人肌恋しいのは

最近射手としての実力がどんどんついてきている。自分でも自覚するほどに。それほど二宮の指導は丁寧で的確だった。
一緒にいられて、強くなれて、まさに一石二鳥だと思わず頬が緩んだ。

そして今日もまた訓練をしてもらう約束をしている。うるさい兄は緊急招集ですでに本部なので何か言われることもない。
学校が終わって今から行くと二宮に連絡しようとスマホを取り出すと、そこには1通のメールが届いていた。差出人は今まさに連絡しようとしていた二宮で。
名前を見るだけで嬉しくなってしまう相手からのメールを開き、紅葉は固まった。


「………え…?」


何度読み返してもやはり文面は変わらなくて。ぱちぱちと瞬きをしてから再び文章を読んだ。


「…自己管理を怠って…風邪を…引いた……?…本部には行けない…訓練は…中止にさせてくれ…すまない……?二宮さんが、体調不良…?二宮さんが…?」


風邪菌すら視線で殺せそうなあの人が。
何かの冗談かと思ったが、二宮がそんな冗談を言うとは思えない。となると、訓練出来ずに寝込むほど酷い症状なのかと、どんどん不安が胸を埋め尽くしていった。

今までたくさん心配をかけたことはあっても、二宮に心配をかけられることなどなかった。だから余計に心配になってしまう。たかが風邪なのに。
一体どれほどの熱が出ているのか。いつから寝込んでいるのか。ちゃんと薬は飲んだだろうか。無理して大学のレポートなどしていないだろうか。
焦れば焦るほど紅葉の頭はパニックになっていく。


「お、お見舞い…!お見舞い行かなきゃ…!」


パニックになる頭で思い浮かんだのはお見舞いという言葉。風邪を引いて苦しんでいるのなら、何か出来ることをしてあげたい。しかしそこで更に気付く。


「お見舞いに行きたい…けど…で、でももしわたしが行ったときに寝てたら…?本部に行けないってことは、熱で寝込んでるんだよね…?それなのに、いきなり行って玄関まで出て来てもらうとか、余計に負担だし…!ど、どうしよう…!」


無理はさせたくない。もし自分が行ったら二宮は無理をして出迎え、余計に症状を悪化させてしまうかもしれない。けれど、何かせずにはいられなかった。
風邪を引いたときは人肌が恋しくなる。そしてとても寂しくなる。少なくとも自分はそうだ。二宮に限ってそんなことはないかもしれないが、もしかしたらという可能性もある。

ぐるぐると考えながらスマホを握り締めて俯くと、ちらっと鞄の中にある大切なものを見つけてしまった。1人でどきりと固まる。

その視界に入ったものにそっと手を伸ばした。


「…そう、だよ…わたし、これ貰ってた…」


以前に二宮の家に泊まったときに貰った、二宮の家の合鍵。それを掌に乗せてじっと見つめる。
あれから何度も泊まりには行っているが、いつも二宮と一緒に行くために使う機会はなかった。だからまだ一度も使ったことはない。
けれどずっと、キーホルダーをつけて持ち歩いている。一種のお守りとして。


「……これ使えば、二宮さんに無理させずに家に行って…お見舞い出来る…?」


合鍵なのだから不法侵入にはならない。余計なことを色々考えてしまったが、掌に乗った合鍵をぎゅっと握り締め、紅葉は1人頷いた。

◇◆◇

学校帰りにそのままバスに乗り込み、二宮のマンションへ向かう。向かう途中にドキドキとする心臓が落ち着くことはなく、まるで初めて行くときのような気持ちだった。

最寄りのバス停で降り、自身の鼓動を聞きながら足を進める。

熱を出して寝込んでいるときは人肌が恋しくて辛いけれど、誰かが側にいるだけで元気になれる。二宮もそうであれば良いと想いを馳せた。
お見舞いに来たことには喜んでくれるだろうか。あの優しい瞳で見つめてくれるだろうか。
けれど二宮のことだから、風邪が移ると心配をして怒るかもしれない。思わず頬が緩んだ。


「……あ」


そんなことを考えているうちに、紅葉は二宮の部屋の前に辿り着いた。無意識でも辿り着けるくらいには通いつめている。ここへ来るのも慣れたものだ。
ただ、隣に二宮がいないだけで。


