「また予約が入ってるって、どういうことだよ」

 件の男が、また御嬢の事を指名しているらしい。
 帳簿と予約表を照らし合わせながら、朋は面倒そうにちらりと此方を見た。いつもの愛想は何処へやら、酷く冷えた鋭い目をする。

「知らない、お上の決められたことだもん。あたしにはどうしょーもないし?」

 ほらほら、じゃま! 最低限の情報だけを零して(これでも随分と甘くなったほうだと思う)、朋はカウンター越しに俺を追いやる。年齢よりも幼さの残る顔に似合う、小花の愛らしい髪飾りを揺らしていた。
 開店していない時の彼女は、完全に脳内まで閉店状態であり、殆ど取り合ってはくれない。特に、彼女にとっての俺は部外者だ。

(いい? この場所を踏み荒らすなら、あたしは君に容赦しないよ)
(死んでしまえばいいと呪うし、そこの飾り刀で貫いてもいい。君は。御嬢様の暇潰としてしか、あっては駄目なの)

 箱庭という場所に、朋は執着する。執着だ。それは幸福に対する欲求で、俺はそれを否定出来ない。箱庭は彼女にとっての幸福の海だから。

 俺は、少しだけ得られた情報を元に、顔馴染みの箱庭の客をあたろうと思案する。身近に情報屋は居たが、あいつは俺をとんでもなく嫌っているので、対話すらままならないだろう。
 俺にはあの情報屋が書物に抱く執着は分からない。幸福に対する執着が分からないのと同じように。誰かにとっての誰かはいつだってきっと理解できない。

 俺の執着はどこにもない。


「──と、いうわけで今日は2階に入れてくれ」

 双子が全く同じタイミングで左右対称に振り向く。片方は眼鏡を掛けているから、居留。片方はそうでないから、奈留。

「また御嬢関係かよ、うっぜえな」
「えー、ちゃんと仕事してくれんのー?」

 ほぼ同時に口を開き、居留はしかめっ面を、奈留は困った笑顔を浮かべた。
二人は丁度皿洗いの最中で、捲られた袖からのぞく腕には、くっきりと印があった。奈留の黒、それに紅を足したら、居留。

「交代、ってことね」
「つーかまあ、銀は元々頭数じゃねえし」
「銀居ると、案外2階受け良いんだよね。今日は僕と、」
「給仕、俺と交代な」

 居留が、ぱ、と手の水を切り、俺に向けて言った。奈留は開きかけていた口を閉じる。「俺よりか、お前のが良いよ」腕から、紅い花が覗く。居留の言葉の意味が分かるから、俺はその額を小突き、奈留は少し悲しそうな顔をした。真っ赤な花を、嘘みたく笑ってくれる生き物は、まだいないのだろうか。




 御嬢に手を出したのは、女王の何らかの得意先の、息子、らしかった。どうせろくな仕事相手じゃあない。あの女の仕事など。
 客に聞き続けてやっと得られた情報だった。そいつの父が街の外では名の知れた人物であったらしく、客に聞くと、写真を見せてくれた。

(そこそこに綺麗な顔をした、細身の男だ。整った軍服、険しい顔をしているが、少し、柔和そうにも思えた。名前をなんと言ったか。街の外に起きる、“それ”の渦中に在る人なのだろう)

 少し前の新聞の一面の大きな写真。そいつの父親を取り上げたものだったらしい、その隅に映り込んだその姿を睨む。まだ塞がらない俺の腕の傷が痛んだ。

「銀、何を見ているの」
「、っ!?」

 背後から急に、声が降る。外階段で煙草を吸ってから向かうつもりだった、まだ、会うはずではなかった声。

「……、ビビった。なんだよ、御嬢」
「質問したのは、私」

 振り向くと、整った顔立ち、その中の黒い目が綺麗に揃って此方を見ていた。
 ぱし、と、左手に持っていた切り抜きを奪われる。彼女が普段着として使うセーラー服の襟が風に揺れた。僅かに表情が変わる。その微妙な表情を読み取れることに何を感じればいいのか、わからない。喜ぶのは、きっと違った。

「これ、は」
「っ、ごめん」

 彼女は干渉と詮索を嫌う。彼女にとって俺は何もしないから意味がある。深入りしないことが、俺の有用性だと気付いていた。だからこそ、彼女の見ない場所で全てを行うようにしてきた。

 咄嗟に口をついて出た謝罪の安っぽさと言ったら無い。彼女の軽蔑の眼差しが俺に向くのを想像した。ぞっとする。彼女に厭きられることに俺は恐怖している。
 飽きられたならこの場所にはいられなくなる。その事実に恐怖している。最低な俺は御嬢の軽蔑よりも自分の居場所の心配をする。何もかも俺の為だという当然のことをこの夢見がちな少女にだけは隠しておかないといけない。

「これは、誰」

 彼女の瞳は決して俺を捉えなかった。

 真剣な、その眼差し。それは手元の不鮮明な写真一つに向けられていた。正確には、彼に。誰。その言葉は純粋な疑問だった。皮肉でも嘘でも、それでいてまるきり記憶に無いからというものでもない。

「彼ではない、」

 酷く冷たい風が思い切り吹いた。気候が安定しない街の、生臭い厭な匂い。“鷺”の、その目を、俺は見たことが無かった。







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