名前も知らない君


お昼を食べ損ねて帰りにコンビニで買ったお弁当。いつも食べてたはずなのに、何故かもういらないと思った。美味しくなかった。君の作ったものが、食べたいと思った。

ーーーー

結局昨日はいつもの少女に会えず、土曜日になった。学校がなければあの少女に会うこともない。
連絡先も知らないのだから連絡の取りようがない。
昨日から少女のことを考えてばかりだ。


「……明後日はお弁当持ってきてくれるのかな」


土曜日が始まってすぐに月曜日の昼休みのことを考える。ただあの少女の弁当が食べたい。それだけで行く必要もないと感じていた学校が少し待ち遠しく感じた。


「おー、天羽。ぼんち揚げ食う?」
「迅さん」


本部で声をかけてくる者など限られている。ぼりぼりとぼんち揚げを食べながら近寄ってきた迅を見上げてから首を横に振った。


「あれ、食べないの?」
「うん。いらない」
「珍しいな」
「他に食べたいものがあるから」
「食べたいもの、ね」


天羽の口からそんな言葉が出るなど思わなかった。けれど見えていた。見知らぬ少女と天羽が一緒にお昼を食べる姿も。


「なになに?天羽ってば青春してる?」
「何言ってるの」
「いやー、天羽にもそんな相手が出来たか!例のお弁当の子か?なかなか可愛い子だな。どんな子なんだ?」


前に弁当箱を壊したときに少し話してしまったせいか、やけに食いついてくる迅に眉をひそめた。


「迅さんうるさいんだけど」
「だって天羽が仲良くしてる相手なんて珍しいからな」
「知らないよ」
「何を?」
「何にも」
「何にも?」
「…迅さんが誰のことを言ってるのかは分かったけど、俺はそいつのこと何も知らない。名前も、何も」
「…マジ?」
「うん」


あの少女のことは何も知らないのだ。
ただ、料理が美味しくていつも笑っていて、たまに少し不安そうな顔をする。それしか知らない。


「名前も知らない相手に恋、か」
「恋?そんなのしてないよ」
「だってその子のことばっか考えてるんだろ?」
「…お弁当とお菓子が美味しいから、それのことを考えてるだけ」
「気に入ってるんだな」
「美味しいから」


あくまで食べ物が。そう言い張る。
迅のように珍しい色とはまるで違う、普通の色を気に入るはずない。いつも見ているどこにでもいる色なのだから。


「…ただ、またあの料理が食べたいだけだよ」


それなのに思い出すのはあの少女の笑顔ばかりで。


「…分かんない」


名前も知らないあの少女のことばかり考えている理由も、早く会いたいと思ってしまう理由も、何も分からない。けれど、分からないことしかないはずなのに、嫌な気持ちにはならなかった。


「天羽、楽しそうだな」
「別に楽しくないけど」
「楽しいって気付いてないだけだろ。強いやつと戦う以外にも、楽しいことはたくさんあるよ」
「…ふーん」
「ま、すぐに分かるさ」


穏やかに笑った迅にぽすっと頭を撫でられる。その手はすぐに離され、ひらひらと振りながら去っていく後ろ姿を見つめた。迅が言うのなら本当にすぐ分かるのだろう。


「…帰ろう」


ここにいてももうやることはない。迅を見送ったあと、天羽は本部を出て行った。
ゆっくり警戒区域の中を歩く。
近界民が現れても倒せば良いだけだ。多少は暇潰しになる。けれど一向に近界民が現れる気配はなく、警戒区域の外に辿りついてしまった。はぁっと小さく溜息をつく。

何やらもやもやする。それを発散させたかった。それなのにこういうときに限って近界民は現れない。


「…つまんないな」


小さく呟いて再び足を動かした。しかしすぐにぴたりと立ち止まる。
目の前に現れた、予想外の人物に。
天羽はぱちぱちと瞬きをして目の前の人物を見つめた。相手も同じように天羽を見つめている。
お互いにきょとんと無言で見つめ合った。


「あ!昨日はごめんね!約束したのにお弁当持っていけなくて…!」


先に口を開いたのはいつも学校で会うあの少女の方だった。まるで学校で会ったときのように普通に話す姿は予想通りだ。


「別にいいよ。ただの口約束だし」
「口約束でも約束は約束だよ!君がお腹空かせてるんじゃないかって心配だったんだ…!」
「俺は犬じゃないけど」
「え?…ふふっ、ごめんね、そういう意味じゃなかったんだけど」


くすくすと笑う姿をじっと見つめる。いつもの笑顔だった。昨日から無意識に思い浮かべてしまったあの笑顔。それだけで何故か安心出来た。
けれど安心している場合ではない。ここは警戒区域の側だ。


「ていうか君、何でこんな所にいるの」
「バイト中だからだよ」
「ここ、一般人は近付いちゃダメって分かってる?」
「うん」
「じゃあ何でこんな場所まで来てるの」
「ここの近くの配達はお給料が良いから。それに、中に入らなければ大丈夫って聞いてるよ」


確かにこの柵の中が警戒区域だが、当然付近も危険だ。近界民が現れてしまえば近くの人が襲われるのは間違いないのだから。


「危ないから早く帰りなよ」
「うん、ありがとう。でももう少し」
「……」
「配達あと1つだから、それが終わったらちゃんと帰るよ!」
「…………なら、俺も行く」
「え?」
「俺も行く」
「危ないよ?」
「君が言うの?」


戦える自分よりも、明らかに少女の方が危ないに決まっている。天羽がボーダー隊員だと知らないとしても複雑な気持ちだった。


「うーん……あ!」


ぴこんっと何か閃いたように笑顔を浮かべた。


「じゃあすぐ終わるし、少しだけ付き合ってくれるかな?終わったら一緒にお昼ご飯食べよう!」
「お昼…?」
「うん!お弁当持って来てるから、昨日一緒に食べられなかった分どうかなーって」


少女のお弁当が食べられる。天羽の瞳が僅かに輝いた。そしてすぐに少女に背を向けて歩き出す。


「?」
「ほら、早く行くよ。早く終わらせて君のお弁当食べたい」
「…!うん!」


行き先も分からずに先を歩いていくと、少女は嬉しそうに走って追いかけてくる。隣に並んで微笑む少女にちらりと視線を向けると、少女の頬が僅かに腫れているのに気付いた。
近くで見なければ分からないくらいの僅かな赤みと腫れ。天羽はそっと手を伸ばして隣を歩く少女の頬に触れた。少女は驚いて天羽を見つめる。


「……どうしたの…?」
「…痛そうだったから」
「…大丈夫、だよ。……君のお陰でもう痛くない」
「俺何もしてないけど」
「君が触ってくれたら治っちゃった」
「そんなわけないじゃん」
「そんなわけあるよ!…本当に、痛くないんだ。君といると」


少女は僅かに目を伏せてそっと胸に手を当てた。意味が分からないと首を傾げる天羽に、少女はぱっと顔を上げて笑顔を向ける。


「早く配達終わらせて、お弁当食べよ!」


少女の頬に当てていた手を取られ、そのまま引かれて走る。走るのは嫌いだ。けれど、走る少女と繋がれた手を振り払うことはなく、引かれるがままに走った。
早く配達を終わらせ、早く少女のお弁当を食べるために。


ーーーーー

学校以外で会った君はいつも通りの君だった。違う所もあったけど、君は君だったからなのか、もやもやしてたのがなくなった。
だからって走るのは嫌だけど、君と一緒に美味しいものが食べられるなら、少しくらい振り回されてもいいかもしれないと思った。


[ 7/15 ]

back