(天藾)


 例えば今日という日があって、十数年前のこの日に天藾いことが生まれたことを僕は知っている。
 僕たちは、知っている。

 この身体はこの日たしかに生まれて、ここまで時間を過ごしていて。そこまで健康でもないし見た目が良いわけでもないけど、別段苦しみすぎることはなく人並みに、まあ少しばかりの困ったことや難題を抱えながらもごくフツーに、過ごしてきたことを僕は知っている。
 僕が出来てからの君だけじゃない、この身体は僕たちがただひたすら君だったときからこの世に存在する。

 その虚しいくらいの当然が突然殴り込んでくる気がして息を潜める。もうクーラーは要らないし、毛布が一枚出されてる、そんな秋風の少しだけ吹き込む真夜中。

「誕生日おめでとう、いこと」
「誕生日おめでとう、なこと」

 零時を迎えた瞬間。携帯の無機質な時計が告げる10月20日の到来。

 毎年この日は夜更かしをあんまりしないで横になって零時を待つ。二人で確認する。身体が幾年過ごしたかというだけのことだということ。意味を淡白にすることが、生存確率を高める。
 この身体が生まれた日付という意味付けの意義とかいうものを俺たちは何処まで神聖視出来るかっていうのは、もう、クソ程バカにした話。天藾いことという生き物の同一性がどの程度信頼出来たものなのか、天藾なことがいる今ではもう、よく分からない。

(天藾なことには誕生日が、ない)

 いつ天藾なことが俺の中に生まれたのだったか、それは定かではない。というか、日付には多分意味がない。あの日あのオレンジの地獄みたいな風景より前に戻れないことが憎かったこともあっただろうか。
 頭が悪いので感情の処理の隙間にそういうものは遠いどこかに置いてきていた。なことは覚えているのだろうな、というそれだけは罪悪感を忘れさせない。

 俺たちはあの日あの時二人きりだった瞬間から、心臓を記憶を時間を命を分け合って生きている。
 分け合ってしまったものはもう二度とそれこそ一生戻りはしない。血も、呼吸も、指紋も、DNAも、誕生日だって。

「どう思う?」
「何が」
「誕生日、」
「一年に一回あれば十分だろ」
「あっはは、最高だね」

 こんな僕たちのゴミクズセンチメンタルは、無意味。深夜にクラッカー鳴らしに来ないことを滅茶苦茶褒めるくらいの気概でいないとだめ。
 朝起きたらお祭りで、おおはしゃぎで、大騒ぎなんでしょ、年に何回やってんの? 9人いるから9回じゃね。

 無神経でデリカシーなんて繊細で厄介なもの一ミリも持ち合わせのないこんな人達だから、今日近所のケーキ屋に予約しているケーキのプレートには「いこと&なこと」って書かれているし、夕飯はお祝いっぽくないけどぶり大根。プレゼントなんかほんといらないくらいなのに、みんな二つずつ買ってきて、くれる。
 あああ、なんて、ずるいことだろう。頑張って作っている意味も理由も痛みも言葉も理論も規則も、もう、どーでもいいみたいじゃ、ないですか。これ暴力でしょ? ケーキはミルフィーユが好きだからよろしく!


「まあ、何であれ僕/俺は今日のところ幸せなんです、下らないことにね」




2015 10 20






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