「………」


ごくりと唾を飲み込み、合鍵を取り出した。震えそうになる手で鍵を差し込み、ゆっくりと回した。カシャっと音が響く。


「あ、開いた…」


合鍵なのだから当然なのだが、やはりその事実を確認すると嬉しくて仕方がない。自分のスペースを大切にしていそうなあの二宮が、心を許してくれている気がして。

ガチャっとなるべく音を立てないように扉を開け、そっと中を覗く。静まり返った中に人の気配はないが、靴が揃えてあることから中に二宮がいるのを確認出来る。

紅葉は小さく深呼吸をして中へ足を踏み入れた。


「……ただい…………〜〜〜っ!!お、お邪魔します…!!」


入るだけで勝手に悶絶した。
ぶんぶんと頭を振って気持ちを落ち着け、中へと進む。寝込んでいるのなら寝室だ。足音を立てずに進み、寝室を覗く。


「……寝てる」


ゆっくりと近付き、ベッドの横で二宮の顔を覗き込む。熱で頬が上気しているものの、呼吸はそこまで荒くはない。
そのことに安心するが、それよりも。

珍しい人の上気した頬に思わず見惚れてしまった。更には滅多に見れない寝顔。しばらくぽけーっとその顔を見つめた。
そしてしばらくしてはっとする。途端に羞恥心に襲われ、紅葉は頬を染めた。


「ば、ばばばばかじゃないの…!お、お見舞いに来たんでしょ…!」


再びぶんぶんと頭を振った。
そして思案する。お見舞い、つまり看病。看病とは何をすれば良いのか。自分が風邪を引いたときは、何をしてもらっていたか。いつも自分が世話をしてもらう側で、そのことを思い出そうと頭を捻る。


「………お粥…」


そして思い出した。
母や姉、それと1度だけ双子の兄もお粥を作ってくれた記憶がある。何でもそれなりに出来る双子の兄が、料理は自分と同じレベルだったことには驚いた。そのことを思い出して小さく笑う。


「…うん、お粥作ろう!お粥は作ったことないけど流石に失敗しないでしょ!」


美味しいか不味いかは別として。そんなことは頭になかった。

紅葉は思い立ってキッチンへ向かう。二宮に家の中の物は好きに使って良いと言われているため、もう遠慮はない。
二宮が用意してくれた紅葉用のエプロンを慣れた手付きで付け、自分の家のように冷蔵庫を開けた。

◇◆◇

それから1時間後、何度目かのお粥を作り終え、紅葉は大きく息をついた。


「…お粥…失敗なんかしないと思ってたのに…」


やはり最初に作ったものは美味しくなくて。その残骸を見つめて眉をひそめた。
しかし何とか二宮が気にいる味付けにしようと試行錯誤し、それなりに納得出来るものを作り終え、それをトレーに乗せて寝室へ運ぶ。


「……ていうか、作ったはいいけど二宮さん寝てたら意味ないよね…」


起こすなんてことはしたくない。
失敗したと思いながらも寝室へ入ると、寝ているはずの二宮とバッチリ視線が交わった。
お互いにしばらく固まる。


「……紅葉…?」


先に口を開いたのは二宮だった。掠れた声にどきりと心臓が跳ねて動揺する。


「あ、は、はい…!あの、勝手にお邪魔、してます…」
「………」
「に、二宮さん風邪引いたって言ってたから、その、……か、看病…出来ないかなって…思って…」


二宮は紅葉を見つめたまま何も言わない。やはり迷惑だったかと不安になってくる。


「それで、お、お粥、作ったので、食べられそうなら食べて下さい。…美味しくはないかもですけど…」
「………」
「………すみません、わたし、帰りますね」


何も言われないことが辛かった。何でここにいるんだと言われるのも、怖かった。気持ちが通じ合っているのだとしても、何がお互いの地雷になるかは分からないのだから。

急いでお粥の乗ったトレーをベッドサイドに起き、立ち去ろうとすると、再び二宮の掠れた声がかかった。


「…紅葉」


その声にぴたりと足を止める。名前を呼ばれるだけでも嬉しいのだから。
ゆっくりと振り返り、二宮を見つめた。すると、二宮は少し辛そうに身体を起こし無言で手招きをする。その仕草に首を傾げ、起きて大丈夫なのかと心配しながら近付くと、二宮は手を伸ばして紅葉の腕を掴んだ。

