アークテュルス、という名前を貰った。

 お前、何人? と訊かれて“日本人”と即答したのに。日本語がつうじなかったのか。
 まあ、自分が日本じゃなさそうな、どっか違うとこっぽい顔をしてるのはわかる。どこだかとかは、わかんないけど。髪の毛も色すごい淡いし、海良には女扱いされたし。


 あの日、初めてぼくはアパートに入った。誰もいない部屋。ことんと目の前に置かれたカップには、“ほうじ茶”ってのが入っていた。
 ぼくの前にコップを置いたあと、黒梨は部屋の奥から、なんかボロボロになった図鑑を引っ張り出して来て、ぱらぱらめくっては、悩み、めくっては悩み、を繰り返していた。ぼくはその隣で、そんな黒梨をじぃっと見ていた。
 脱色したらしい銀色みたいな傷んだ髪と、不機嫌そうな不良面。なのに、くそまじめに他人の(しかも、しかも、今さっき戸口で会ったばっかりの、だ)名前なんか考えてる。それってすっごく、へんてこで。

「……アーク」
「へ?」
「アークテュルス」

 ぽつんと、やっとのこと口にされた、響き。
「お前の、名前」
 ぴし、と指差して、黒梨はもう一度「アークテュルス、」と言った。アークテュルス。へんな名前。長くて、カタカナっぽくて、日本語じゃないし。
 なのに、なんで。

「あーく、てゅる、す」

 どうだと訊かれて、うん、いい名前だと、思ってしまった。口に出してみた途端、じんわりと染み込んで、あたたかくなってしまったのだ。

(ってわけで、今日から俺の部屋に入ったんでよろしく)
(僕は黒梨くんのネーミングセンス疑う)
(なことに同意するわ)
(ひめちゃん辛辣! じゃああたしが考えてあげよっかな)
(翔保のセンスじゃ論外確実だからやめとけ)
(琉姉容赦ねーな!)
(天藾お前らコロコロ変わるなびびるから)

 合間合間に、慎が「まあ名前なんて愛にだけあれば十分ですよね」とか言って、「そうですね貴方に名前は不要ですね」と、愛が言っていたのも思い出した。
 そのあと、みんなでもっかい名前討論会を開いたんだっけ。冷静になって思い返すと、とんでもなくあほだ。あと、全員そろってネーミングセンスがひどかった。
 結局、最後まで、最初に貰った名前がぼくのなかに残ったのは、言うまでもなくて。


「アーク! アーク、ねえ聞いてるの?」
「あ、ごめん」

 はた、と、我に返ると隣でなことが凄く不機嫌そうに問い詰めてきているところだった。その脳裏のいことは、我関せずだ。
 アークテュルス、なんて長すぎ! なんて即刻言い放ったなことは、ぼくを“アーク”と呼ぶ。いことも、琉夜も、性格に則って短い方がいいって言って、アークと呼んだ。そっからの派生なのかなんなのか、翔保は“あーくん”と呼ぶ。

 名前を呼ばれるのは、好きだ。ああ、ぼくを呼んでいるんだ、ぼくなんだと、思うから。
 ぼくがぼくで在り続ける魔法だなあ、なんて、ちょっとロマンチストすぎてきもちわるいけど。でも、嬉しいんだ。

 ぼくはきっと、道具だったんだろうから。電波を受け取るだけの、機械の一部みたいなもの。苦しくなったあとなんか殆ど覚えちゃいないけど(そーゆー風にしたんだって、海良は言ってた。そうじゃなきゃ、ぼくは壊れていたんだと、思う)でも、ずっと道具だった。
 辿る記憶は殆どを青色で塗り潰されていて、やっぱりよくわからなかったけれど、とにかく其処でのぼくは決して“アークテュルス”なんて呼んでもらえちゃ居なかったから。


「アークテュルス」
「んー、ん?」
「買い物、行くか」

 唐突(何か前振りはあったかも知れないけど、生憎今のぼくには届いていなかった。よく、耳がお留守とか、言われる)、黒梨が此方を振り向いて、言う。
 隣のなことが「えー、僕はー?」と言って、その中でいことが(この時期に外なんざ出てたまるか!)と、騒いでいた。花粉症ってやつらしい。
 ぼくはその花粉症ってのとは無縁だと思うのに、黒梨は予防が大切なんだとかどっかで聞いたらしくって、ぼくにマスクをさせる。本人はマスクなんかしないくせに。ずるいやつ。

「んじゃ、行くか。アークテュルス」
「……うん」

 アークテュルス。黒梨は誰よりも多く、ぼくの名前を呼ぶ。何度も何度も。一回、一回、染み込ませるみたいに。
 それを呼ぶ時の黒梨の電波が、いやになるくらい甘ったるく優しくて、悔しいけど、それが嬉しいなんて、思うぼくが居るんだ。


(アークって、なぁんか黒梨くんには懐いてるよねー。生意気しか言ってないけど)
(ほら、あれだろ、雛が初めて見たのを親だと思うやつ)







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