(時姫と夕志)
バッカみたい。呟いた言葉は普段なら煩い教室に吸い込まれて消えるのに、目の前に座っていた彼の耳に飲み込まれてしまったらしい。床に落ちる前に拾われた埃のように、それは所在なく。
「懶さぁーん?」
「何、」
「いや、それ俺の台詞だったりなんだけどなァ」
つーか目付き悪いよ! けらけらと頭の悪そうな態度で私に笑う。苛々する。舌打ちをなんとか飲み込んで、代わりに目を逸らした。彼は一瞬だけ首を傾げ、それからまたにこりと笑った。
桜丘夕志、とは、私のクラスメートというやつで、やけに私に構ってくる変な男子だ。頭が悪いわけではないが、成績は悪く、軟派で軽そうだというイメージが強い。そんなものは単なる印象、本当の彼など私は微塵も知らない。
「馬鹿馬鹿しいと思っただけよ、ただ。色々」
「それを口にするのが懶さんのイイトコだけど困るトコだよな」
「余計なお世話」
桜丘くんは、世渡りが上手い。乗る所で乗り、テンポを守る。同調はするが同情はしない。きっちりとした線引きがあるけれど、それを感じさせない。私とは違う。そんな、マトモな彼が私にかまける理由が、分からない。
「ほらほら、しかめっ面しなーい! 台無し!」
眉間! と、彼は少し眉を寄せてみせる。ばかにしているのだろうか。元々ちょっと目付きキツいんだし、そんな顔しちゃ勿体ねぇじゃん、と、彼は続ける。
「折角懶さん、かっわいーんだし?」
「意味が分からないわ」
変な人、きもちわるい。軽く突き飛ばすつもりで口にしても彼は笑う。
「それ、傷付くよ?」
「構わないわ」
「俺じゃなくてさ、懶さんが」
名誉や地位でなく、心のはなしで。桜丘くんはぴし、と、私の喉元あたりを指差す。何かを飛ばされたみたいだ。ひたん、と、心臓の奥をなぞられた気がした。
「別、に」
(本当は可愛いし優しいし笑うと綺麗なくせに、ずるいよ。まあ俺的には万歳だけど。ライバル減るし)
彼は笑う。年相応に見えて、ずうっと大人びた顔をどこかに隠しながら。私の外側が剥離するのを、彼は見ないふりでいてくれるだろうか。
いつまでも。いつまでも、きっと彼のこの笑顔は変わらなくて、向ける相手が私でなくなる日はきっと近いのだろうけれど、不思議と淋しくはなかった。
BGM:エレディーヌST85錠(カオスP)