その、露木梨紅という女は、別に大層な死にたがりだとかそんなわけじゃなくて、ただ少し寂しがり屋なだけだった。
 ちょっと人生を諦めていて、いつでも辞めてしまおうと思えば辞めてしまえる危うさを持っていた、だけ。それだけ。彼女は、人生を辞めるに足る、不幸の理由だけは充分に持っていた。

 安っぽい小説から出てきたみたいな、在り来たりな不幸を背負った在り来たりの女。意外にも金が好きだったりする、いやな女だった。顔もあんまり好みじゃなかった。

(俺は派手じゃなくておとなしそうな黒髪の生活委員とかのが、好きだし)
(なのに梨紅ときたら、格好は派手で制服は着崩して、おまけに髪を明るい茶なんかにして、ピアスがいくつも開いている)


「いやー、本当にどうしようかと思った!」

 きゃらきゃらと隣で笑いながら付いて来る、さっき出会った迷子の女。茶に染めた少し傷んだ髪を揺らしながら、ヒールの高いブーツをかつかつと鳴らして歩く。薄着。短いスカート。時々寒いねーと笑った。寒いなら、その格好やめればいいのに。

「よくあたしが迷ってるって分かったよね、キミ」
「そりゃあんた、ものの数分で同じコンビニの前3回も通られちゃ、気付くだろ」

 自販機の隣で買ったばっかの温かいお茶を飲んでいる間に、3回。明らかきょろきょろしてたし、挙動不審だったし。
 そこで声を掛けた俺も大概に馬鹿だけど、しかも何でか案内した道が全然伝わらなくて土地勘方向感覚も無いらしいこの女が、何故か隣駅から徒歩で帰るつもりだったことに比べれば。
 たかだか120円そこらの電車賃を浮かせて何が楽しいのかと思ったが、彼女は自称するところ倹約家らしい。いやそんな馬鹿な倹約家があるか。

「ね、そう言えばキミ、名前は?」
 と、脳内で散々馬鹿にされているなんて知りもしない迷子女は、俺を覗き込みながら聞いた。目はしっかりと黒かったから、こいつの色素は作り物なんだと思った。俺の銀色と同じ。

「……暗清黒梨」
「あんせいこくりくん、ね、どんな字?」
「暗いに、清いに、黒いに、山梨の梨」

 自分でもいかがなものかと思う説明に、それでも彼女は嬉しそうに反応した。見た目の割に子供っぽい、そんな笑顔を浮かべて。
「あ、凄い! わたし露木梨紅って言うんだけど、ええと、ロシアの露に唐変木の木で、山梨の梨に紅色……名前、似てない?」

 まぁ、確かに。
 そんな笑顔になるほど面白いことでもねーし、お互い初対面で名前似ててなんか楽しいか。

「つーかロシアと唐変木って、あんた自分の苗字嫌いすぎんだろ」
「えー、ああまあ慣れては無い、けど」

 本当はね、去年まで秋原梨紅だったの。そう言いながら眉尻を下げて笑う初対面の彼女は、見るからに不幸で安っぽい。

「わたしが高校生になったのを境に、父さんと母さんは離婚して、わたしは母さんに着いていったけど、……あんまり、好きじゃなくて」

 だから、独り暮らしなんだけどね。

 とか、俺が聞きもしないのに彼女は続けて言った。口に出すことで軽くしようという、下らない意識。誰だってそういう自分が可哀想だと思う瞬間はあって、それを消化したい一心だ。
 有り勝ちな不幸とやらを不幸だとしないために、自分に馴染ませるために、口に出す。例えば、父親が死んだとか、恋人が自殺したとか、母親がおかしくなったとか、まあ、そんなとこ。馴染ませないと許せなくなるから。俺達は、自分を安くしたいんだ。

「……くだんねー」
「あは、だよ、ね」

 線路添いの道に出てから、もうしばらく。頻りに喋ったり黙ったままになったり、安定しない時間を過ごしながら。

 その時間の中で少しだけ分かった、露木梨紅という、馬鹿なやつ。千葉の方から出て来た高校一年生だということ。少々不良で遅刻やさぼりの多い奴だということ。見た目どおりすぎてちょっと笑った。それから生活力が恐らく皆無だということ。

「あっはは、料理とか苦手でさー」
「独り暮らしするにあたって悔い改めろよ、今まで何食って生きてたんだ」
「まあ……カップ麺と、か?」
「はぁあ? あんたカップ麺がどういう行程で作られてどんだけ油塗れだか知ってやってんのかよ! 死ぬぞ!」
「えー、美味しいし生きてるし!」

 なんて、まさかこんなんで独り暮らしって何で死んでねーのか不気味だっつーの。そう軽く言うと、またきゃらきゃらと笑った。何が面白いんだ。



 と、やっとのことで露木の知った道に出たらしく、彼女は危なっかしくも俺の前を歩き出した。
 「あ、こっちこっちー」って、いやいやじゃあ俺もう良いだろオイ。じゃ、ココでサヨナラって振り切りゃ良いのにタイミングも掴めないから、結局露木の家の目の前まで来てしまった。

「はい到着! このアパートの203号室です!」
「いやなんで俺連れて来られたし」

 えー、お礼にお茶でもーって思いましてー。そう言いながら、彼女は突っ立ったままの俺の腕を引く。

「馬鹿、初めて会った野郎を独り暮らしの女子高生が部屋に入れるか!」
「……ぷ、野郎って、まっさか黒梨くんのこと? ばっかだなあ、わたし、キミなんかに用心しなきゃなんないほどウブじゃありませんよー」

 じゃああんたに用心しなきゃなんないくらい俺がウブなんだよ! とは恥ずかしい越えてむかつくから言わない。
 とにかく必死にその腕を振り払って、
「つーか、あんたの部屋汚ねーだろ、入りたくない」
「ひっどーい、そういう事初対面の女の子に言う?」

 とにかく、俺は帰るからあんた今日くらい掃除と自炊しろよ。
 それだけ言って、くるんと回れ右。でも一歩踏み出すよりも前に、くいっと服の裾が引っ張られる。

「ねえ、黒梨くん」
「なんだよ」
「あの、さ、ええと」

 ──ただ少し寂しがり屋なだけだった。

 露木梨紅と俺の関連性は、ただ寂しさを埋めるだけだったし、俺はそれで構わなかったし、彼女もそれで満足だった。俺から梨紅を求めたことはなかった。梨紅はいつも笑って、黒梨が居ないと死んでしまうと笑った。たまに死んでしまえと思った。ただ、彼女はひたすらに寂しがり屋な、だけ、だった。
「……携帯」
「え?」
「携帯貸せよ、赤外線くらい付いてんだろ」
「それ、って」


「部屋掃除してちゃんと自炊してんなら、また来るから」


 ぱあ、と見るからに明るい表情になって、彼女は持っていた鞄からストラップのいっぱい付いた携帯を出す。絶対、その変な人形、邪魔。
 ったく、馬鹿じゃねーのって、久々に笑ってやった。



(あんたさ、言っとくけどコレ、俺じゃなかったらただのナンパであんたお持ち帰りだからな、普通)
(やっだなー、わたしナンパとお人好しの見分けくらい出来る良い女だって!)
(……お人好しゆーなよ)





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