(枯袖日宵とカフェバーの人たち)


 ときめきと、暴言と、秘密と、殺意を。キラキラで少し飾って所々塗りつぶして違う色と線を足して、そうして切り売りしている。俺には俺以上の感傷は売れない。知らないものを売れないことを良いと思うことも悪いと思うことも自由で、俺はしかし俺の感傷と感情しか売れないことだけを知っている。

「今日は、財布を買ったら財布が空とかゆう俺の話をしにきたんじゃありませーん」
 金魚が食えなくて死ぬ猫の歌と、同じくらいの質量であの日買いすぎたチーズタルトのことを歌う。二分で終わる雑な歌と中身のない小説のおわりの歌を歌わせてくれる、この場所。俺のバイト先であり弾き語りをさせてくれるカフェバー。広くはない店内、カウンターとテーブル席。平日夜の閉店間際は人も少ない。

「じゃあ、えっと。今日もこれは歌うね、『生きるのに向かない猫』」

 オーナーは俺のことを割と気に入ってくれていて、バイトに来た俺のことを手が空いていれば歌わせてくれたりする。週に一度は決まった時間をとって歌わせてくれる。レジの脇にはちょっと紹介と手焼きのCDを置かせてくれていて、売れると「売上げ」ってだけ言って別の可愛い封筒に入れてににこにこして渡してくれる。
 貰ったお金は封筒のまま300円ショップで買ったちょっとかわいい箱に入れてとってある。毎回律儀に「ひよいくんへ(なんらかの独創的な顔文字)」と書いてくれるオーナーのことが俺は好きだ。あ、でもその顔文字は俺以外に描かないでほしい。わりとヤバいから。

 弾き語り、と言っても語らないで歌わないでただギターだけを弾いてBGMみたいにすることもある。自分の曲を歌うこともあるけど、気分で自分の好きな曲のカバーもやる。それからお客さんが好きだっていう曲を歌ったりすることもある。
 毎週火曜日22時頃に来るお兄さん、見た目のわりに年上でもうじき33らしい男の人。リリクの店長より年上かと思うとそう見える気もする、というのは比べる相手が悪い。世間でいう33歳というか俺の浮かべる33歳よりはすこし若く見える。のは、彼の俺に向けている目が少し少年のそれに似ているからかもしれない。

 彼は俺の声で歌われるハンバートが好きで、毎週俺が閉店前にギターを手に取ると一回だけって言って「明日の朝には」を歌わせた。時々酷く酔った時には「桜の木の下で」もせがむ。その様子はなんだか子どもみたいで。しかたねえなって、好きな曲だからいいかって、毎週歌っていた。
 オーナーの聞いたところによると昔好きだった人の声に俺の声が似ているらしい。彼が俺に直接それを言ったことはない。好きな人がいたけど、ずいぶん前に縁が切れてしまった話はしてくれた。その時の彼の目は俺に向いていなかったからその人のことなんだろう。
 べっつに知ったこっちゃない、けど、俺のCDを買って帰って酔ったまんま聴いたときに(桜の木の下でを歌わせた日だったと思うからもうでろっでろだった)よくわからんけど泣いて、それからは「生きるのに向かない猫」を聴かせてって言ってくる、ことは、嬉しい。
 さっき歌った猫を聴いて彼は「また来週来るから」って帰って行った。今日はお酒は一杯しか飲んでなかった。

 彼とその好きだった誰かがどうして離れてしまったのか聞いたことはない。他にお客さんの居ない時にだけ、どれくらい好きだったかとかそういう誰にも言えなくなっちゃったようなことをぽつぽつ話す。どんな喧嘩をしたとか、どんなものが好きだったかとか。ハンバートを好きだったのは彼ではなくて、彼の好きだった人。
 今は同棲中のほぼ結婚の決まった彼女いるんだっていう話もしてくれた。その話を聞いたのは割と前で、それから結婚まで進めたとかって話は聞いてないし多分ずるずる同棲してる。早くケッコンしなよって、上手に言うことはできなかった。
 彼の帰っていく部屋は少し暖かくて、誰かが薄明りを付けてあなたの帰りを待ってる。べつに、べつに知ったこっちゃないけど、それだけのことで切なくて温かくなったりするから俺はやっぱり猫の歌を歌う。単純で複雑な感情。


