初めて彼女に出会ったのは、僕が雇われてから最初に彼女の脱走した日だった。
運命と言うものがこの世に存在するならそれだったと、僕は思う。人間は幸せになるために生まれるのではない、運命を全うするために生まれるのだ。とは誰の言葉だっただろうか。どんなに苦しくとも、僕はこの運命が愛しくて仕方がない。
あの夜中、転がった死体を確認してから女王に仕事を終えた報告をした。死ぬ程疲れていた。何せ撃ったら2秒で終了の仕事の癖に、中々的が現われなくて半日待たされたのだ。だから、さっさと帰って今日は寝てしまおうと考えてていた。なのに途端押し付けられた、もう一つの仕事。
「は? 遊君の脱走なんて僕にどうしろって、」
言うんですか、までも言わせて貰えなかった。女王はいつになく切羽つまったような苛立った様子で一方的に通信を切り、また一方的にファイルや何かを添付して送り付けてきた。
彼女との一方的対面。僕はその写真に酷く不快になった覚えがある。艶やかに笑うその彼女に。
美しく微笑む嘘っぱちの顔をした、藍と言う名前の遊君。何故、こんな可愛らしくない笑い方をするのだろうか。本当はずっと綺麗な顔をするのだろうに。写真の彼女は明らかに嘘が分かるように笑っていたから、てんで可愛らしくなかった。
彼女を買ってる奴らは相当の馬鹿だ。僕だったらこんなに在り来たりな嘘を張り付ける女は願い下げだと、そんなことを思いながら、彼女を探したのだっけ。
彼女を見付けるのはわけなかった。なんてったって藍は結局のところとんでもなく美人だったし、仮にも僕は始末屋なのだ。
予想通り、彼女は嘘を張り付けていない方がとても綺麗だった。予想以上に、綺麗だった。
廃ビルの中に、泣きそうな顔を精一杯に無表情に保とうとする、弱い女の姿があった。淡々と、叶いやしない夢を語って、強くあろうと必死な彼女。
穏便にことを運ぶために睡眠薬の類いを焚いて、僕はそっと風上に座って、呼吸量を減らす。甘い匂いに彼女が気付いた時には、もう、彼女は眠りの中だったというわけだ。
「……君は、素敵な人なんですね」
外に出ない故か白過ぎる肌と細過ぎる身体を抱えて、僕は再度女王に連絡を入れた。夜風は甘い匂いをさっさと吹き飛ばし、彼女は傷だらけでまた箱庭へと戻されていった。
それが彼女との出会いであり、僕の人生の始まりだった。
「……司、こら、司!」
「う、わ!」
ぱしぱし、と、唐突に叩かれて我に返る。此処に居ると、すぐに気を抜いてしまっていけない。
翠の家に居たってこんなにぼんやりすることなんて、ないのに。否、出来やしないのに。
「な、なんですか、藍」
「なんですかじゃありません、なにをのうのうと居座るつもり満々で居るんです」
私はこれから仕事なのですから、出て行きなさい。ぴしっと藍が言い放つ。それでもギリギリの時間までは滞在を許してくれてしまう、彼女の下手くそな甘さが好きだ。
仕事。遊君と言う仕事。これの所為で彼女は死ぬことも逃げることも叶わないのだと思うと、僕の気は狂ってしまいそうになる。
僕の命でなんとかなるものならば、してしまいたいと思う。だが、彼女の存在は僕一人の命なんかよりもずっと崇高だ。そんなこと、彼女に惚れ込んでいる僕が一番よぅく分かっていた。
「無理をしないで下さいね、藍」
僕が来た時には、既にすっかり仕事のための格好に着替えていた彼女。まるで別人のように妖艶で、僕は毎度息を呑む。
勿論、彼女はいつだって麗しいのだけれど、やはり纏う雰囲気ごと変わってしまうから。このあと僕と別れたら、すぐにあの嘘の顔を張り付けるのだと考えてしまえば、心底苦しい。遠いなあなんて、思うのだ。
「ご心配なく、貴方に言われる程落ちぶれて居ませんから」
おお、流石は藍。僕は茶化すように笑って、彼女は当たり前でしょうと得意気にしてみせる。その表情、ずっとそうして小馬鹿にしたみたく笑って居てくれたら、幸せなのに。
僕は汚い始末屋だし、彼女は嘘吐きな遊君でしかない。窓から吹き込む湿気た夜風はあの日がらずっと変わって居やしない。
幸せだなんて、途方も無くそれは求められないもので。ねえ、君の代わりにと言い訳して泣いてもいいかな。