柳ちゃんは、あたしのヒーローです。泣き虫で弱虫でしょうもないあたしを、大好きだよばかって言ってひっぱたいてくれる、世界で一番大切なひと。世界なんかより、大切な。
ちょっと綺麗事が多くてだけど真っ直ぐで、柄が悪くて横暴で怖くてだけど甘くて優しい柳ちゃんが、あたしは大好きなのです。
「柳ちゃんあがりー?」
「んー、もーちょい」
本日の受付は終了、今日の分の帳簿をきっかり付けて勘定の確認をしたあたしは裏を覗く。柳ちゃんが難しい顔をして縫い物をしていた。
元来あたしの知るかぎり不器用の極みだった柳ちゃんはもう居ないんだなあって思うと切ないけど、
「痛っ!」
「……ぶきっちょは健在でしたか」
うるせえ馬鹿朋黙れ、と、完全に機嫌を損ねてしまった。「きゃーごめんってー」まずいなあ、こりゃ明日奈留ちゃんとかとばっちりなんじゃないの。「どーせ私は不器用だよ」ああもう不貞腐れちゃって、可愛いなんて言ったら幾らあたしに甘い柳ちゃんでもキレるかな。
「ほら、絆創膏」
「いらないよ、舐めときゃ治るし」
それにこんなの痛くも何ともないだろ、この着物に比べれば。苦々しい顔をして、低く呟いた。
そう言われて改めて柳ちゃんの繕っていた着物を見ると、所々に明らかに故意と思われる破れや解れがあった。厭な予想は多分当たっているだろう。
「ね、これ誰の?」
「……匣」
匣、ってことは四階の端だから昨日の御客はあの人か、とあたしは帳簿だけの記憶を引っ張りだす。薄っぺらだなあと我ながら失笑だ。
あたしは柳ちゃんみたいにそんな苦々しい顔を出来ない。受付の仕切り等と言ったって、下らないよね。あたしはヒーローに助けてもらって逃げたんだ、あの時に。
「出入り禁止かな」
「……匣が煽ったんだ。向こうに非もない上、匣も何も言いやしない」
私に出来るのはこうして着物を繕うくらいだよ。それだけ言って、また針仕事に戻る。
真剣だった。誰も彼も、此処にいる人は不器用ばかりだ。みんな何処か欠けてる。それは感情だったり倫理だったり哲学だったりするけれど、そんな中で柳ちゃんはフツーなのだ。
柳ちゃんみたいな正直で正常な人は、本当はこの街では生きていきにくい。呼吸の早さが違う。それでも彼女が此処に居るのはあたしが居たからで、今はもう、あたしだけじゃない。この箱庭に、柳ちゃんは必要だ。
「先寝てて良いよ、私はもう少しかかるから」
「やーだ、一緒に居るよ。あたしだってお裁縫くらい出来るし」
でもね、あたしだってもうヒーローに助けられてばかりじゃ居られないし居たくないから、あたしは此処で柳ちゃんが無茶して死にそうなときには泣かしてやる役なの。
こうやって、綺麗な正義で出来た柳ちゃんの感情をどうかどうか殺さないように。こんな街には殺させないように。柳ちゃんが死ぬまで柳ちゃんで居られるなら、それ以外あたしは何も要らないのよ。