「翠! 起きろ、そして開けろ!」

 がたがたときったねー引き戸を叩く、少年。ガラスにはヒビが入っていて、乱暴にしたら割れそうだった。まだ夜明けの時間帯、何の店だかも分からないこじんまりしたその場所。裏通りの中の裏通りで、先程よりもずっと人気のない所だった。

 暫くすると、酷く不機嫌そうな背の高い女が鍵を開けた。俺はそれを、居留の後ろに隠れるみたいにして見る。人、一人分くらいしかない道幅のなかで、しかも少年の身長は俺とそんなに変わらないから、てんで隠れてなんて居ないけど。

「応対が遅い」
「開店は9時だ」
「うっせ」
「お前には言葉が通じてくれないのかな」
「こないだのを返しに来たんだよ。ついでに、また借りる」

 傍から見ても、完璧に少年が我儘にしているみたいだった。「勝手にしてくれ」「そのつもりだ」呆れた風に深くため息を吐いてから、みどり、と呼ばれていた女はさっさと中に引っ込んだ。薄暗い街に増して暗いその室内。彼はくい、と、俺の服を引っ張る。

「入るぞ」
「え、お、おう」

 ぎこちなく返答して、深い黒の中に招き入れられるように入った。


 鼻に付く埃とカビの匂い。湿気た木。なんだか、銀を思い出す匂いだった。失礼な話、かもしれないけど。
「知らない世界、ねぇ」
 口の中だけで呟くと、彼は耳聡く捉えてちらりと此方を一瞬見た。だけど、何も言わないまままた俺の服の裾を引く。口数の少ない奴だなという、印象が強い。

 細長く奥に広い店内だった。店主らしい翠は梯子を登って上がって行ったので、恐らく二階が自宅なのだろう。なんとも言い難い異様な空間だった。俗に言い表わせば雑貨屋に近いのだろうが、趣味が悪い。一体誰に売るのか、見当もつかない。

 少年はそこらの謎の物体には目もくれず、奥に奥に進む。俺はちょっと周りを気にしながら、でも、なんとか彼に着いていった。
 一番奥。立入り禁止、と張り紙のした引き戸の前まで彼は立ち止まる。それから、躊躇することなくそこを開け、「って、いいのかよ」「いつものことだ」「……あっそー」、ちょっと待ってろよ。そう言って彼だけ先に中に入って、一度戸を閉める。ごそごそと何かを物色する音。
 それからまた戸が開いて、ぐいっと引っ張られた。

 その、中は。


「うわ、すっげ」
「……だろ」

 真っ暗な部屋、その天井に俺は、目も呼吸も持っていかれた。
 採光のための窓には暗幕がかかって暗く、その天井のちらちらとした灯りだけが照らす。知らない世界。

「星空、だ」
「ただの簡易な天体投影機だよ、つっても、適当だからミスだらけで」
「うっそ、これお兄さんが作ったのかよ!」

 え、あ、ああ。俺があまりに驚いたからか、少年を振り向いて尋ねると、彼は面食らったように返事した。

「つーか、お兄さんじゃねえ。名前、居留」
「居留? あ、俺、麗」
「麗」
「そーそ」

 名乗らないことに慣れていたからなんだかこそばゆくて、また天井に目を戻す。知らない世界。
 こんなに鮮やかな沢山の星なんて、この街からは見えない。ずっと遠く、一生行かれないような所でしか見られない筈の景色。


 それから数分。「あ、やべ、熱くなってる」とか居留が呟いた。どうやら機械の調子が悪いらしい。
 かち、と、しょぼい音を一つたてて夜空は消えた。一気に現実に戻る浮遊感。それから暗幕を開けると、もう夜は明けていて、部屋の中がちゃんと見えた。
 まだぼんやりしたままの俺の視界にあらわれる、一面の本棚。先程までの店内が嘘みたいに小綺麗にされていた。

「本、屋?」
「これは翠の趣味だ。俺は此処で本を借りて、遊君に読み聞かすって役」

 まあ表の雑貨屋も趣味の範囲なんだろうけど、と、興味なさげに彼は言う。そりゃあこの立地であの商品じゃあ、売れる筈もない。本業は別にあるわけだ。どうせなんか悪いモノの斡旋とかだろうな、なんて、どうでもいい。

「居留は下働きだっけ」
「ああ、うん」
「ふうん、若いから売れそうなのにな」
「目付きと、あと顔が悪いから無理だ」

 自分でゆうなよなー、と、俺はちょっぴり笑った。居留はもう一方の本棚の方で何か物色している。これも違うな、これも、これも。次々と引き抜いては戻すのを眺めていた。会話はない。
 その雰囲気は嫌いじゃなくて、そっと本棚に寄り掛かる。とん、背後に木の固さが触れた。かくん。思ったよりもやわな作りなのか、本棚が、揺れ──、

「、麗!」

 ぐん、と、たまたま此方を振り向いた居留にひっぱられる。背後でばさばさと音がした。寄り掛かった反動で、上に積んでいた本が落ちたんだ、と、そんなようなことを言っていたような、気がする。

 だけど、俺はそんなこと、どうでもよくなっていた。引かれた腕、少し捲れた袖、その中の不健康な白に入れられた墨。

 少年の腕、一瞬だけ見えたその印、は、

 怪我は無いか、そう言って此方に伸ばされた手を、払った。腕を無理矢理振りほどいて、

「っ、やだ!」

 ──その印は、俺の大嫌いな箱庭、の。







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -