなかった。こういう劇的な瞬間の一言は切り抜かれたみたいに凛と響くのが定石だろって。その言葉は響くことなくぽてりと不恰好にフロアの真ん中におっこちた。確かに時間が止まった。防音は成功しているのだ、雨音の一つも漏れ聞こえてはいない。雨を、忘れた。
「うわ、おい」
 するりと俺から離れてゆらちゃんとアルトくんの真ん中を割って入っていった。そのままひたひたと歩いていく。無音。ゆらちゃんもアルトくんもひたひたと歩いて行くその後ろ姿を見つめている。そのいきものは泥だらけのはだしのままステージに上った。軽やかじゃない、のろのろとした動き。一回失敗して膝をぶつけていた。二十歳も過ぎた人間三人が黙って見ているには、あまりに拙くて幼くて手際が悪かった。
 真っ暗なステージ。やっとのことでその真ん中に立って、そいつは振り向いた。伸びた前髪の隙間から低音のようなにぶい色で此方を覗いていた。ギターなんてものはそこにはない。のに、あの掻き切る金属の響きが。耳の中を劈いて行った。

 歌を歌う生き物が圧倒的に足りていなかった。こんなにもこの世には歌も声も音もありふれてあふれていて、ポエティックなメンヘラがセンチメンタルで人を殴ってモテたくてギターをはじめるバカがクソほどいてモテなくってもマイクに向かって叫ぶしかないやつだって腐るほど、腐って死んでしまうほど居て、そのくせ今この音の箱の中には歌を歌う生き物は、ギターを掻き鳴らすために生まれてきた存在は、ひとつだってなかった。

「お前、名前は」

 気づいたら口が言葉を出していた。ゆらちゃんとアルトくんが俺の方を振り向く。同じような顔をしていた。二人とも、目を丸くして口が少し開いていた。いや、待って待って俺の方がびっくりしたって。
 自分の口から出た言葉は耳に入ってやっと俺から発されたのだと気が付いた。店長は振り向かずステージの真ん中を見つめていた。俺もそのままステージの上、こちらを見据える二つの瞳をじっと見た。逸らさなかった。瞬きをひとつ、先にしたのは向こうだった。

「響」

 ひびき。響かない声は三つの音を並べて名乗った。名前を。持ちうるもののほとんどない中で唯一のようにその口が名前を発した。ギターを掻き鳴らす幻影を見た。

――、これがやけっぱちバンド結成前夜の物語である。
 あ。一応言っておくけど俺が始めたわけじゃないからね。このあとしばらくしたある日、酔っ払ったゆらちゃんが「バンドやろうぜ」とかいうイマドキフィクションで読んでも引くくらい向こう見ずの一言をぶっぱなして、まあ翌日には忘れてて、俺と響でブーイング飛ばすところから始まる、っていう話。え、いやこっちの話は今はもうめんどくさいからしない。っていうか大体想像つくでしょ? 俺はつきます。
 これは起死回生の一手ではない。名誉挽回、汚名返上? 名誉も汚名も持っちゃいない。俺達はなんにも持っていなかった、少なくとも俺と、あの酔っ払いの女は、楽器と身体と、それくらいしかもっていなかった。この宇宙人は、妖精は、粗大ごみは、居候は、猫は、濡れ雑巾は、未確認生命体は、そして俺たちのギターボーカルは! ギターを弾けるという不明確な言葉と、明確な名前だけを携えていた。

 なんにもなかった。宛先のないゴミの船の離陸の話。俺達に、名前を付けてよ、リリク。



2017.3.31

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