その人は、綺麗な、異国風の髪と目をした人だった。淡く細い髪と、薄緑色の目を持った少年だった。僕よりも少々幼くさえ見える細く白い華奢なその人は、紛うことなくこの街の、箱庭の新しい遊君だった。今にして思い返せば、もしかしたら一目惚れ、だったのかも知れない。

 椅子に掛けた僕と、ベッドに腰掛けた彼は、しばらく向き合って黙っていた。初対面。処刑、という単語が脳裏にちらつく。居留マジで呪う。
 彼のほうはうんざりした様子で僕から意図的なまでに視線を外していた。数分。此方を見もせず曇天の窓の外か何かに視線をやりながら、彼が口を開いた。

「別に、お金を払うならそれで構わないん……です、困りはしないし、ひとつも。だから」

 自分がどうなるだとか、痛いのだとか苦しいのだとか、死にたくなるのも、一瞬でしかありませんし、構いません。あの女が僕をどう思っているのか知りませんが、迷惑、迷惑なんですよ。こういうのが全部。
 放っておいて下さい。どことなくぎこちない敬語は人との対話に慣れていないのを示すばかりなのに。表情もなくただ淡々と言われて、少しばかり胃がきりきりと痛い。

 僕だって来たくて来ているわけではない。わけではなかった、むしろ避けたかった。それでも、その声が発された瞬間、どうにかしなくちゃ心が焦燥にかられた。すべて他のことが飛んだといってもいい。それはたとえば目の前で死にそうな猫がいたような、切れてしまいそうな命綱を引くような、夢の中で二度と会えない人に手を伸ばすような。

「そちらが命令でいらしているのは承知しております、僕には貴方は必要ありません。そのように上にもお伝え致しますので」
「同い年くらいでしょ、敬語、いいよ。僕はそういうのじゃない、っていうかただの下働きだし、」
「とにかく、お帰りいただけますか。僕は、そういうものでは、ないから」

 その隠しきれない悲痛さ、何人に酷くされたのだろう。此処に来てから、此処に来るまで、幾つの。どうして止めなかったのだろう。止めるわけにさえ行かないくらい、この人が壊れてしまっていることを、僕は少ししか分かっていない。
 手を、伸ばした。彼の瞳がおびえたように揺れた。屋上の柵の外にいる君を、どうしたって抱きすくめなくてはいけなかった。勿論彼は身を退いたし、僕の伸ばした腕はその着物の裾だけを引いた。ほんの少しだけ距離が詰まる。瞳はそれでも僕を見ない。

「痛かった?」
「え、?」
「痛かったでしょ」
「何、ちょっと、」
「箱庭は糞だよ、それはそう、この街はひどい。でも、でも、痛いままで死なないで」

 救いたい、その方法をひとつも知らない、僕はこんな街に居ながら人の命の抱き方も知らない。

「君、なにを、言ってんの」

 痛くなんかないよ。だなんて、ばかみたい。敬語だって本当にへたくそのくせに、それくらいの子供だって言っちゃえばいいのに。壊れた振りと正しい振りが混ざって、きりきりに張り詰めている、少年の声が揺れる。

 ──ねえ、此処で生きるってそういうことじゃ、無いよ。

 此処の中で生きると言うのは、違うんだよ。
 そんな風に頑なに拒んで呼吸を自ら止めるために生きてしまっては、生きてなどいかれない。この街の権力が作った箱庭、一時の夢、夢、僕が言っているのは逃避でしかないって。でも仕方ないでしょう、

「此処で生きるって、誰も居ないところで壊れて死ぬのを切々と待つのとは、違うんだ、僕は君のことを何一つ知らないけど、死なないで」

 そんなの他人だから言えるのだ、そう言いたげに睨まれる。彼は僕の背景を知らず、僕も彼の背景を知らぬのだからの当たり前だが。そう、どんな非道で君がここに来たのかを僕は知らない。僕は君の言うとおり、この世界しか知らない。
 僕だって、この箱庭の中でしか生きていかれないのだ。例えば最上階の御嬢も、例えば兄貴も、六階の毒舌も。例えば始末屋や、一階仕切りの彼女や、姐さんや、下働きのあの人や、女王でさえも。

「ちゃんと僕を見て、匣、」

 見てよ、そのガラスみたいな無機に映してよ。彼はやっと一瞬だけ僕を見て、泣きそうな顔をした。あ、と、僕は反射のようにその失態に気が付いた。柵の外側、君が泣く。彼の目は傷を映していた。

「……だって、どうせ、此処で死ぬだろ」

 箱庭は、このごみ箱は、狭い。
 僕は此処で死ぬ、それは変わらないじゃないか。

 吐き出された言葉は余りに素直で、何より自らを箱庭を世界を、生きることより死ぬことを理解していて。僕のきっとその肌に触れるのは罪なのだろうと思った。嗚呼、届かない、高嶺よりもずっと届かない。

 箱庭は、狭い。






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