(天藾と黒梨)
こないだ変えたばかりの歯ブラシに、少し甘い歯みがき粉を付ける。ラムネ味って書いてある、少しだけつんとする子供用のやつ。僕が辛いの、駄目だから。
洗面所の三面鏡に向かって、さて、おやすみの前の日課のお時間。
「んあ、黒梨くんもーねるの?」
──と、そこに、珍しく黒梨くんが入ってきた。口中が甘さを感じながら、粗方磨かれたくらいの時。
狭い洗面所が殊更狭く感じる。この時間は、僕といことの会話の時間だから、あんまり誰も入って来ない。別に気にしないんだけどね。
「いや、まだ寝ない。洗濯物の回収……つーか歯磨きしたまま口を開くな」
がさがさ、と、洗濯物を放り込んである籠と、その隣に置いた洗剤の箱を引っ張りだす。口開くな、なんて、喋るのが呼吸な僕になんて難題。
「……んー、んんっんー」
「口を閉じれば良いって問題じゃねえし、何言ってるかわかんねえし」
口を開かないで会話するにはこれしかないと思ったのに、どうやら導きだした答えは間違いだったらしい。「うん、わかったー」って答えたつもりだったんだけどな。(俺はわかった)そりゃそーでしょ、いことは僕で僕はいことだよ。
「悪いな。邪魔して」
「んー? んんむむん、んっんうんんー」(えー? 邪魔なんて、言ってないよー)
(あぁ? 邪魔とか言ってねーだろ)
「そうだけど、なんか遠慮するんだよ。鏡に向かって百面相してるし」
「んん!?」(うそ!?)
(はぁ!?)
「嘘じゃねーよ、アークテュルスならまだし俺は会話聞こえねえから勝手アテレコだし」
くつくつと、黒梨くんはちょっとだけその見た目には似合わない笑い方をする。邪気はないけど、意地の悪いやつ。それが黒梨くんだと思うと、よく似合う笑い方なのだ。
て、ゆーか。
「全然、わかんなくないじゃんか」
(そうだ、普通に会話しやがって、話が違う)
口をゆすいで、持っていた歯ブラシも濯ぐ。水を切るように大きく振ると、跳ねた水が黒梨くんにも飛んだらしく不機嫌そうに叩かれた。痛い。
「普通に、会話したし」
「あー、そーだっけ?」
「2秒前のこととぼけんなし」
いことの分まで文句を重ねてやれば、黒梨くんは、なんてことないように洗面所をあとにしながら、一瞬振り向いて、
「お前、分かりやすいんだよ。お前、っつーか、“お前ら”」
やだなあ、もう、なんだそれ反則。