明け方、珍しくこの時間に暇が出来た。皆眠ったらしく、酷くゆっくりとした時間だった。
 俺はと言えば、隣で寝ていた奈留さんの寝相に苦しめられ目が覚めてしまったのだが。あの人の寝相は一体どうにかならないものだろうか。

 仕方なし少し身体を落ち着けようと部屋を出た。そしてふと、まだ薄暗い中厨房の奥を覗いたら、其処には蛍火と煙を携えた姐さんが居たのだ。

「姐さん」
「……槻、だっけか。どした」

 姐さん、こと、この箱庭の裏方を総じて切り盛りする女番頭、柳さん。
 男の俺ですら格好良いと思うバランスのとれた細身の長身と、綺麗な長い髪。そいつを一つに結い上げて、彼女は俺達にてきぱきと指示を出す。憧れに近い恋だと思う。叶わなくても構わない辺りこそ。

(槻くーん?)
(え、あ、奈留さ、ん)
(なに柳ちゃんに見惚れてんの、ぼけっとしてっと逆にぶっ殺されるよ)
(……う、すみません)
(あのね槻くん、悪いこと言わないから……その、やめといたら?)
(な、そんなんじゃ!)

 そんなんじゃ、ない。口を突いて出た言葉は端っこから嘘。ばればれのそいつは奈留さんにも笑われた。
 勿論彼女が俺に届く相手じゃないことくらい百も承知だ。今まで誰とも恋をした話すら聞かない、この箱庭の一階にして高嶺の花。

「……いや、煙草、吸うんだなあって」
「あっは、内緒な」

 朋に叱られる。くつくつと笑う彼女には何処か色気があるのだが、しかしそれはいやらしいとも奪いたいとも思わせない、不思議なものだった。

「一本、」
「あほか。お前未成年だろう」

 貰えますか、さえ言わせちゃくれなかった。伸ばしかけていた手をぱしっと叩かれる。少し荒れた姐さんの手はかさかさとしていて、地味に痛い。

「……遊君達にもそう言います、か、」

 未成年だとか、そんな法規に則ったようなことをこの箱庭で言うなんて馬鹿げている。
 此処では俺なんかよりもずっと幼いひとが酌をして、遊ばれるのに。

「当たり前だ、此処で働くからって国に転がる法を投げて良いわけでも、身体を壊していいわけでも……ない」

 そんなことを言って、この間にも六階の少女と揉めただとか聞いたな。
 顔の命の遊君相手にほぼ取っ組み合ったと聞いた。後に女王に呼び出された柳姐さんを、庇ったのも六階の遊君だったと聞く。

「箱庭は免罪符じゃないんだよ」

 真剣な、目だった。
 そんな教科書に書いた道徳や倫理なんて此処では役に立たないのに、彼女は真面目に至極当たり前にそれをうたうのだ。
 俺はきっとこの人のそういう所に憧れてそういう所が嫉ましい。此処で、こんな最底辺で生きて尚、凛々しい彼女が羨ましい。

「箱庭は、生きる術であるだけだ」

 彼女は一つ呟いてから、深く煙を吸い込み、窓の外に吐き出す。寒くはないのに酷く寒そうだと思った。なんて、なんて遠いのだろうか。







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