ぼくは脆い。自覚がある。すぐに壊れる。ぼくは脆い。
数えきれない検診を受けて、いくつもの薬をもらって、なんとか繋がってるぼくの意識。電波に邪魔されて夜も眠れないのに、君たちはいつもうるさいのに、しあわせなんてわからないのに、こわれたっていいのに。
――壊れてはいけなくなってしまったらしい。
こうやってぼくの頭を撫でて不器用にも慰めてくれる不良まがいのお兄さんがいるから。ああ、やだな、ぼくがとても人間みたいで子供みたいでむかつく。
気持ち悪いって言わないんだよ、思わないんだよ、変だ。誰だってぼくのこと、怖いくせに。
なんで黒梨はそーなの、って聞いたらきっと笑うからなにも言ってあげない。ぼくの思考は広げたい放題なんだ、黒梨には見えないから。ぼくは黒梨の思考が聞こえちゃうのに。
ずるいのかな、ぼくは。言葉にしないでいいって思ってるの、ずるいのかな。みんなの騒がしさが本当は無言だったりするんだもん、きもちわるい。
まとまらない思考はいつだって意味もないことしか辿らない。結局ぼくはここにいるしかなくて、黒梨はぼくを撫でてくれて、みんな、ぼくを嫌わなくて。へんなんだ、こんなの。
(お前は、フツーだよ)
もしかしたらぼくはとうとう狂ってしまって、これは全部夢で、もしかしたらぼくはもう死んでいて、これは全部夢なのかもしれない。目を閉じてもう一度開けたらそこにはもう誰も居ないかもしれない。
考えたらそれはすごく怖いことで、びりびりと電波がぼくを目覚めさせようとしているみたいで、いやだ。
「アーク、アーク! ばかアーク起きなよ、朝だよ。ご飯だってば」
「ふ、へ?」
「寝呆けてんのは良いけどさぁ、黒梨くん怒らしたら朝ご飯なくなっちゃうよ?」
なことにゆすり起こされる。眼鏡じゃない。電波と朝日がいっぺんにはいってきて、目を開けた。今日も受信精度は良好みたいですね、ばーか。
「あ、あと、レグルスとスピカきてるから!」
「え、」
ああ、朝が来た。
「アークおっはよー!」
「……アークは今日の色もかわらないのね」
つうかおそようじゃね? ねぼすけだよなぁアークってぇ、ぺらぺらと喋り続ける男の子と、じいいっとこちらを見つめる女の子に、ぼくは頭が痛いなあと黒梨みたいなことを考える。
「あ、いまアーク変なこと考えたっしょ! ばればれ! まっずいしぃ」
べーっと、舌を出すレグにぼくの頭痛はますますひどくなる。ぼおっとしているスピカは、きっとぼくらとは違う時間を過ごしていた。
レグルスと、スピカ。
ぼくと同い年くらいの男の子と、3つくらい上らしい女の子。
電波を受信する、少年と少女だった。
ぼく以外に「こういう」人間がいたということに対する、驚き。でもそれはたぶん僕の思い上がりで、たしかにぼく以外に誰かがいても不思議じゃなかった。
鑑のところにいままでずっと居たけれど、ぼくと会わせることはしなかった。ぼくらの電波の相互受信制度がよすぎて、近づけることを危険だとおもったからだそうだ。ふたりは一緒に居ても大丈夫みたいだったけど。
(この子がレグルスで、ええと、こっちがスピカ)
(春の夜空みたいだな)
(う、ん)
(お前も春だもんな。いいんじゃねえの)
名前のない男の子と女の子に、名前をあげたのは、ぼくだった。
「……不思議とさ、初めてな気がしないね」
「いっやそれきっとうんめーだってえ、だからアーク俺とケッコンしよーぜー」
黒梨が焼いてくれたトーストを食べる。ちょっと冷めたトーストだとみみの所が固いから、お茶と一緒に。
後ろから覆いかぶさるようにべたべたとくっついてくるレグを、ひじで少し遠ざける。あんまり効果はなくて、レグはそのまま前のめりになりながらぼくのトーストまでかじった。
「ぱっさぱさー。バターぬれよー」
「トーストはドライだろって、黒梨が言うんだもん」
それ、ぜってーその時たまたまバター無かっただけだろー! レグはにやにや笑いながらもう一度トーストをくわえて、とうとうぼくからうばう。
「でもさ! やっぱさ! アークといると、飯がうまい!」
「レグといるとごはん食べにくいよ」
「それ、いつものあたしとおんなじだわ」
あたしといると、あたしがごはん食べれないの。言いながらスピカはスピカでもらったらしいカルピスをふわふわ飲んでる。
ちゃっかりスピカのまわりにはいろいろお菓子とかも置いてあるから、黒梨はスピカに甘いと思う。
なんていうか、本当に来るもの拒まない部屋だなあ。ぼくが初めて来たときもこうだった。いつからこうなのか。いつからこのアパートがあるのか、ぼくはきちんとしらない。
「えー、そゆうの、訊かないんだ?」
ってゆーか、聴いちゃえばいいんじゃね。レグが言って、スピカが頷いた。
放っておいている内にぼくの(だった)トーストは半分以上なくなっていた。のこり半分はジャムを塗ろうと思っていたぼくの計画はだめになってしまう。
訊きたいけど、聴かないよ。電波はたくさんたくさんそこにあるけど、必要以上に聞かないことにしてるんだ。
レグとスピカは、きょとんとしたかおで、此方を見る。
「「なんで?」」
(あんま、聴くな)
(なん、で)
(ひとには口があるから)
(なんにも喋らないのに?)
(喋るよ。お前が、訊くことをおぼえたら)
「だって、聴いたって意味ないじゃん」
ぼくらにはことばがあるんだって、くちがあるんだって、教えてくれたのは名前をくれたひとでした。
目を開けたら、もしかしたらなんにも聞こえないんじゃないかって。そういう夢みたいなことを、たまに考える。
「……口は、食うためにあんだよ」
(ただのジッケンドウブツだろ、俺たちは)
(フツーの人間みたいなこと、ゆうな)
レグはちょっと冷たい目をした。すっかりレグの手に持って行かれたトーストの、最後の一口が、口の中に入った。もぐもぐ、もぐ、ごくり。きっと一緒にたくさんのことばが飲み下されてる。レグの思考が青で埋められていく。無音。スピカは「わからない」という顔をした。
「訊くことができない俺たちには、アークのいうのはむずかしいよ」
俺は食うことしかしらないもん。少年が食ってしまったトーストは戻ってこない。聴いてしまった電波と同じ。