:黒梨と梨紅


 ぴんぽーん、と、押すよりも前に大体飛び出してくるのが定石なのに、今日は何の反応もない。ぴんぽーん。もう一度。
「おーい、梨紅ぅ?」
 直接2、3回ドアも叩いてみる。無反応。冷やし中華たべたぁいって呼び出したの誰だよ。1つ舌打ちをしながら携帯を取り出し、試しにドアノブを捻る。がちゃ。おいおい、一人暮らし女子のセキュリティについて俺は何回あいつに説教すればいいんだよ。

「ったく、入るからな」

 呆れ半分、そしてそう言えばこの俺の勝手に突入の選択肢も常識はずれだなぁとため息をつく。どんどん大事な指針を狂わされてる気がしてきた。

「──梨、紅?」

 玄関を入ってすぐに台所のあるちゃちなワンルーム。そのシンクにぐったりと寄り掛かるようにして、見慣れたそいつは居た。
 反射で駆け寄って肩を揺する。動かない。薄暗い中で俯いたそいつの顔色は分かりづらい。目はかたく閉じている。触れた肩は決して冷たいわけではなく、ちゃんと温かいのだけれど。
「おい、梨紅?」
 逆に俺の方は体温がぐっと下がったかのような感覚に襲われる。この場合取り敢えず救急車なのか。こいつのことだから熱中症だとか脱水症だとか、あり得る。だから夏場は気を付けろって言ったのに。

「……ぷっ」
「え」

 くつくつ、肩を揺らして梨紅が笑うのが聞こえる。それからぱっと顔を上げて「ね、びっくりした? したよね?」間近、にんまりと悪戯っ子のような笑みを見せる。

 ──つまり、まんまと引っ掛かったってわけか、俺は。

「いった! 痛いよ黒梨!」
「おーおー、十分痛がれよ。何回でも打っ叩いてやっから、ほらもっぺん顔上げてさっきの台詞言ってみろ馬鹿梨紅」

 考えるよりも一歩早いくらいのタイミングでその得意気な顔の額を小突く。ちょっと強めの力で。うあー、と、うめく梨紅にさっきまでのぐったりとした空気は微塵も残っちゃいない。
「案外黒梨、これ引っ掛かるよね」
「お前がマジ馬鹿やらかしてぶっ倒れてそうなのが悪い」

 心配性! 言いながらまたけらけらと笑って、彼女は俺の傍らに転がるスーパーの袋を拾う。
「冷やし中華!」
「却下! 俺は帰る!」
「いみわかんない」
「俺にはお前の行動がいみわかんないっつうの」
 どんだけびっくりして、そして今安心してしまっているのか、梨紅はきっと知らない。

 ちょっぴり構って欲しかっただけよ。そう素直に言わない梨紅のことが、少しだけ愛しくて、そんな俺はきっといつまでもこいつのこの遊びにも付き合うものだと、思って、

「金輪際心配とかしねーからな」
「とかゆっちゃいながら冷やし中華作りに取り掛かっちゃう黒梨がわたしは大好きだなぁ」
「はいはい、俺はお前が大嫌いだよ」
「ひどーい!」

(思っていた、と過去形にするにはあんまりに笑えない)


BGM:家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。







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