(柳と藍)


「……煙草の匂いがする」

 無論、客が帰った後の遊君の部屋には珍しいことではない。少し息の詰まる苦い匂いと甘ったるい香の匂いが混ざるのは、酷く酔わせる。その汚さと美しさのコントラストは、決して禁忌の術でもない常套手段だ。
「あの方がお吸いになられましたから」
 するり、と、普段着のワンピースに着替えながら藍は言った。真っ白な肌と深い紺のワンピースは清楚の言葉が似合う。容姿はいつまでも美しい少女のままだと、連れて来られた当初を思い出しながら見た。

「違う、お前からするんだよ」
「……残り香でしょう、」

 人間の嗅覚なんて曖昧で宛てになりませんよ、そう彼女は淡々と抜かす。誤魔化されるとでも、思って居るのか。
「私は客の把握は出来ているつもりだが、今日の方は愛煙家では無かった筈だ」
 咄嗟の適当な別に隠し立てするつもりもない、投げ遣りな嘘は継ぎ接ぎも良いところで、鬱陶しそうに藍は溜息を吐いた。

「柳は本当に目聡い厭な女ですね」
「褒めなくていい」

 気持ち悪い偽善を振り回さないで貰えませんか、彼女はそう言って仕事の服を此方に突き返す。その腕には幾つもの脱走とそのたび作る傷痕が所々見えていた。
 強請ればくれるのですから、別に貴方に迷惑は掛けないでしょう、いつか毒でも強請ってみせようか。淡々とした口調はまるで諦めちゃ居なかったが生きてさえ居なかった。いつか此処から逃げ出してやると、傷だらけで叫んだお前は何処だ。
「それとも何ですか、私が死ぬと売り上げの落ちる心配でも?」
 私なんかいらないじゃない。その冷たい笑いを見て、嘘だと口に出したか出せなかったか、瞬間、考えるよりも先に手が出た。

 ──ぱし、ん。

 思ったよりもずっと良い音がして、ひりひりとする手の感覚を認知して、やっとのこと我に返る。昔から考え無しだ無鉄砲だと朋に言われ続けていたが、これは一生反論出来そうに無い。顔は駄目だ、顔は。特に女王は藍の顔がお気に入りなのだから。嗚呼、クビも免れないか、下手をすれば殺されるぞ私。

「……や、なぎ」

 唖然とした、間抜け面。左頬を押さえたまま、大きく見開かれた濃い藍色の瞳、その目の色から名付けられたのだろう。揺れるその目は事態が飲み込めないまま、未だふらふらと私の輪郭をなぞる。
 なんて子供の様な、幼い少女の顔をするものか。素のままの作らない顔を見たのは、一体いつぶりだったろう。

「何様の、つも、」
「煩いな。柳様だ、ばか」

 尚も遊君のままでありたがる彼女をきっと私なんかがどうにかしてやれるわけはない。ただ少し近くに寄る。藍は後退らずそのまま私を見つめた。
 なあ、お前みたいな餓鬼にこの匂いは似合わないよ。泣きやしないだろう気丈を装う女をすこしだけ抱き締めて撫でたら、自分から煙草の匂いがすることに気付いて、説得力の無さに笑った。私は柳が大嫌い過ぎて死にそうです、そう呟いた子供の頬は、だんだんと赤く腫れてしまっていた。




(柳姐さん、藍ちゃんと取っ組み合いってマジ?)
(どっからそういう尾鰭背鰭がくっつくんだ情報ソースは誰だ、言いなさい)
(え、朋ちゃん)
(ああ、あいつマジ言葉通じないからな……)








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