「貴方はただの記号で、貴方が貴方である必要性なんて、この世界の何処にも無い」

 綺麗な軍服だった。戦場に赴くと言うよりは、話に聞く、帝國議会や何かに出ていそうな人。帽子までしっかりと被って、そのキツい目を顔の中で一際目立たせるように何かを睨んでいた。
(恐らくは、私、を)
 彼は軍の人で、また或る偉いさんと呼ばれる男の息子らしかった。つまり、久々の客だった。

 私の所へ来る客は女王を直接に通されるものだから、とても稀なのだ。結論だけ述べれば、目的は私ではなく、女王の名前。
 まず私のような愛想無しに触れる事もない。女王の了承を得たというその点のみが私の利点だ。其れを私は知っているし、そうして生きる、しか。


「やめ、て」

 触るなと、伸ばされる腕を拒否する。だけれど、触れるのが怖くて押し返すことも叩くことも叶わないから、私はじりじりと追い詰められてしまう。軍服を寛げたその人は、その鋭い瞳で私の奥の方まで抉ろうとする。

「おかしいだろう、遊君が止めろなんて」

 それ以外の仕事もない癖に。彼は殆ど目だけでそう語り、ほんの少しの温もりも見せないまま私に手を伸ばす。一つ。触れられた先が裂けたような気がした。血が溢れる。感覚。

「──い、や」


 ──、──。

 御嬢? と、耳に心地いい程度の低さの声が、優しく届く。真っ黒が少しずつ融けて、目が銀色を捉えた。そうか、私は眠って居たのか。

「いやな、夢」

 何処からが夢で、何処からが現実だったのだろう。私は一体、何時から眠っていたのだろう。こうも籠もりきりだと、どうも感覚が狂ってしまう。私に、仕事が入って、彼に犯されて、ええと、それから?

「うなされてたっぽいけど、どした?」
「……訊かないでよ」

 嗚呼、そう、御嬢が言うなら。銀は柔らかく笑った。綺麗に目を細めて優しく。美しいと、思う。少し作り物がかった其れはやはり、沢山の誰かに売り付けていたものなのだろうか。昔、ある店に居たとだけ聞いたが、深入りはしなかった。彼も私に深入りしないから。

(銀って、呼んでくれ。名前じゃないけど、名前他にねえから)
(ねえ貴方、それ以上寄らないで)
(銀だって)
(……銀。決して、生涯、私に触れないで)
(嗚呼、そう、鷺が言うなら)
(呼ばないで)
(なら、なんて呼べばいい? 悪いけど、俺に名付けの才能は無いぜ)

 私の発する短い拒絶を、驚くほど柔らかに受け止めて、流した。今までどうしてどんな暴力に耐えてきたのだろう。銀色の髪は少し雑に切られていて、その毛先がきらきらとしていたのを覚えている。

(触れないで、銀)
(触れないよ、御嬢)

 あの日から彼は私に、一度たりとも触れたことが無い。少なくとも私の知る限りでは。


「……あら、それは?」

 彼の左腕に、真新しい包帯が巻かれていた。見慣れないそれを、え、どれ、と、彼は一瞬探し、それからひとつ息を吸い込んだ。

「あー、これ。外の手摺りの釘、出っ張ってるとこで切った」

 中階段しか御嬢は知らないだろうけど、外階段マジぼろいんだよ。そっちで煙草吸ったりしてるし、出入りもそっちだから、俺。
 ひとつ、呼吸の間に銀のなかで作り上げられた言葉が吐きだされていく。固い、樹脂で作った言葉だ。私だ。これを、したのは、私なのだ。

 いつぞや、彼が頭を怪我したことが有った。何かと訊けば、転んだと言う。女王に訊けば、私が突き飛ばしたのだと言った。それが、私のしたことだった。
 私がおかしくなったから、銀は怪我をしてしまった。それからと言うもの、益々持って、私は他人と寝るのが怖い。
 私が私の知らないうちに、誰かを、何かを、壊してしまうのが恐ろしい。そうなってしまうくらいなら、死んでしまえばいい、私なんて。

「全く。馬鹿ね、気を付けなさいよ」
「へーへー、次回から」

 次回は無いわよ。ぴしゃんと言ってやれば、彼は余裕そうにはいはいと笑った。銀の生まれ持っている色素の抜けた睫毛が揺れた。
 適当な言葉を、適当なように合わせて紡ぐ馬鹿さ加減に。うんざりしながら君に言葉を吐く私は、いつになったら死ねるだろうか。この世はうそで出来ている。










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