「日宵ちゃん上手になったわね」
「前から上手だっつーの」

 この人は今日の最後のお客さん。ドアにかかっている札はもうクローズになっている。派手めな格好にハイヒール、きつめの化粧の50代前半。近くのスナックのママで今日は自分の店が早く閉まったからって来てる。オーナーととっても仲がよくて、若いころは絶対ブイブイ言わせてた系の美人だ。このあとオーナーと飲むのだそうで、閉店準備をする俺達を眺めながらテーブル席に座って待ってる。
 旦那さんはいた、んだけど8年くらい前に病気で死んだ。旦那って言葉と那覇って言葉の「ナ」は同じ漢字だっかけか違ったっけか、みたいな意味わかんない話をしたついでに聞いた。同じ「那」だった。

 嫌いでも好きでもない人しか死んだことがないからその歌は俺には歌えない。この人の生き延びている世界は一番好きだったひとがもういない世界っていうこと、が、俺には想像もつかない。
 っていうか多分なんだけど俺は彼氏とか死んだら歌とか歌ってる場合じゃなくなると思う。普通に絶望するし死にたくなるしギターとか捨てるよマジで。号泣しながら川とかに捨てる。
 つったらママはめちゃめちゃ笑っていた。もう意味が分からないくらい爆笑した。酔ってたんだろうなこの人、あの日。俺には想像もつかない世界で生き延びているあなたのことをすげー尊敬するし、ちょっと化け物だなって思ってる、ことはずっと言いそびれたままだ。

「……でも嬉しいよ」
「あらかわいいこと言うじゃない、あっはは」
 この女の人は酔うと笑いのツボが浅くなるついでに声がでかくなる。綺麗なんだけど笑い方にはちょっと品がないので、お酒は控えてもいいんじゃないかなって思う。
 この人のことを好きだった旦那さんはこの笑顔が最高に好きだったんだろうなとも思う、からこの笑顔がここにあることを素敵だなって思うこともある。
 

 楽器を片付けたらテーブルの後片付けをしつつ次はそのまま皿洗いに行く。店仕舞いの作業は毎回手伝ってから帰る。オーナーは良いよそんなのっていうけどラストを一緒にしめるバイト君は即スポンジを寄越してくるので分かってる。
 俺が無言で受け取ると彼は少し横にずれて布巾でグラスを拭きはじめた。背の高い男の子だ。髪は基本的に暗めの色だけど少しだけ染めていてわりかしお洒落。耳にピアスが開いてるけど、つけてるのは見たことがない。
「……外、待ってるでしょ」
「おっいスポンジ渡しておいて?」
「ごめんって」
 俺より後に入ってきた俺より年下なんだけど、舐められているのでタメ口をきかれている。年齢をあんまり気にしたことはないので知らなかったんだけどこいつこないだまで俺のことタメくらいだとマジで思ってたらしいのでまあ悪い気はしないしおっけー。

「今日の良かったんじゃないの」
「はー? 何目線だよ」
 けらけら笑いながら洗剤を取りたくて手を伸ばすとひょいとボトルを上に持ち上げられた。洗剤は俺のはるか上をふらふらする。背伸びしても届かない。腕が長い。
「せっかくほめてやったのに」
「あ、ばかとどかねーから! お前でけーから!」
 嬉しいよ、って笑いながら言うと洗剤はようやく下界に帰ってきた。そういえば良いんだよ、とか偉そうに言う。俺あんたの歌好きだよって、言ってくれた時も恥ずかしくて上手にありがとうが言えなかった。
 この子の褒め方は不器用ながらめちゃくちゃに直球で、俺みたいに適当に誤魔化すタイプにはもうビビるほどのまっすぐさ。この子が俺のCDを自分の友達に聴かせたって聞いた時とかも、うれしくて一日中にやにやしてた。
 まだその話もできていない。いつかきちんと君の前で酔っ払えたら言ってもいい。

 俺より真面目でしっかりしてて要領も良くて仕事も丁寧な彼だけど、何故か三か月付き合った彼女と先月別れた。キスもしないままだった。片思い期間は1年半。すげー落ち込んでいて普通に一杯奢った。
「俺もう日宵さんでいーや」って笑ったことに関しては、絶対悪口的な面が大きいことは分かっているけど、半分くらいのときめきでゆるした。でももう半分はまだ怒っていて、でもこの子に対してっていうかこの子の元カノに対してって気がしてる。

