僕は知っているのだよ、君等の必死に隠している不幸とその上に作り上げた幸せと、それ故に絶望さえ許されない愛しくも愚かな女の事を。
「僕には僕の世界構築が存在して、其れを否定することはお前にも許さないよ」
柳に向けて発した言葉は僕の人生全てであって、以上も以下も存在しない。僕は、彼女に殺されたくて彼女を殺したいという一心のみで呼吸することすら左右出来る。柳は舌打ちした。
「随分な量の薬を飲むのだね、藍」
僕が言うと、藍は不思議そうに首を傾げた。「そうですか?」言いながら、数粒の錠剤と、二包の粉薬を慣れた様子で飲み下す。朝の分だ、と、彼女は言った。昼には今の半分くらい、夕方には今の倍くらいの薬を服用する。
万一の時の為に月のものを止めておく、その薬だと彼女は言う。其れから、そういう病気に掛かりにくくするための薬。藍は体質からか薬の効きが悪いから、他の遊君よりも多く飲まされている、らしい。
前に、聞いたことだ。
「翠、此処に医薬関連の書物は在ったかな?」
「知らん、出ていけ居候」
口ではそう言いながら、書庫の鍵を投げ付けられた。地下の方の。翠の口と手足は繋がっていない。
店の奥の書庫は、完全な翠の趣味だった。物語の本が、大半を占める。決して売らない、気に入りだとも言っていたか。最近は箱庭の、紅花持ちの子供が出入りしているようだったが。
一方地下の書庫は、商売用のものだった。
街は治外として放られ、間違えた向きで時間を進め続けているが、街の外、本来の国の方では現在、次々と本の発行が禁じられているという。理由など、今更だろう。
そうして違法となった専門書や発行禁止となった書物の類いは、街での良い物資になる。其れを求めて街に入るものも居るくらいだ。
翠はそれを知って集めては商売に使う。書物業者、兼業で情報屋。時々その他の物の斡旋。やらないのは薬。現金でしかやり取りをしない。所謂万屋タイプ。宿貸し何ぞもやって、「ない。お前は居候だ」ふざけるなよ殺し屋。深緑に透明を足した色が睨む。
「ごめんごめん、至極助かってますってば」
受け取った鍵をくるりと回しながら適当に言い奥の書庫から更に床板めくり隠された其処に潜り込む。途中雑貨の中から適当につかんだランタンに灯りを点け、中扉の鍵を開けた。
ひんやりとした空気。意外なことに、湿気てはいない。古い紙の匂いが立ちこめたその場所は案外に広く、しかしその場所の容量を越えそうな量の本が大量に詰め込まれていた。
「また売り渋ってるんですかね、翠は」
翠は汚いことにも易々と手を出し、手段は選ばない下衆な女だが(僕を泊めているのだって実際、何かあれば僕にすべて擦り付けるために過ぎない)、書物に関すると、歯止めの効かない人間だった。
(知識を欲していない人間は塵だ。捨て置くが良い。私はそんな物に何か与える心算は無い)
言い切って客を突き返し、時に暴力に訴え、時に僕を使って客となる筈の人間を消す。宿代の代わりと言ってしまうには、余りに恐ろしい。彼女の中では、人間よりも書物が勝る。
「このあたり、かな」
医療関連、薬学。黄ばんで日焼けだか酸化だかをした頁を捲る。少し鼻に付く古い紙の匂いがした。
僕は翠の中で、この匂いに触れることを許されているらしいことを、誇りに思う、「……気にはなれない、な」、僕には本よりも大切なものが腐るほどある。否、腐りそうな大切なものが、在る。
「ええ、と、嗚呼、」
勝手ながら柳の管理する薬箱から調達した情報と、書物の中の情報とを照らし合わせる。ふうん、へえ、月のものを止めて病を防ぐなんて効果、僕には見当たら無いのだけどな。
確かに幾つかそう言った効果を得る薬もあったし、全てが嘘ではなかった。箱庭の遊君皆が飲んでいるものも、藍は飲んでいた。だけれど、あの粉薬。
僕は本を閉じて、何だか笑いだしてしまいそうだった。歪な感情の交錯するあの場所が可愛そうで仕方がなくて。
──、──。
「ねえ柳。大事にしている水槽なんて、いつ壊れるか知れたものじゃないと思いませんか」
君達の箱庭が藍を心臓を動かすなら、僕は其れを壊して藍の呼吸を奪うよ。心臓が動いて居れば生きているだとか、そんな優等な理論は要らない。
「私には私の世界が在るんだよ」
「僕には僕の理論が在りますから、」
箱庭は独特のその匂いを持ってして、飴で固めた世界を作っている。君等の水槽は飴で満たされていて、いつか冷えて固まるだろう。
お前達の偽善等、僕にとっては屑です。君達が排斥した全てと同等に僕は君達の世界を破壊する。無駄で無意味な一石と、わかっても。だから、
「貰うよ、君等の魚」
これが、僕の唯一の愛の話です。