君が救ってくれたのは

一緒に住む。家族でも大変なのに、赤の他人と。そんなの絶対に問題は出てくる。きっと、私が原因で。私は君に何も話してないのに、君はどうしてそんなに優しくしてくれるんだろう。こんなに優しくされるのが初めてで、それが表現出来ないほど嬉しくて。こんな私でも、君なら全部受け入れてくれるのかなって、淡い期待を抱いちゃうよ。

ーーーーー

入院してから数日。予定ではもう退院しても良いのに、日向は未だに退院出来ずにいた。


「七海さん、ちゃんと食べないと体力戻らないわよ?」
「……」
「確かに点滴を打ってるから問題はないのかもしれないけど、身体は大丈夫なんだからしっかり食べて?」
「……いらない、です」


看護師が心配そうに声をかけるも、日向は食事に手をつけない。点滴を打っていれば食べなくても大丈夫。だったら無理して不味いものを食べる必要はないのだと気付いてしまったから。
味のしない好物、甘いはずの苦味、食べ物と思えない不快な風味、それを無理して口に入れなくても良いのなら、このまま点滴だけで過ごしていきたかった。


「最近のはちゃんと美味しいわよ?少しでいいから口にして?ね?」
「……」


日向は無言で首を振った。看護師は眉を下げて日向を見つめる。
そこへ、ノックもなしに扉が開いた。いつもノックをせずに入ってくるのは1人だけ。毎日お見舞いにくる少年に日向は微笑んだ。


「今日も来てくれてありがとう」
「いいよお礼なんて。…俺が好きで来てるだけだし」
「ふふっ」


少年がいるとよく笑う日向に、看護師は微笑んだ。日向が抱える心の傷には、きっと少年と一緒にいることが1番の療法なのだろうと。看護師は2人に小さく微笑み、病室を後にした。中には少年と日向だけが残される。最近はいつもこうだった。

少年は手のつけられていない食事に気付き、それを見ながら近くの椅子に座った。


「また食べてないの?」
「…うん」
「食べないと退院出来ないよ」
「……うん」
「俺、早く君の料理食べたいんだけど」
「……」


毎日料理をしていたから、味が分からなくてもちゃんと作れていた。母から文句は言われなかったし、少年の反応からして作れていたはずだ。けれど、もう何日も作っていない。感覚を忘れてしまったら、今まで通り作れなくなってしまう。少年の期待に、答えられなくなってしまう。


「だからちゃんと食べて、元気になって、退院してよ」
「……」
「君の帰る場所は、俺が用意してるから」
「…っ」


もう決定事項のように、少年は当然のことのように話を切り出す。
日向は言葉を詰まらせた。出来るものなら少年の所へ帰りたい。ずっと一緒にいたい。だから全て本当のことを言いたい。
けれど、味が分からないと知られたら、今までのことが嘘だとバレてしまう。隣で弁当を食べて、美味しいと嘘をついたことが。
騙していたと思われるのは嫌だった。余計に嫌われてしまう原因だ。もう、一緒にいられなくなってしまう。
傷付くのが怖く自己防衛ばかりで、全てが嫌になった。日向は苦しげに顔を歪める。


「…病院のご飯、美味しくないの?」
「え…?」
「よく美味しくないって聞くから」
「……」


予想もしていなかった言葉にきょとんとしていると、少年はポケットを探り始めた。
そしてポケットから1つのチョコレートを取り出す。


「あげる」
「…チョコレート…?」
「内緒だよ」


差し出されたチョコレートを咄嗟に受け取った。きょとんとしたままそれを見つめる。


「食べないの?」
「え、えっと…」
「…君、最近変だね」
「変…?」
「うん。変。前と違って何か、遠慮してる」
「…私、前は遠慮してなかった?」
「してるつもりだったの?」
「全然」
「何それ」


呆れた少年のツッコミにくすくす笑う日向は、少しだけいつもと同じように見えた。
日向は受け取ったチョコレートを目を細めて見つめる。



「チョコありがとう。凄く大好きだよ!」


昔は、大好きだった。
今は1番美味しくないと感じてしまうけれど。
その言葉を呑み込み、日向は彼がくれたものを笑顔でぱくりと食べた。やはり、全部話すことは出来ない。今の関係が心地良いから。自分が我慢し続ければ丸く収まるから。
我慢は我慢でも今までとは違う。彼と一緒にいるための我慢なら辛くない。むしろ、今までで1番幸せだった。
そう思いながら、これから来るであろう味に覚悟を決める。

けれど、舌の上に広がるのは、無味でも苦味でも、ましてや不快感でもなかった。


「え…?」


予想もしていなかったとろりと蕩ける甘さと香りに、日向は目を見開く。何年か振りの、チョコレートの味だ。


「…っ」
「どうしたの?大丈夫?」


広がっていく甘さに、暗く冷たい心の奥底に沈めていた感情が、湧き上がってくる。我慢など考える余裕もなく、日向の瞳からぽろりと一筋の涙が溢れた。少年は僅かに驚いたように日向を見つめる。


「…嫌い、だった?」
「…ちが、う…違う、よ…嫌いじゃない…」


そっと首を振って笑みを浮かべた日向からは、栓を抜いたように次から次へぽろぽろと大粒の涙が流れていく。
少年はただそれをじっと見つめる。いつも笑っている日向の、初めて見た涙。それがとても綺麗に見えて。


「…綺麗」


ぽつりと呟かれた言葉に気付かずに日向はただ涙を流す。今まで我慢していた感情が溢れ出して、自分では止めることが出来ない。何度拭っても、涙は止まることはなかった。
そんな日向に手を伸ばし、少年は溢れる涙に触れる。驚いた日向と視線が交わった。


「……」
「……」
「……もう1つあるけど、食べる?」


お互いに言葉が出なくて。
少年はもう1つのチョコレートを日向に差し出す。それを見た日向は涙に濡れた瞳を細め、嬉しそうに笑った。


「…うん…!」


受け取ったチョコレートを再び口へ運ぶ。やはり広がるのは幸せな味だ。


「…ありが、と…ありがとう…っ」
「……」


再び泣き出してしまった日向の頭を、少年は不器用にぽんっと撫でた。前に迅がやっていたのをマネするように。我慢出来ずに泣き出す日向を、慰めるように。


ーーーーー

懐かしい味がした。大好きな味がした。
ちゃんと甘くて、ちゃんと美味しくて、何でなのか分からないけど、味が、分かるようになってた。そしたら何故か涙が止まらなくて。人前では…君の前では絶対に涙なんて見せたくなかったのに。面倒な顔せずに君は、私が泣き疲れて眠るまでずっと、慰めてくれてたんだ。


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