 俺は彼氏がいたことも彼女がいたこともあるし、一応だけどセックスしたこともある。別に特にいうほどのことじゃなくて、かといって恥ずかしくて呪いたくなるような記憶でもない。

 意味の分かんない話、俺の元カレと元カノが付き合い始めてこないだで大体一年くらいだった。おめでとうって言った。ちょっと意味がわかんない。あいつらが気まずくないまま過ごしてるなら、俺としては気に入っている人たちが一緒に居て楽しそうなのは気分が悪いことじゃなかった。
 そういう俺の感覚はちょっと変で、寛容と言えば聞こえがいいけれど苦しい人には苦しくてしんどくて、俺と付き合った人たちはこの距離感と執着のなさの中で死んでいった。生き返ってさっさとしあわせになってほしい。

 昔に好きだった人、死んじゃった旦那、超好きだったのに即別れちゃった彼女。俺にはよくわからない。付き合っても好き合ってもなんだか少し離れたような気持ちで眺めてる。きっとまだよくわかっていない。ひっどいはなし。
 俺は全然ラブソングを、いや人類が好きみたいなやつは歌えるんだけど、恋の歌を作れない。もしかしたら誰かからした恋心に似たものを歌っているかもしれないけれど、誰かが俺の歌に詰める恋心を俺は知らないしそれはあなたの歌だよって思う。それでいいなと思う。
 俺の歌はあなたのなかに入った時点であなたの歌なんだ。俺は世間的に言う恋はまだどこにもない世界で歌を歌っているけど、あなたの世界には恋は溢れているのかもしれないし。

 自分から俺が告白したのは今のところ、たった一回。今カフェの外で待っているであろう女に対して限りだ。もちろん知っての通り、彼女は今でもその頃から変わることなく俺の友人のままでいる。


 コートを羽織ってギターケースを背負う。マフラーをぐるぐるにまくと半分くらい顔が見えなくなる。パステルカラーのタータンチェックで絨毯みたいなやつ。髪の毛ごと巻き込む。手袋もした。
 これくらい防備しないと深夜の外の空気には耐えられない。帰ったら冷えきった部屋と洗わないで放置したいくつかの食器が待ってる。お湯で洗う。絶対。

「おつかれさまでーす」
 と言いながらドアを開けて、振り向いてまだ身支度をしているバイト君やこのあとどうするか話しているオーナーたちに手を振る。「おつかれさま」「気を付けてね」と追いかけてきた声たちが、からん、とドアチャイムが鳴るのと同時におちていった。
 ドアの外すぐ脇で待っていた女がこっちを向く。冷えた空気がマフラー越しに鼻をかすめる煙。おい人の店の前で煙草吸うなよな、マジで。

「おかえり」
「……ただいま」
「よかった」
「マジか。それ今日超言われる」
「なんかあった? いいこと」
「えー、いろいろ、なんもない」

 いいことも悪いこともないことがつまらないと思う日もあるしその平穏に感謝する日もあるし。特に何にもないけど今日の歌はもちろん好き。誰に良いなと思わせたならなおさら好き。現金だから。
 よかったよ、と彼女がもう一度言う。ありがとう、と、口からこぼれる。笑ったらいいのに上手に笑うことはできなくて、情けない顔をしているかもしれなかった。

 別々の家に帰るくせに、家まで歩いて15分もかからないくせに、30分くらい外で待っていたりする俺の友達。俺がギターを捨てるときはほんとは川に投げるんじゃなくてこいつにあげる、みたいな約束を大昔にしたけどこいつは覚えているだろうか。
 彼女の黒い髪と黒いコートは夜に溶ける。俺の金髪はどれくらい彼女を照らしているのかというと照らすことはできていない。そんなことは100年前から世界の真理。

「帰ろう、日宵」
「あ。セブン寄るわ」
「何で」
「おでん」
「待ってあたしも買っちゃうよそれ」

 いつか好きな人ができた話と殺したいお前がいる話をいっぺんにしてもいい? そういうのが俺の幸せだから。世界中に愛があふれていることを、知っているでしょ。





2016.2.3










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