なんですか、と口を開く前に腕を強く引かれる。


「きゃ…!」


どさりとベッドへ…二宮の上へ乗り上げた。慌てて退こうとすると、すっと背中に手を回されて熱い身体に優しく抱き締められる。


「な、ちょ…!に、二宮さ…!」


いきなりのことに逃れようと胸を押せば、更にぎゅっと力を込められる。そして二宮は紅葉の肩に顎を乗せた。その距離に紅葉は頬を染めて口を引き結ぶ。

しばらく何も言えずにそのままの態勢でいると、二宮はもぞもぞと顔を動かし、紅葉の耳元に口を寄せた。


「…風邪移ったらどうすんだ…見舞いなんか来てんじゃねぇよ」
「っ!」


低く掠れた声が耳に囁き込まれ、身体がびくりと反応した。カァっと熱くなる身体は二宮にも負けていなくて。
耐えるように紅葉は二宮にしがみつく。


「…風邪、引いたら…寂しくなると、思って…」
「…お前と違ってそんな気持ちにならねぇよ」


二宮が喋る度にドキドキと胸が鼓動する。
離れたいのに、離れたくない。


「……わたしだって、別に、そんな気持ちにならない、です…一般論です…」
「どうだかな」
「て、ていうか、そろそろ、は、離して下さい…!」


普段抱き締められるよりも心臓に悪い。体温も、声も、全て。緊張しすぎて壊れてしまいそうだった。しがみついていた手を離し、再び離れようとすれば、また強く抱き締められる。離れないように。


「に、の…みやさ…!」
「…しばらく、こうさせてくれ」
「………え…?」


いつもの包み込んでくれる抱擁とは違い、どこか縋るように抱き締められる。まるで紅葉の存在を確かめているように。

紅葉はおずおずと二宮の背中に手を回した。



「…二宮、さん。わたしここにいますから、寝ないと…」
「………」
「…あ、そ、それともお粥食べますか…?一応作ったので…」
「…お前、今日はやけに優しいな」
「今日はってなんですか!ていうか病人に優しくしないわけないですけど!」
「…ふ、そうだな」


いつも世話を焼く側の自分に、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする姿は愛しかった。そっと身体を離して見つめると、すぐにキスしたい衝動に駆られた。けれど愛する恋人に風邪を移したくはない。衝動にぐっと耐えて我慢する。


「二宮さん?」
「…何でもない。それより…」


心配そうに見上げてくる紅葉からふいっと視線をそらし、紅葉の作ったお粥へ向ける。


「…お前が作ったのか」
「は、はい!…口に合うか分かりませんけど、その、食べれそう、なら…」
「食う」
「!」
「もちろん、紅葉が食べさせてくれるんだろ?」
「な…!?」


にやりと口角を上げた二宮に紅葉は真っ赤に染まる。どちらが熱を出しているのか分からないほどに。


「まあ、じょうだ……」
「わ、分かりました…!」


紅葉からの思わぬ言葉に固まる。
冗談だと言おうとした矢先、紅葉から予想外の返事がきてしまい、どう対処するべきか熱であまり働かない頭を必死に回転させる。しかし固まる二宮とは対照的に、紅葉は顔を真っ赤にしながらもしっかりと二宮を見つめていた。


「きょ、今日は二宮さんの看病するって決めてるんです…!だ、から…!な、なんでもワガママ言って下さい…!今日だけは!聞きますから!」


紅葉の必死な瞳に、愛しげに目を細めた。健気なその姿に愛しさを覚えないわけがない。

我慢出来るはずもなかった。


「……なら」
「…?」


そっと頬に手を当てる。風邪で出た熱に加え、紅葉の言葉に上がった体温。そのせいか、紅葉の頬は冷たくて気持ち良かった。そのまま顔を寄せる。


「風邪移ったら俺に看病させろ」
「え…?にの……っ!!」


優しく触れた唇は、普段よりもずっと熱かった。


End

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