失敗作。失敗が成功の元だと証明するためだけに生かされた、強すぎる受信を制御出来なくなった子供。俺が星の名前をくっ付けてやったガキの、話。
「……っ!」
「アークテュル、ス?」
突然、それは起きた。
少し遠出して大型のスーパーに行く、と言ったら、アークテュルスが着いていきたいと言った。本来、人の多い場所を好まないアークテュルスにしては珍しい出来事で、俺は驚きながらも、そいつを連れて出たのだった。
隣でキョロキョロと辺りを見回し、興味津々に歩いていたアークテュルス。ったく、ちゃんとついてこいよって、振り向いた、時。
その子供が突然視界から消えた。
いきなり、しゃがみ込んだんだ。頭を抱えて、耳を塞ぐように縮こまる。
「おい、」
「──や、だ」
小さな呟きのような声が、その喉から絞りだされるように漏れる。
「うるさ、やだ、きこえ、ない」
がたがたと震える小さな子供の様子に、俺は一つの確信を持ちながら駆け寄った。ああ、鑑の言っていたのはこれだ。何時も一番危うくて脆いの、は。
「落ち着け、アークテュルス。聞こえるか?」
小さくなって固まった彼に、そっと手を伸ばす。
──ぱしん、と、小さな手が俺の手を叩いた。
「やだ、痛い、痛い怖い、うる、さ、い!」
痛いやめて怖い、と、喚く。頭を抱えて、何度も、同じことを。細い指が淡い色の髪に絡む。
「やだ、よ。こわいの、嫌、ねえ、ぼくが悪いの?」
浅く短い呼吸で、酸素が足りないのか苦しそうにしながらそれでも縋るように呟くように、それは続いた。
人の多い場所だ、見てみぬ振りをしようとしながらも皆、ちらりと振り向く。その視線を避けようと、取り敢えずそいつと買い物袋を抱えて、隅の方へ歩いた。視線なんて、避けたところでこいつには何もかも、聞こえてしまっているのかもしれないけれど。
「アークテュルス、お前は何も見なくて良いよ。知らなくて、良いから」
アークテュルス。名前を繰り返し呼ぶと、ほんの少し落ち着いたらしく、その目の中に俺がやっと映った。
呼吸をさせる。深く、深く、ゆっくり、そう念じながら背を擦ると、漸くあいつは俺の存在を認識したように、泣きそうな顔をして此方を見た。
「お前はアークテュルス。そんだけだろ」
「……う、ん」
「ちゃんと閉じとけ、全部」
耳も目も口も、その無意識も。何も聞かなくていい、見なくていい、喋らなくていい。ぼんやりとしたままの薄っぺらい少年を、そうっと生温く扱って、ゆっくりと手を取った。
それから携帯で、世界一嫌いだが世界一頼りになる雇い主に電話する。
アークテュルスは、少し俯いたまま、ごめん、と呟いた。
──、──。
たまに、押さえられなくなるのだ、と聞いた。これでも幾分かましになったのだ、とも。
「あいつはいかれたら一番洒落にならないね、慎と良い勝負だよ」
目の前に座ってコーラをガンガン飲みながら、その女は言った。アークテュルスを彼女のもとに連れ、一息つく間もなく呼び出されたのだ。
しかめ面のまま大層機嫌の悪そうな鑑海良という大嫌いな相手に、それでも俺は訊ねなくちゃならなかった。
「……頭は弱そうな電波だったけど、まさか、あそこまでとは聞いてない」
事実アークテュルスは変な超能力的なものを持っている。確かに、更にそいつを平然と行使する様は、いただけたものではない。倫理が足りないと思ったことも多々あるし、常識も通じにくい。
「甘いね、あんなもんじゃなかったよ」
だから、検査も無しに連れて歩くなって言ったんだ。盛大に舌打ち。隠されることのない苛立ちを真っ向から受けながら、俺は次の彼女の行動を考える。良い予感は一つだってしない。
案の定、空になった缶が放られた。しかも顔面に向けて、思い切りのある手首のスナップ、ナイスピッチング。ギリギリで避けたは良いが、ほんの少し残っていた黒い液体が飛ぶ。独特の甘味料の香り。
ざけんなこの糞ババア、と、思っても口には出さないで一呼吸を置いてから今度はファンタの缶を差し出した。俺も大人になっちまったな、なんてばかみたいに考えた。
「あれが、どれだけ壊れていたのかも、どうして直ったのかも、なにもかもお前は知らないだろう?」
知らない、んじゃない、知る術がないだけだ。
ベッドに括り付けられて、拘束具で固められ様々な場所に鬱血したような痣を作り、舌を噛まないようにと轡をされて死なない程度に動けない程度に栄養剤を投与されながら、生かされていた。
(なんで、そんな)
(受信の性能だけは天下一品だったのさ。だから、そのデータが必要だったんだ)
元々は処分対象。大抵自我も生まれない頃には死ぬのだけど、アークテュルスは、その能力だけは使えた。だから取って置いた。壊れたら捨てるつもりで。
そこの研究所を丸々潰したついでに興味深かったから貰っただけだ、と言った。行動が法外だ。今更言っても仕方ないけど。
この女はとんだ偽善者だった。もしか、アークテュルスは死にたかったのかも知れないのに。目の前で死なれるのが厭だっただけなんだ。そう気付いても声には出さなかった。だってそんなことはこの女が一番自覚的に認識していることなのだから。
(だから、嫌いだ。そういうところが、俺とそっくりで)
大体、何故そんなことになったのか。アークテュルスを引き取って、毎週、毎月と検査と調整をして、それではその研究をそのまま引き継いだのと大差、ないのではないのか。
なんて、そんな恐ろしいところは聞かないで置く。それがこのアパートで生きるということだと、理解している。
結局、いくら聞いた所で俺はあんな風に普通の(と、表現したら鑑には認識がおかしいと言われたけど)子供をしているアークテュルスしか、知らない。
生意気で世間知らずでちょっとばかで、沢山のことを聞いた所為で変なところだけ大人振るくせに、たまにすごくすごく子供で。
(やだ、これきらい)
(却下)
(きゃ、却下っていみわかんない! まだなんもゆってないじゃん)
(残すの却下!)
(黒梨が電波読むー)
(……お前が分かりやすいだけだと思うけど)
鑑が、かたんと立ち上がって一歩踏み出す。まだファンタのなみなみ残っている缶を片手に。瞬間、そいつを頭からかけられるのを想像して、身体が硬直する。
「安心おしよ、あたしはあんたは大嫌いだがあの電波のガキはだぁいすきなんだ」
ひやり、冷たい缶が頬に当てられ、思わず俺は「うわっ」なんて間抜けな声をもらす。鑑が、もしも鑑でなければ美人に見えるだろう悪戯そうな笑みを見せて、言う。
「そんな湿気た面ばっかしてると次はぶっ殺すからね」
あの子供を笑わせんのがあんたの仕事だよ。
横暴で犯罪で最低の女が言うにしては、酷く甘ったるいその台詞に、俺は少し苦笑いした。