黒梨くん、事件です。
その一言に全部の惨状が入ってたけどそんなことに感心もしないしどうでもいいしどっちかって言うとふざけんなって気持ちが先行してるし、っていうかこの修理費が一体どこから出るのかって言ったら論ずるまでも無く俺の給料なんだろうなあってことのが最初に頭をよぎった。
貧乏性に拍車がかかっている理由を誰も知らない。ああ、またも食洗機は遠ざかった模様です。
「何故なのかしら」
「え?」
不機嫌そうに、風呂上がりの懶時姫が目の前にあるお茶(こいつの家にはジャスミン茶しかない。俺の家には全部揃えてあるのに)を飲み干しながら思い切りこちらを睨む。
「おかしいじゃない」
「順当だろ」
きゃーきゃーと風呂場の方からなことが騒ぐ声が聞こえる。
アークテュルスの声があまりしないあたり、二人で楽しんでいるというよりは一人がはしゃいでいるようだ。
此処は102号室。懶時姫の自室だった。
つまりつまるところ、うちのシャワーが壊れたのだという、話。
「うちのシャワーまで壊さないでよ」
彼女は半ば諦めたように一つ大きな息を吐いて、コップを俺に突き出した。
はいはい、あんたの家だってのに随分と勝手にさせてくれるもんだ。
目の前に出されたコップを受け取り台所へ。
俺達の部屋の何倍も綺麗に整理された食器の中からもう一つコップをだし、またジャスミン茶を注いだ。
「そこまでギャグなことはしないっつーの」
たぶん。と、付け足しながら再びコップを渡せば、少し眉をしかめた。
こういう表情は本当に簡単に表に出るようになったもんだ。
その調子で、せめてもう少しや笑い顔をすれば友達の一人くらいはできるんじゃなかろうか。
「信用ならないわ」
「ひっでー」
「お湯が出なくなったらまず貴方を呪うから」
「そりゃ陳腐な呪いだな」
温度の違いで呪う、それってなんだか玩具みたいだとわけのわからないことを言うと、時姫が少し笑った気がした。気のせいだった。
馬鹿にした笑いでもいいのに、この人はなんでか笑わない。
仏頂面が不細工なことを理解していないのかもしれない。
いつか友達ができてそいつがこいつに不細工だって教えてやればいい。俺にはその役目は重たいから。
こいつにその友達ができるまで、ブスでもいいやって笑ってそばに居てやるやる役しか出来ない。
二人とも同じタイミングで息をしてしまっているのか、言葉が途切れた。
構わない。これくらいの空気が一番好きだ。一口。喉の奥を花が通り過ぎる音が聞こえた。静かだ。
「……アークテュルスもなことも、おとなしくなったわね」
「大方、いことにでも変わったんじゃねえの」
っていうかそうであれ。一瞬よぎった静けさの中の予感なんて嘘です。嘘ですとも。
俺と時姫は目を合わせる。苦笑で返す。一瞥が痛い。
かたん、小さな音がして、そこには髪からまだ雫を垂らしたアークテュルスが立っていた。
笑うのを少しこらえているような、それでいて叱られる直前の様な、曖昧な顔。
そして俺と時姫とアークテュルスは同時に息を吸った。
「……あのね、黒梨、ひめ。事件です」
(ぷ、と、予想通りすぎるふざけたその言葉に、誰かが笑った気がしたけど、俺じゃないから多分気のせいだった)