(時姫誕生日:終末ヴォイド期直後)
あ、やべえ。忘れてた、とだけは言えなかった。だって俺じゃなく本人が忘れていたから。
今日、時姫ちゃんの誕生日だね。一時はどうなる事かと思ったが、今やすっかり時姫に懐いたらしい天藾が、彼女を送り出してから思い出したように言った。
「ねえ、初めての誕生日だよ」
そうだった、真冬にあいつが越してきてから、初めての夏が来る。此処に俺が来て間もない頃の、天藾の最初の誕生日も結構真面目に祝ったもんだった。俺がこいつに伝えられそうなことは、それくらいしかなかったからだ。
「……にしても、彼奴、忘れてるのか?」
まるで何事もないかのような、時姫の態度。いや、忘れてはいないのかもしれない。時姫の朝からの行動を計り直す。
けれど、いくら考えても、祝ってもらおうという感覚だけがごっそり抜け落ちていた。全く、その特別な日を意識しない、やはり、何事もないかのような、
「きっと、忘れてるとは違うよ、黒梨くん」
「ああ、そうかも、な」
天藾は、真剣そうに目を真っ直ぐ此方に向ける。彼女は、欠落しているところのあるそれでいて気丈な少女だったから。正常な理論と歪んだ倫理の隙間に居続けたゆえの、自分に対する微妙な稀薄さ。
「天藾。今日は一緒に買い物、行こう」
「……はぁ? そんなん、いことがキレるよ」
「知るか。つーか、いことだって、行くだろ?」
夕飯はハンバーグに急遽変更、それから、買い物帰りにこの近くで一番美味しいケーキ屋に寄ることにした。あとは、そうだな、あまり洒落たものに手を出すと趣味に合わないと捨てられかねないので(彼女は、そういう人間だ)、あと出来ることは花を買うくらいだろうか。ぱちぱちと頭の中で計画を作りながらメモを取っていたら、天藾が、満足そうに笑った。
「僕ら、代わりにはなれないけどさ」
いなくなった家族の、代わりにはなれない。いなくなった誰かの、代わりなんてない。いことの母親の代用も、俺の梨紅の代替も、時姫の父親の代わりにだって、誰もなれない。
そのことを俺は知っていたし、なこともよぅく分かっていた。何処を探しても梨紅の代わりは居なかったし、どうしたって、なことはいことの母親の代わりにはなれなかった。元々、代わりになんて探しちゃ居なかった。
「だけど、新しい家には、なれるんだよね?」
ああ、そうだよ。
例えば今は壊れ掛けた懶時姫が、いつか誰かに笑って泣いて怒れるような、そんな世界にしてやろう。
(いきていて、いいよ)
(その一言を伝えることが許される365分の1)