「藤花贈りの時期だね」
「なに、それ」
「箱を折ってね、砂糖菓子を詰めて贈るんだ」
「ふうん、知らない」
「ひっそりと慕っている人や大切な誰かに思いを告げるために」
「かなしいね」
「少しだけ、そうだね」
昔。女王の仕切るよりもきっと前の此処では。藤花と言う遊君が。最奥の部屋に居たのです。
とても美しい彼女には、彼女が未だ手前の部屋で働いて居た頃からの馴染みが居たのです。彼女を欲する人は数多居りました。其れだけの事です。其れだけの事です。
*
彼の人を想うのです。其れが私には許されざることであると知っています、知っています。知っていることは果たして、恋心を殺すことが可能でしょうか。この私の中に詰まってしまった数々の宝石を残らず取り除くこと等。
「藤花、藤花!」
「何さ、煩いな」
「煩いなんて酷い。君の為に金平糖を買って来たのに」
裕福な筈がない。其れでも私に会いに来ては笑う。彼が私に何かを呉れるのを愛情だと感じることの、浅はかさ、嫌気がする。嫌気がする。其れでも私は彼の呉れる砂糖菓子の愛情が好きだった。
彼の皸だらけの手が殆ど私に触れることはない。厭がっている事は出来ないなあと微笑まれたのは何時だったか。あれが御仕舞いの始まりだったのだ。
緩やかに彼との時間は過ぎる。夜更けまで何もしないで過ごすのが良い。湿気た空気にまどろむみたいに、なんでもない言葉ばかりを吐いて欲しい。私が煙草を吸うと彼は小窓を開けた。生温い風は、街の匂いが強い。外は大抵曇っていて、星が見えたことも無かった。星を見られる時間には、決して外等見る琴は叶わなかったのだ。
「……君、今度國へ行くのだってね」
藤花、と、小さく呼んでから彼はゆっくりと言った。金平糖は甘い。舌先に乗せて溶けていく。ゆっくりと味わうように、なくなるのを惜しむように。冷えたこの部屋の中で、なんでもないような話はもう無かった。
「そうだよ、買われたからね」
「念願の外じゃないか、凄いよ、君は」
僕は街から出られそうもないなあと、言わないで欲しかった。そんな風に何時もの様に笑って私の行先を認めて等欲しくなかった。私の欲しい言葉も感情も貴方は決して呉れやしないでしょう。優しい人なのです。優しくて愛しくて切なくて愚かしい、人なのです。
この庭に囚われた。箱庭の私を何時まで貴方が愛してくれるかなんて、保障は無かった。無限に愛される筈など無かったし、私は此処で死ぬことも許されないのだろうと思っていた。最奥まで、来てしまったのだ。後は、もう、出て行くより他無いのだ。少女ではもう居られないなら、私は商品でも居られなくなって行くだろう。だから。此れは分かり切っていただけの、運命と言うのも烏滸がましい事実だったのだ。私が悪い。
貴方に恋をした、私が。
「藤花、では今日が、最後かな」
「そうなるかも知れない」
「寂しいことだと、言うことは不可ないね」
「私は、どうだろう」
寂しい。悲しい。苦しい。ことを、貴方に悟らせてはならない。泣くくらいなら笑えと、貴方に言ったのは私だ。笑おう。貴方の笑顔が私は好きで、私の笑顔を、きっと貴方は望んでくれる。着物にあしらわれた藤の花には恋に酔うと言う意味がある。恋に酔わせるのが私の仕事。恋によって溺れてしまっては、駄目なの。
「嗚呼、泣きそうにしないで、藤花。きっと名も変えられてしまう僕の花。君に刻んでしまいたくなるでしょう、」
藤花、藤花、君の名は、永遠に。
藤の色をした金平糖を、貴方は好んで私に買った。私の名前にちなんでと。彼は私の名前を気に入っていた。貴方は君に買ったのだからといつも一つも食べなかった。
貰う度、小瓶に一つずつ取って置いていた事は、貴方知らないだろうけれど謝るわ。随分とたまってしまった。古いものはきちんと食べていたのよ、これでも。貴方の愛が目に見えるようで好きだった。今、最後の様に一つ、一つ、私の中に溶かしていく。
貴方の買ってくれたのときっと同じ金平糖を、最後に贈るわ。一番気に入りの千代紙で、綺麗な八角形の箱を作って。
「藤花、私の名前。決して離れないと言う、意味が付いた、花」
*
「匣、そこはそうじゃないよ」
「難しいよ、そうは言っても」
「君、名前が箱の癖に」
「煩いなあ、もう」
「煩いなんて酷い。君の為に千代紙まで買って来たのに!」
「まあ、誰にも渡さないからね」
「良いよ。それが一番だよ」
20140220