もう逃げられなかった。また失敗したのだ。私は決して逃げられない、箱庭から、出られない。
 必死の脱走劇も虚しく、私は追い込まれてしまったらしい。今回は深夜の忙しい時間での決行。私に客が入らなかったからだ。悪くなかったと思うのだけれど、矢張り長らく箱庭に閉じ込められてしまうと中々土地勘も得られなくなる。街から出ることも叶わず、人気の少ない方へと走っただけ。完全に詰んだ、袋小路。

 廃ビルの一角に潜り込んだは良いが、もう時間の問題だろう。この倦怠感は、一体何度目だろうか。
 流石は女王、暴君と名高い権力者。私みたいな一介の遊君であれども容赦は無い。当たり前だ。私は彼女の所有物でしかないのだし、都合良く使える道具なのだ。逃がす筈も、無い。

 所々傷付いた身体や汚れたワンピースをほんの少し労ってやる。私なんかの下らない夢のために、ごめんなさい。

「──何を、泣いてるんですか」

 さわ、と、風が吹き込む。生温い夜風と、黒に馴染むその人。執拗にけれど無理に捕まえることなく私を追った、今回の追手。その温さが、酷く不快だった、

「泣いてなど、」
「……泣くというのは単なる流血を指すのではないと、誰かは言いました」

 誰だったかも覚えては居ませんが。と、そう言いながら彼は一歩私に近付く。赤みがかった目だけが、薄暗い中月明かりを反射する。

「泣きません、そんなことは無駄です」

 無駄だとわかったときから、私は泣かなくなった。不要なことに時間を割くというのはそれだけで罪だと、私は思う。限られた時間しか、私達には存在しないのだから。
「なら君は、逃げることは無駄じゃないとでも言いますか?」
 叶わないことこそ無駄だと僕は思いますよ、酷く冷たく荒んだ言葉を吐く。私だってそんなことは分かっている、けれど、違う。
「私の夢、ですから」
 夢は叶える為にあるなんて腐ったことを言えるほど馬鹿でも優しくも可愛くも無い私だけれど、これは私の夢。いつの日か、此処を出て行きたい。そして、そして、

「……私を捨てた人の、墓参りに行ってやりたい」

 死んだ私の大好きだったその人の墓参りをしてやりたいのだ。きっと私以外に行ってやれる人間ももう居ないのだろうから。私一人逃がして、みんな死んだのだろうから。

 青年は私に近付く。連れて行くつもりなのだな、そう思ったのに、あろうことか隣に座った。遠くのビルの街灯が照らすだけの、中で、確かに隣に人間がいる。動揺する私をよそに、青年は、続きを促すように黙ったままだった。

「……流行り病、でした。感染していなかったのは私だけで」

 汚い場所でしたから。売られた時、私はきっと金にされただけなのだと嘆いた。そんな私を女王は笑った。女王は全て知って居たのだ。その上で大金を積んで私を買った。悪趣味。私はあの魔女が大嫌いだ。

「ふう、ん……なら、買われた金を返せばいいってわけじゃ」
 ないんですか、柔らかく青年が続ける。私を連れ戻しに来たくせに、なんなのだろう、こいつは。

「無論、返しました」

 そのために躍起になって2階からずっと売られ続けてきた。だけれどやっと返済を終えたその時、私はもう高い場所に着いてしまっていて。
 女王が……あの魔女が私をという金蔓を逃がすわけがない。

 それからだ。私が脱走を繰り返すようになったのは。そして女王は、毎度私を生け捕りにしては閉じ込める。それは、私が金になってしまうからだ。ならば売れなくなればいい?
 ──それは駄目だ、殺されてしまっては意味が無い。売れて、生存を確かにしたままに、この街を生きて出なくてはならない。
 誰かにもう一度、買い取って貰おうかとも思った。6階に手を出せるような相手ならば、無論莫大な資産の持ち主も多い。だが、その誰もが女王を的に回そうなどという馬鹿をやるような人間ではなかった。

 八方塞がりの、四面楚歌。ああ、いやだ。下らないことを口にしてしまった。

「へえ、あの女王が、約束を守らないなんて」

 珍しい。青年はぼんやりとした輪郭のままに呟いた。彼も女王に雇われた身なのだろう。全うな仕事をしているとは思えないから、悪いことをしているに違いない。

「余程、君は素敵な人なんですね」
「……っ、なに、を」

 殆ど見えない景色の中で、青年が笑ったような、そんな気がした。そして同時に、意識が遠退く。

 ふうわりと甘い匂い、







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